すれ違いの果てに
茜色の空の下、通りを駆けていく少女がいる。
一部を編んだ金髪、白いシャツ、格子柄の茶色いジャンパースカート、茶色いブーツ。
青い大きな瞳はいきいきと輝き、軽やかな足取りはいかにも楽しげである。
肩からさげた鞄が、歩調に合わせてかたかたと揺れる。
住宅街に建つ家のうちの一軒、白い外壁の家が見えてくると、少女――リーガン・クロフォードは歩調をゆるめた。
「ただいま」
「お帰りなさい。手を洗って、鞄を置いていらっしゃい。ケーキがあるから一緒に食べましょう、可愛いカボチャちゃん」
「はーい、ママ」
言われたとおりに手を洗い、二回の自室に鞄を置いて階下に戻る。
テーブルには、オレンジジュースとチョコレートケーキが並んでいた。
「ママ、今日、学校でね――」
向かいに座る母のハンナに、あれこれと今日あったことを話す。
「それから、今日はドーソン先生が教室に忘れ物をしてたから届けてあげたの。先生、すごく喜んでくれたのよ」
「そう」
指して興味のなさそうなハンナの返答に、リーガンはやや鼻白んだ。
「そうそう、今日ね、新しい服を買ってきたのよ。ほら、これ。ちょっと着てみてごらん」
ハンナが見せた服は、今のリーガンより少なくとも三、四歳は年下なら、かろうじて似合うと言えそうなデザインの、薄いピンクのワンピースだった。
「ママ、あたし、もう十五歳なんだよ? こんな子供っぽいの着らんないよ」
「何言ってるの、絶対似合うわよ。ほら、早く着てみなさい」
はーい、と渋々服を着替える。リーガンが言うとおりにしなければ、母はひどく怒るのだ。
着てはみたものの、やはり似合っているとは――皮肉でもなければ――言えるものではない。
しかし、母にはどう見えているのか、あっさり機嫌を直し、思ったとおり似合うじゃない、などと言っている。
「今度のパーティ、それを着なさいよ。皆きっと褒めてくれるわよ」
「ええー……」
思わず渋い顔になったリーガンを、ハンナが軽く睨む。
「着なさい、いいわね?」
「はーい……」
肩をすくめ、部屋に戻る。
しばらくして、夕食ができた、と呼ぶハンナの声が聞こえ、リーガンは階下へ降りた。
ダイニングテーブルには二人分のシェパーズパイが並んでいる。
「パパはまた遅くなるの?」
「そうみたいね。冷める前に食べちゃいましょ」
リーガンの父、ジョナサンはこのあたりでは有名な企業に勤めている。相当忙しいのか、夕食に間に合うよう帰ってくることはめったにない。
この日も、ジョナサンが帰ってきたのは、リーガンがそろそろ寝ようとしたときだった。
「おかえり、パパ!」
「ああ、ただいま。そうだ、リーガン。今度の日曜なんだが、急に仕事が入ったんだ。悪いが出かけるのはまた今度な」
「ええー! それじゃいつならいいの?」
「仕事が忙しいんだ。いつになるかわからないよ。そう我儘を言わないで、早く寝なさい」
すたすたと去っていくジョナサンの後ろ姿に、リーガンはむっとした顔で頬をふくらませた。
洗面所で歯を磨き、部屋へ戻ったリーガンは、むっつりした顔でベッドに腰かけた。
「聞いてよ、おばあちゃん。パパったら、また約束を破るんだよ。今度の日曜、ショッピングモールにつれてってくれる約束だったのにさ」
机の上の、小さな写真。品のいい老女が笑いかけているそれに、リーガンはぶつぶつと愚痴をこぼす。
写真に写っているのはリーガンの祖父・サマンサだった。
サマンサは誰に対しても優しく、それゆえに誰からも慕われる女性だった。
リーガンは幼いころからこの祖母を慕っていた。祖母のようになる、というのが幼いころからの夢だった。
「パパはいっつもそうなの。あたしなんてどうでもいいのよ。あたしと約束したことなんて、ちっとも守ってくれないし、あたしの話だって、全然聞いてくれないし。小学校の六年生のときだって、はじめはパパがモールにつれてってくれるはずだったのに、仕事が入ったからってさ、結局カレンのパパがつれてってくれたんだよね。そういえばそこでさ、どこかのおじいさんが倒れたのを見つけて、カレンと大人を呼びに行ったりして、助けたことがあったんだよ。その話だって、ママもパパも、ちっとも聞いてくれないし。ママだってあたしのこと、まだ小さい子みたいに思ってるし。あんなワンピース着られないよ。あんな子供っぽいの着てたら、皆に笑われちゃう」
ちらりと壁にかかっているワンピースを見る。
ワンピースだけでなく、リーガンの部屋に置かれた家具は、そのほとんどがピンクや白を基調としていた。
リーガン自身はピンクも白もさほど好きな色ではない。しかし家具を変えたいと言えば、母親がヒステリーを起こすのはわかりきっているので、リーガンは一度もその不満を口にしたことはない。
「そうだ、おばあちゃんにだけは教えてあげる。あのね、カレンに好きな人ができたんだって。クラス委員のマイクって子。マイクはかっこいいし、絶対カレンとはお似合いだと思うの! でもマイクがカレンをどう思ってるかわかんないから……明日こっそりマイクにカレンをどう思ってるか聞いてみようと思うの! あ、カレンには内緒でね。だって変に期待させるのかわいそうだもの。……ねえ、おばあちゃん、あたし、間違ってないわよね?」
写真の中の祖母はにこにこと笑っている。
電気を消し、リーガンはベッドへ潜りこんだ。
翌日、学校へ向かう道は、普段より人通りが多かった。
見慣れない顔は観光客だろう。この地域には大きなショッピングモールや広い公園があり、観光客の姿は珍しくない。
しかし観光客に混じって警察官の姿もあるのが、普段の穏やかな雰囲気には似合わず物騒だった。
理由はわかっている。先月起きた観光客を狙った誘拐事件と、今月のはじめごろに起きた商社勤務の女性殺害事件の捜査のためだ。
誘拐事件のほうは犯人とその一味が何者かに殺害されていたうえに被害者が見つからず、殺人事件のほうは被害者ともめていたという相手が見つかっていないとニュースで報じられていた。
「おはよう、リーガン」
後ろから軽く肩を叩かれ、ふりかえる。
幼馴染のカレン・ホワイトが笑顔で立っていた。
「カレン、おはよう! 何かいいことあったの?」
「さっきすごくかっこいい人見ちゃった! 白い髪で、後ろ髪がこれくらい長くてさー、もしかしたら芸能人なのかな?」
「えー、そうなの? 見たかったなー」
「朝からかっこいい人見られたし、今日はいいことありそう!」
わくわくした様子で、カレンが走り出す。待ってよ、と笑いながら、リーガンも後を追った。
放課後の校内のカフェテリア。
リーガンが小走りでやってきたときには、すでに目的の相手――マイク・ケイはそこにいた。
「ごめんね、サッチャー先生との面談あったの、すっかり忘れてて。待った?」
「いや、僕もさっき来たところだし。そっか、リーガンは進路指導、サッチャー先生なんだ。サッチャー先生、面談が多いって聞くし、大変そうだね。僕はフリッツ先生だから、あんまり面談ないんだ」
「ほんと、サッチャー先生って面談多いんだよね。マイクはもう進路決めてるの?」
「うーん、まだ悩んでてさ。コリンズ・ハイかルインズ・ハイか……。どっちかというと行きたいのはルインズなんだけど、学費を出してもらうことを考えるとコリンズなんだよね」
「どっちも難しいとこじゃん! マイク頭いいもんね!」
「そんなでもないよ。ところで今日は何の用だったの?」
「うん、ちょっとマイクに聞きたいことがあってさ。隣のクラスのカレンって知ってる? カレン・ホワイト」
「ああ、知ってる知ってる。よくリーガンと一緒にいる子だよね」
「そうそう! それで――」
「リーガン・クロフォード!」
怒鳴り声が、響いた。
「あ、カレン――」
「あ、じゃない! なんであんたがマイクといるのよ!」
金切り声をあげたカレンは、持っていたスクールバッグを勢いよくふりまわした。
腰を浮かせたとたんに顔を強打されたマイクが、椅子を巻きこんで倒れる。
カフェテリアの店員や騒ぎを聞きつけたらしい教員が駆けてきたが、カレンは鎮まる様子がない。
カレンを押さえようとした店員がスクールバッグの打撃をくらって身体を二つに折る。
カレンが、動けないリーガンに向けてバッグをふりあげたそのとき、どこからか飛んできた木製のブーメランが彼女の鼻先をかすめた。
直後、放心したようにカレンがバッグを取り落とし、その場にぺたりと座りこんだ。
「大丈夫?」
声のほうに目を向けると、ブーメランを持った、青い髪に赤い目の少年と、本を抱えた砂色の髪の少年が立っていた。
「う、うん……。ねえ、何があったの?」
少年たちが顔を見合わせる。
「蟲……?」
リーガンの呟きに、青い髪の少年――カインがこくりとうなずく。
平穏が戻ったカフェテリアの片隅で、リーガンと少年たちは差し向かいに座っていた。
少年たち――カインとハイド――から話を聞き、とりあえず頼んだホットココアをくるくるとかき回しながら、リーガンは眉を寄せる。
本を抱えた少年――ハイド曰く、カレンが豹変したのは、嫉妬の感情を食らう蟲のせいだという。
「それじゃ、大変じゃない! その蟲、まだいるかもしれないんでしょ? だったら――あたしも契約する!」
「あの……話、聞いてた?」
思わず、と言ったふうに口を挟んだハイドに、もちろん、とうなずく。
「だってそんなのがまだいるんだったら、またさっきみたいなことが起きるかもしれないんでしょ。じゃあ、倒さなきゃいけないじゃない。だから、あたしも契約する。――それで色んな人を助けられたら、パパもママも、今度はあたしをちゃんと見てくれるかもしれないし」
その瞬間、リーガンの眼の前に紙と羽根ペンが現れる。
ハイドが言いづらそうに何か言っていたが、すっかり夢中になっていたリーガンは、少年の言葉を聞き流していた。
――契約したら、みんなキミを忘れるんだよ。
ハイドが呟いたその一言は、カインだけが聞き取っていた。