妖花-ヨウカ

 朝のコンビニ。天宮玲奈はふらりと中へ入った。誰も見ていないことを確認して、ガムを一つポケットに入れる。
 そのまま平然とコンビニを出た玲奈の顔には、万引きをした罪悪感など欠片も浮かんでいなかった。
 さっそくガムを一つ、口に放り込む。噛みながら学校へ向かったものの、教室には行かない。
 ぶらぶらと物置小屋の陰に向かう。すでに数人の生徒がたむろしていた。
「お、玲奈じゃん。おはよ」
「おはよー、亜理沙。そうだ、タバコ持ってる?」
 にやにや笑いと共に差し出されるタバコを一本取って火を付けた。ポケットからガムを出して亜理沙に渡す。
「あ、これ新発売のやつだよね」
「そうそう。これ、盗ってきたんだけどさ。誰も気付かないの。バカじゃない?」
「ほんとだー」
 笑いが起こる。
「お前たちそこでなにやってるんだ!」
 突然の怒声に、彼らは大慌てで蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 夜遅く、玲奈は制服姿のまま、町中を歩き回っていた。ふと、足下で、にゃあ、と鳴き声。目をこらすと、一匹の黒猫が玲奈を見上げていた。
「邪魔だって。どけよ」
 猫は一鳴きしたものの、動こうとしない。玲奈は舌打ちをして、いきなり黒猫を蹴った。
 みゃ、と猫は鳴いて、爪でさっと玲奈の足を引っかいた。革靴に三すじの跡がつく。
 かっとなって、玲奈はもう一度猫を蹴ろうとした。猫はひらりと足を避ける。そのままとことこと近くの細い路地に入り込んだ。
 黒猫はまるで玲奈の道案内でもするかのように進んでいく。それでいて、決して玲奈の手の届く場所にいることはない。
 やがて突き当たりに、一件の平屋が建っているのが見えた。玄関横の長椅子に立てかけられた看板を見ると――呪屋。
 玄関の引き戸に向かって、猫が、にゃ、にゃあ、と鳴いた。からりと戸が開く。
 中から十二、三くらいに見える、おかっぱ頭の少女が顔を出した。黒目がちの瞳で、玲奈を下から見上げる。
「いらっしゃいませ、御客様」
「あたし別に客じゃないよ。それより、あんたの猫があたしの靴に傷をつけたんだけど」
 猫を抱いた少女は、じっと靴の傷を見ていた。それから、少し中でお待ちください、と言って、猫をかごに入れて、自分は店の奥へ消えていった。朱地に菊をあしらった振袖の、長い袖がゆらゆら揺れる。
 少女がいない間に、玲奈は店の中を見回した。天井まで届く棚には、木箱や、何やらマスコットのようなものやら、その他よく分からないものが並んでいる。
 その中の、赤い花が玲奈の注意を引いた。本物の花ではない。花をかたどったシールである。
 玲奈は前から何度もこういったものを見ているので、これがタトゥーシールであることに、すぐ気が付いた。
 少女が戻って来る様子がないことを確認して、玲奈はその花のシールをポケットに突っ込んだ。
 小さな足音と共に、少女が戻って来た。
「お待たせいたしました。家の黒がずいぶんと失礼なことをいたしまして、申し訳ありません。これで代わりの靴をお買いください」
 渡された封筒の中には、一万円札、それも手が切れそうな新札が入っていた。
 まさかこんな子供が、一万円もの大金を差し出そうとは思わず、玲奈は内心面食らった。それでも顔には出さず、封筒を鞄にしまいこむ。そしてさっさと出て行きかけたとき、少女が声をかけた。
「御客様。天知る、地知る、我知る、人知る、と申します。御気を付けなされませ」
 その後で黒猫が不気味に一鳴きした。

 乱暴に戸が閉められる。彩雅はもう一度店の奥へ引き返して、塩を取ってくると、戸口にぱらぱらとまいた。
 みゃあ、と黒猫が甘えるように鳴く。彩雅は振り向いて、猫をなでてやった。その顔へ向かって、今度は何か訴えるように鳴いた。
「そうですか。『花』を盗っていったのですか。『花』は、あの人に入り用無いものですのに。もう、あの人は長くないでしょうねえ」

 家に帰ってから、玲奈は花のタトゥーシールを右腕に貼った。肌に貼ると、赤い花弁はより赤く、緑の葉とつるは、より鮮やかになるように思われた。
 翌日、玲奈は学校に行く前にまたコンビニに寄った。今度は大胆に、菓子をいくつかと、ペンを二本鞄に放り込む。誰も、玲奈の万引きに気付いた者はいなかった。
 玲奈は今まで、一度にこれほどたくさん盗んだことはなかった。興奮と緊張のあまり顔を赤くしていた玲奈だが、学校についてからは平気な顔で、万引きのことや、前日の妙な店のことを亜理沙や、他の友人たちに話した。
「その花のシール、見せてよ」
 見せない理由も無かったので、玲奈は袖をめくって花を見せた。
「うわー。派手だね」
「本物みたい」
 友人たちは口々にそんなことを言った。しかし、一言も玲奈の耳に入らなかった。
 買ったときには一輪だけだった花は二輪に増え、三つほどつぼみも付いていた。葉の数も増えつるも伸び、右の二の腕にからみついている。
 そっと触れると、肌の感触が指に伝わる。間違いなくシールなのだ。
「あー、あたしもう帰るわ」
「うわー、サボりだー」
 帰りに玲奈は、スーパーに寄り、またいくつか万引きして、何喰わぬ顔で家に帰った。部屋に閉じこもって花をみると、花の数が一輪増えていた。
 さすがの玲奈も薄気味悪くなり、着替えて外に出ると、昨日と同じ道筋を辿り、どうにかして呪屋に行こうとした。
 しかしいくら探しても、店はおろか、店に続く路地すら見つけられなかった。

 玲奈が呪屋を訪れてから数日経った。彩雅は店の中で新聞を広げていた。
「女子高生 変死」の見出しがおどっている。昨日の午後、自室で倒れて死んでいるのが見つかったらしい。彼女の全身には花のタトゥーシールが、まるで本物の花のように絡み付いていたという。
「『花』を盗らなければ、こんなことにはなりませんでしたのにねえ、御客様?」
 彩雅のつぶやきは、黒猫だけが聞いていた。

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