寄生木が枯れた日

 しどけない寝巻き姿で床の上に横になったまま、阿刀あとうは窓を眺めていた。
 窓には黒い紙が貼ってある。明かりが漏れないように。
 当然外も見えないが、この窓は元々採光のための窓である。開くわけでもないので、見えるものと言えば空くらいだ。
 今日は長兄・静馬の祝言の日である。
 少し前、土蔵の扉を少し開けて母屋をうかがったときには、何処かざわついた空気が感じられた。
 戦争が始まり、贅沢は敵だとか、財布の紐を閉めよとか、あちこちで聞く時節ではあるが、どうやらささやかな宴席は設けられているらしい。
 兄嫁は次兄・静弍の知人で花といい、村の学校で教師をしていたという。
 使用人からそう聞いてはいるが、阿刀はまだ兄嫁となるその人の顔をはっきり見たことはない。
 忌み子だと土蔵にこめられた身では、祝言の宴席に出ることもならぬ。こっそり土蔵の扉を開けて、その隙間からかいま見るのがせいぜいだ。それとて父に知れようものなら、少なくとも一発は打たれることを覚悟しなければならない。
 昼ごろ、遠目にうかがった花嫁は、その面立ちもはっきりしなかった。
 ころりと寝返りを打って手を伸ばし、枕元の本を手に取る。
 とうに夕餉の時間はすぎているのに、いっこうに食事が運ばれてこない。
 そもそも今日は、朝に握り飯を食べただけで、それから何も口にしていないのだ。
 かと言って催促に行ける身分でもないので、こうして空腹を文字で紛らわすしかない。
 一冊を読み終えたところで、土蔵の扉が開く音が聞こえた。
「阿刀様、お食事ですよ」
 女中のお里の声が聞こえたが、阿刀はそっぽを向いて手元の文字を追っていた。
 ぎ、ぎ、と階段が軋む音。
「阿刀様!」
 のろのろと布団の上に起きなおり、ふくれっ面を作ってお里を見る。
「すみませんね、遅くなってしまいまして。お昼には来られませんでしたから、さぞお腹がお空きでしょう」
「お腹と背中がくっつくかと思ったよ」
 お里が膳を並べる。
 申しわけ程度に小豆が混ざった赤飯と吸い物。
「あとこれ……静弍せいじ様が阿刀様に、とくださいましたよ」
 小さな包みを差し出される。
 中を見て、阿刀の顔がぱっと輝く。
 小さな饅頭。この時節では貴重な菓子であった。
「お里、お義姉ねえさまってどんな方?」
「お綺麗な方ですよ。先生ですから、きっと頭もいい方なんでしょうね」
 そうお、と答え、赤飯を口に運ぶ。
 椀に半分ほどしかなかった赤飯と吸い物は、あっという間に阿刀の腹におさまった。
 膳を下げてお里が立ち去る。
 扉が閉まると、阿刀一人しかいない土蔵の中は、しんと静まりかえった。
 別の本を手に取り、頁をくる。
 さらに二、三冊読み終えたころには、夜もすっかり更けているようだった。
 ありあわせの紐でたすきをかけ、細い白木の杖を手にして、扉を細く開ける。
 見える範囲に人影はない。
 するりと外に滑り出て、土蔵の陰に足を向ける。
 杖を構え、軽くひねって一気に引き抜く。
 白木の鞘の中から、白刃が滑り出た。
 闇夜の中に、細い刃がひらめく。
 かつて祖父から教わった、護身術を兼ねた剣術。
 身に染みこんだ動きをなぞっていた途中、土を踏む音が聞こえた。
 とっさに動きを止め、物陰に身を潜め、そのまま足音を忍ばせて土蔵に戻る。
 布団の下に仕込杖を隠し、たすきを外して布団に寝転がる。
 しばらく本を読むふりをしていた阿刀は、誰も来る様子がないことを確信して、ほっと大きく息を吐いた。
 長兄の静馬や次兄の静弍、あるいはお里なら土蔵の外に出ているのを見られても、小言は言われるだろうが問題にはならない。しかしこれが父の辰馬だったら、まず間違いなく数発は殴られる。母の鞠子であっても、父に注進するだろうから、結局は同じだ。
 布団の下から、仕込杖を引き出す。
 これは、かつて祖父にもらったものだった。
 祖父――寄生木哲馬やどりぎてつまは、若いときから幾度も洋行していたためか、この時代の、田舎の人間としては珍しく、迷信の類を一切信じない人間だった。
 白い髪、赤い目――白子アルビノで産まれた自分も分け隔てなく可愛がり、護身術として剣術を教えてくれた。
 自分を忌み子として扱う父に対しても、祖父が苦言を呈している姿を何度か見たことがある。
 しかし、祖父が世を去ってからは、阿刀は父の言いつけで土蔵に住まわされ、外に出ることを禁じられた。
 表向きには長患いの療養ということだったが、父の考えはわかっている。自分を衆目に晒したくないのだろう。
 寄生木の家は昔から裕福で、土地でも名士と数えられている。
 その地位と財は、寄生木家の先祖のまじないによるものだ、と、集落で噂されているのは、阿刀も知っていた。
 表向き、土地の名士でとおっている寄生木家だが、その財産のほとんどは、〈裏〉の仕事によるものである。
 〈裏〉といっても呪術だの暗殺だの、というものではない。
 寄生木の家が代々得意としてきたのは、人々の困りごとを解決することだった。
 策を弄し、手練手管をつくして、嘘と真を入れ替える。夢を現にすりかえる。辛い物事、残酷な事実を夢に変え、望ましい虚構を現にする。
 この稼業ゆえに、名士とはいっても集落の人間との付き合いは浅く、それゆえにまじないだの何だのという噂が立ったのだろう。
 そんな家に、真っ白い〈忌み子〉が産まれたとあっては、集落でどんな噂が立つか、想像にかたくない。
 だからといって、父を責めるつもりもない。
 ここには白子の子供を〈忌み子〉とする風習があり、父はそれを信じる人間だと、それだけの話だ。
 少しまどろみかけたころ、静けさを切り裂いて、空襲警報が響いた。
 ぱっと起き上がって一階に駆け下り、片隅に置かれていた長持の蓋を開ける。
 中にある小さな棒を押すと、長持の底が抜けた。
 身軽に中に飛びこむ。
 これはまだ幼いころ、祖父に教えてもらったもので、どうやら先祖が抜け穴として作ったものらしい。
 空襲警報が出ようが、外に出ることを許されていない阿刀は、もっぱらここを防空壕代わりに使っていたが、一応どこに抜けるのかは知っていた。家の近くにある山中の洞にある祠に続いているのである。
 万が一、何かあればそこから逃げろ。
 祖父はそう、幼い阿刀に言った。
 床下でしばらく息を潜めていると、警報解除のサイレンが鳴った。
 長持から這い出して、二階に戻る。
 布団の上に寝てはみたものの、阿刀は寝つけないまま、朝を迎えることになった。