笑う女
青空にのぼりがひるがえる。
『梁建新雑技団』
そう染め抜かれたのぼりを目印に、ぞろぞろと人々が天幕へ入っていく。
「皆様、本日はようこそいらっしゃいました。いっときの間ではございますが、どうかお楽しみください」
舞台の上で、座長の梁建新が口上を述べる。
細いロープの上で曲芸を見せる女、剣を次々と呑む男、火を吹く男に艶やかな衣装で舞い踊る女。
中国各地の民話や昔話を基にした演劇を絡めて様々な芸を見せるこの一座は、どこへ行っても人気だった。
この日は今の街での最後の興行の日で、明日からはまた次の町へ移動することになっていた。
最後の興行も無事に終わり、たたまれた天幕や荷物を総出でトラックに積みこむ。
とっくに日は暮れているが、片付けのためにつけられた電灯で、あたりは昼間のように明るく照らされていた。
劇の小道具が入っている箱を、トラックに運ぶ。
「康兄さん、これも」
荷台で運ばれてきた荷物を並べていた黄康がふりかえり、左目を細めて紅花を見た。
「よし、これで劇の道具は全部か？」
「うん」
「お疲れ、紅花。あっちでご飯食べてきなよ。ここ、かわるから」
「ありがと、青娘」
ぱたぱたと走ってきた梁可馨と作業を交代する。
青色を好み、ゆえに“青娘”とあだ名されている可馨は、建新の一人娘で、紅花の親友だった。
「ゆっくり食べておいで、こっちはやっておくから」
トラックの荷台から、康が声を投げる。
可馨の顔がぱっと輝いたのを見て、自分に声をかけた理由を察しつつ、紅花は夕食の弁当を食べに向かった。
康は紅花や可馨よりもいくらか年上で、よく気が付く、優しい若者だった。紅花も兄のように思っていたし、可馨はひそかに康へ慕情を抱いていた。
夜遅く、走るトラックの中で、紅花と可馨は二人、話に花を咲かせていた。多く話すのは可馨で、紅花はもっぱら相槌をうつばかりではあったが。
「それで康兄さんがね、もうほんとに格好良くって……あ、そうだ、もうすぐ康兄さんの誕生日じゃない。今年は何をあげたらいいかな？」
「んー……康兄さん、甘いもの好きデショ。次に止まる――市には美味しい焼き菓子のお店があるって聞いたカラ、そこのお菓子とか？」
「あ、それいい！」
可馨の声が弾む。
「そこのお嬢さん方、そろそろ寝なさい」
飛んできた建新の声に、はーい、とそろって返事をする。
揺れるトラックの中で、紅花は目を閉じた。
翌日、稽古の後で座員の一人から可馨への用を言付かった紅花は、彼女を探し歩いていた。
「どうした？」
「康兄さん、青娘見てない？」
「あー……さっき見かけたけど、今手が離せないみたいだったから、何か用があるなら後にしたほうが良いぞ。俺で代われる用なら代わるけど」
「そっか、ありがと。急ぎじゃないらしいカラ、後でまた声かけるネ」
しばらくして、目を赤く腫らした可馨が、紅花を見つけて駆け寄ってきた。
「ごめん、探してたんだって？」
「うん、楊さんが聞きたいコトがあるんだっテ」
「わかった、ちょっと行ってくるね」
ぱたぱたと可馨が走っていく。
彼女が手が離せなかった理由は、おおよそ想像がついた。
この日、昼の稽古で、可馨は小さな失敗を建新に厳しくとがめられていた。
稽古のときに建新が厳しいのはいつものことなのだが、可馨に対しては、建新はことのほか厳しかった。
可馨は劇での演技も曲芸も上手く、特に曲芸は難しいものでもすぐに覚えてこなすことができる。自分の娘ということもあり、期待をかけているのだろうと紅花は思っていた。
可馨も普段はそれに充分応えているのだが、それでも今日の叱責はずいぶん堪えたらしい。
用事を済ませて戻ってきた可馨へ、気分転換に町へ行こうと持ちかける。
建新にも許可をもらい、二人は町へとくりだした。
屋台で軽食を買って食べながら、商店街を見てまわる。
「あ、ねえ、あそこのお店、ちょっとのぞいてみない？」
可馨が指さしたのは、一件の菓子店だった。
店内のショー・ウィンドウには、様々な洋菓子が並んでいる。
店の中には甘い匂いがただよい、思わず頬がゆるむ。
「これとか、康兄さん好きかな」
アイシングで飾られたクッキーの小袋を、可馨が手に取る。
「うーん、こっちのほうがいいカモ？ 確か前、康兄さん、アイシングクッキーはあんまり好きじゃナイって言ってタ」
ふと、可馨の顔が曇る。
「……青娘？」
「……どうして紅花がそんなこと知ってるの？」
「え？ いつだったカナ、前に聞いたんだけど……どうしたノ？」
「……ううん、何でもない。だったらそっちのにしようか」
帰り道、可馨は口数が少なかった。自然、紅花も黙りがちになる。
結局、その日は夜まで二人の間に会話はほとんどなかった。
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