#1 高見理沙
蛭子堂という人間が他人に与える印象は、どこかまともでないとか胡散臭いとか、そうしたものになるだろう。
長い白髪を後ろで結いあげ、右のひと房だけ肩へ垂らし、左目もおろした前髪で隠している。
糊のきいた白いカッターシャツに細い黒ネクタイ、黒い細身のスラックス。それだけ見ればビジネスマンに見えないこともないが、シャツの上に羽織っているのはジャケットではなく着物――たいていは訪問着である。
両手には黒い革手袋をはめ、右手の五指にはそれぞれデザインの異なる銀の指輪がはまっている。
細面で色は白いが、病みあがりのような青白さである。切れ長の右目は菫色をしており、鼻が高く唇が薄い。どこか儚げで気弱そうに思われる面立ちだが、凛とした瞳は当人の意志の強さをあらわしているようだ。
この蛭子堂が営んでいる店こそが本来の〔蛭子堂〕である。この店は俗に言う『何でも屋』で、失せもの尋ねものから恋愛成就、そして口に出せないような頼みごとまで、店主が承諾しさえすれば、たとえ法に反するものでも叶えられる、と巷ではまことしやかに語られている。
それなら店はさぞ繁盛している、と思いきや実際は真逆で、店は年がら年中閑古鳥が鳴いている。
客が来ないのだから、店主は年中おそろしく暇である。それにこの店主は商売気が薄いようで、店を空けては昼間から表通りの喫茶店で茶を飲んでいたり、リサイクルショップや骨董屋をまわっていたりする。
今日も蛭子堂は行きつけの喫茶店、ミモザで紅茶を飲みながら、人待ち顔で座っていた。
開店して間もない時間帯だからか、店内は客が少ない。
ドアベルが澄んだ音をたて、緑がかった暗い黒茶の髪を後頭部でまとめた女が入ってきた。
店員とひと言ふた言話し、女はすたすたと蛭子堂の席へ歩いてくる。
「お待たせ」
「やあ、計ちゃん。久しぶり」
やや目尻の吊りあがったライムグリーンの瞳が蛭子堂を見おろす。
白いセーターに茶色いコート、焦茶のテーパードパンツをはいた女の手首には、男物のごついダイバーズウォッチがはめられている。
彼女は定倉計といい、道具を装った付喪神を見破る『目利き』の仕事をしている。しかしそればかりでなく、計は人と付喪神の間で起こる揉め事の仲裁や持ち主のいないはぐれ付喪神の持ち主探しといった、付喪神に関わる物事を引き受ける、いわば付喪神専門の何でも屋とも言える仕事をしている。
こちらも何でも屋という仕事上、付喪神に関わることも多いうえに当人も付喪神を使役している蛭子堂と計とは以前から面識がある。
計の分のコーヒーを頼み、蛭子堂が口火を切る。
「ごめんね、急に呼び出して」
「いいえ」
「まったく、昔から時は金なりと言って――」
計のダイバーズウォッチから、どこか不満げな声が聞こえた。
「トキはしばらく黙ってて」
「まあまあ、呼んだのは僕だし、それに僕がつい早く来すぎてしまったんだからね」
ダイバーズウォッチに宿る付喪神・トキにぴしゃりと言った計の後へ、蛭子堂が穏やかに言葉を添える。
「それで、用事は?」
「そうそう。計ちゃん、伯――市の多々羅仁さんって知ってる?」
いきなり二駅先の地名を出され、計は首を横にふった。
「いえ、知りません」
「多々羅さんは伯――市の山の近くに住んでる人でね、何でも昔、あの辺がまだ村だったときの庄屋の家系なんだそうだよ。家の構えも立派だし、山も持ち山だって話だからすごいよね。税金も相当かかるらしいけど、それでも充分お金には余裕があるらしいんだからねえ」
「それで、その多々羅さんがどうしたと言う話なんです?」
「トキ」
「ごめんごめん。つい脱線しちゃったね。それで、その多々羅さんによると、ここしばらく家の蔵で夜な夜な物音がするんだそうだ。大体夜の二時ごろになると、何でも蔵の中からお囃子みたいな音が聞こえるらしくってね。蔵の中には昔から伝わってるようなものだとか、捨てるに捨てられないけど、母屋に置いておくには邪魔になるようなものが色々と入ってるんだって。多々羅さんの言うには、ずっと置いておいたものが付喪神に成ってるんじゃないか、ってことでね。ただ自分はその方面の知識は全然ないし、忙しい身だからいちいち調べられもしない。第一、蔵の手前のほうのものはともかく、奥のほうに置いてあるものなんかは自分もなんだかわからない物ばかりだから、かわりに調べて、もし付喪神が原因だったら適当に処分してくれ、って話なんだよ」
「処分?」
運ばれてきたコーヒーをよそに、計が形の良い眉をきゅっと寄せる。
壊れることもなく、百年を経た器物に宿るモノは付喪神と呼ばれる。過去にさかのぼるまでもなく、現代においてもまだ付喪神は人の生活に紛れるようにしながらも生きている。ときに人と相容れずとも。
しかし人の側では、不意に意志を持った器物を気味悪く思う者がいることもまた事実である。
うん、と蛭子堂はこともなげにうなずいた。赤い耳飾りがゆらりと揺れる。
「そう。まあ世間体としてね、代々続いてる立派な家に、付喪神みたいなモノが出た、って話は良くないんでしょう。ああいう家って世間体と面目が一番だから。変な噂が立ったら代々の家名に疵がつくし、それは恐ろしく不面目なんだって。名家って怖いね、そういうところ。……おっと、また脱線しちゃったな。どこまで話したっけ? ……そうそう、それで蔵を調べて欲しいって頼まれたんだけど、目利きのほうは僕は不得手でね。もし手が空いてるんなら計ちゃんに頼みたいなって話。一日で終わらないだろうし泊まってもらっていいって言われてるし、かかる費用なんかも全部向こうで持つってさ」
「それはいいけど、蛭子さん。付喪神が見つかったら?」
ライムグリーンの瞳がじっと蛭子堂を見る。
「んー……そうだねえ。多々羅さんは処分してくれって言ってたけど、それはそれで可哀想だからね。それに計ちゃんに持ち主探しまで頼むのもなんだし、うちで引き取ってもいいと思ってるよ」
「そういうことなら、うん、安心した」
日程を打ち合わせ、そうそう、と蛭子堂が思い出したように手を打った。
「地図を印刷してたんだった。一応渡しておくよ」
床に置いていた鞄を取り上げようと、蛭子堂が座ったまま上体を曲げる。
顔をあげたその一瞬、蛭子堂の表情が宙に張り付いたように強ばった。
目線の先には男が一人。
コートを椅子にかけ、灰色のセーターにぴっちりとしたジーンズ、履き古したスニーカー。髪を長く伸ばしている上に髭も伸ばしているので顔中毛だらけである。かなりがっしりとした体型も相まって、ちょっと熊のように思える。
男のほうでも蛭子堂に気付いたらしい。いや、この男はどうやら入ってきたときから蛭子堂に注意を向けていたようなのである。雑誌を読むふりをしながら……。
蛭子堂と計が座っている席と男の席は少々離れていたし、蛭子堂も低い小声で話していたのだから、話の内容までは聞き取れなかっただろうが、男は時々コーヒーに口をつけ、雑誌のページをめくりながら、蛭子堂に鋭い目を向けていたのである。
「蛭子さん?」
「ん、ああ、そう、地図だったね」
口の中で何か小さく呟いた蛭子堂は、それでも計にいつもの微笑を向けた。
鞄から取り出したクリアファイルを右手で開き、左手でぎこちなく挟んでいた紙を取り出す。蛭子堂の左手は指が鈎のように曲がり、その動きはぎくしゃくしている。
「何かあったの?」
「いや……何でもないよ、うん」
そう言ってはいるが、その顔色は先よりもどことなく悪くなっている。
「でも、顔色悪いよ」
「そうかい? いや、ちょっと知り合いに似た人を見かけたものだからね。他人の空似とはよく言ったものだね」
そう答えて紅茶を飲む蛭子堂は、普段通り、穏やかな微笑を浮かべていた。
見た目から怪しげな印象を持たれがちな蛭子堂だが、本人は無知やそれによる偏見、根拠のない噂や流言飛語といったものを嫌い、根拠のないことは語らないという一面がある。今も、気になったことははっきりさせないと気が済まない計が相手でなければ、おそらく適当に誤魔化してしまっただろう。
「さて、そろそろ戻らないとね。計ちゃんはどうする?」
「私も出ます」
ひょいと二人分の伝票を取りあげた蛭子堂が、杖をつきながらレジへと歩いていく。計も慌ててその後を追った。
その二人、特に蛭子堂を、例の男はじっと見つめていた。
「まさか……?」
そう、口の中で呟いて。