もう一人の家族

 翌日、双子の家に不意の来訪者があった。エヴァンズ牧師である。

「急に伺いまして、申し訳ありません。近くまで来たものですから……アイラさんは、お出でですか?」

「いますけれど、今、臥せっておりまして」

 リウから話を聞いて、牧師が眉を上げる。

「それはいけませんね。多少の心得はありますので、診させていただいてもよろしいでしょうか?」

 ちらりと双子が目を見交わす。

「ええ。それと牧師様、実は……」

 リウが少し考えてから、口を開いた。

 その後、双子と何か話してから、エヴァンズ牧師は、アイラの部屋のドアをノックし、中に入った。暖炉には火が入っており、部屋の中は暖かい。

 アイラはわずかに身体を起こし、牧師が入ってくるのを眺めていた。少し驚いているようにも見えたが、あるいは光の加減でそう見えたのかもしれない。

「寝ていてください。そのまま、力を抜いて」

 素直に横になったアイラの額に手を当てる。

「我が主、レヴィ・トーマ。御身の力によりて、彼の身を癒し給え」

 エヴァンズ牧師の手から、じわりと温もりが広がる。その温もりはアイラの全身に染み込み、ゆっくりと消えていった。同時に、熱のだるさも去っていく。

「お加減はいかがですか?」

「ああ……楽になった。感謝する」

 ベッドの上に両手をついて起き上がるアイラ。身体を回して足を下ろし、ベッドに腰掛ける。牧師も近くの椅子を引き寄せ、アイラと差し向かいに腰掛けた。

「アイラさん。お一人で、何を抱えておいでなのですか」

 牧師の言葉に、アイラは黙ったまま目を見開いた。やがてその口元に、淡い苦笑が浮かぶ。

「……別段、何も」

 牧師の鳶色の目が、アイラの灰色の目を覗き込む。全てを見透かすような眼は、まるでアイラの心の奥底まで見ているようで。

「嘘、ですね」

 牧師がそう言った瞬間、アイラは射殺すような視線を彼に向けた。

「何のつもりだ」

 アイラの口から、低い、冷えた声が落ちる。明らかな怒りを見せたアイラに対して、牧師は穏やかに微笑んでみせた。

「こうして神に仕えておりますと、どうにも勘が鋭くなるようでして。お気に触ったのなら、申し訳ありません。けれど、悩みは一人で抱えるよりも、誰かに話したほうが、楽になるものですよ」

 アイラの瞳が揺れる。それでも、染みついた習慣が、感情を出すことを許さない。

「……言ってどうなる。私の問題は私だけのものだ。私が抱えているべきで、私が解決すべきことだ」

「何事も、一人で解決しなければならないという決まりはありませんよ。例えば重い荷物を持つときは、一人ではなく、誰かの手を借りるでしょう。それと同じです。一人で抱えるばかりではなく、誰かに手を伸ばせばいいのです」

「……それは……でも、私は……」

「ええ。あなたが特別な役目を背負っていることは承知しています。けれど、あなた自身は人なのですから、人として、手を伸ばしていいのですよ」

 唇を噛んで、アイラが俯く。分かっている。牧師の言葉が正しいことは。だが、長年の間に染みついた習慣は、突然変えられるものではない。

「私に話し辛いなら、あのお二人にでも話されてはいかがですか? お二人とも、ずっと心配しておいでですから」

 その言葉には、アイラは答えを返さなかった。

「病み上がりの方を、疲れさせてはいけませんね。失礼致します」

 牧師が立ち去る音が耳に届く。アイラは瞑目し、一人物思いにふけっていた。

――ねえ、どうして泣いてるの?

 不意に、耳に懐かしい声が届いた。

(兄さん?)

――泣いてないよ。

 兄が苦笑する気配がした。

――相変わらず意地っ張りだなあ。

――放っておいて。

 思わず尖った口調で返すと、ぽん、と頭に手が置かれた。

――怖がらなくていいよ。

――……え?

――怖いんだろう? 抱えているものを話して、何かが変わるのが。だから一人で抱え込んで、一人でぐるぐる悩んでるんだ。

 兄の言葉が刺さる。他の人間に言われたら、アイラも怒りを見せただろうが、流石に兄には何も言えなかった。

――そうやって抱えてることってさ、別に宝物ってわけじゃないんだろ? だったら放り出してしまえばいいんだ。

 ざらりとした固い手が、アイラの手を取る。

――そうして空いたところに、もっと大切なものが入るはずだから。

 声は変わる。兄の声から、父の声へ。

「父さん!?」

 自分の声に、はたと我に返る。

(夢……)

 そう思ったものの、兄の手の温もりも、父の手の温もりも、まだ消えずに残っている。

 しばらくして、夕飯を告げるリウの声に、アイラはゆっくりと立ち上がった。

 部屋から出て来たアイラを見て、リウが微笑みかける。

「起きてきて大丈夫?」

「ん? ああ、うん。もう大丈夫」

 テーブルには、パンとスープの他、ヴァル(白身魚)のムニエルが並んでいた。

 双子が話しているのを聴きながら、アイラは黙々と食べ物を口に運ぶ。

 食事が終わり、片付けが一段落した後で、リウが真面目な顔でアイラに向き直った。

「最近、何だか悩んでるみたいだけど、どうかして?」

 んー、と、アイラが小さく唸る。

「……色々、考えるんだ。ここにいてもいいのか、とか、これからどうしようか、とか。やりたいことも、特にないし、やるべきことも、ないから。……だから、どうしたらいいのか、分からなくて」

 そうだったの、とリウが頷く。

「前に、叔父さんが言ってたことなんだけどね、どうしたらいいのか分からなくなったら、まずはしっかり食べて、ゆっくり休むこと、だって」

 じっと、リウがアイラの目を覗き込む。リウの目に映り込む自分は、ひどく戸惑った表情をしていた。

 後ろから、ミウがアイラに抱き着く。身体にかかる重みと温かさが、今は心地良い。

 リウも膝を屈め、アイラの頭を優しく撫でる。

「あなたがこれからどうするのか、私もミウも知りようがないけど、ここはあなたの家だと思ってくれていいから。だから、ここにいていいのか、なんて悩まないで」

――私は……ここに来ても良かったのか?

 そう尋ねたときのアイラの様子を、リウは覚えていた。あの日からずっと、アイラは何かに悩んでいるようだった。だからこそ、少しでもその重荷を下ろさせてやりたかった。

「アイラはもう一人の家族だもの」

 ミウがアイラの後ろからそう付け足す。

 しばらく彫像のように固まっていたアイラは、やがておずおずと手を上げ、二人の手に触れた。リウは微笑んでその手を取り、ミウはアイラを抱いている腕に先よりも力を込めた。

 アイラは潤みかかった目を見られまいと、少し顔を俯けていた。

 内心の嵐が静まり、周りに注意を払う余裕が戻ってくるまで、アイラは顔を上げなかった。

「何か飲む?」

 リウの声に頷いて顔を上げたとき、アイラがそれを見咎めたのは偶然だった。

「鳥は片付けたのか?」

 え、と声を上げて、リウが暖炉を振り返る。木彫りの鳥が飾られていた暖炉の上には、今、何もなかった。

「あら、ミウ、あんた片付けて?」

「知らないよ? 姉さんじゃなかったの?」

 双子がきょとんと目を見交わす。

「ルイン小母さんが来たときにはあったわよね?」

「その後片付けでばたばたしてて、それからアイラが帰ってきて……」

 リウとミウが代わる代わる口を開く。

「待って、確か、帰りがけにはなかったかも。姉さん、まさか……」

「一度、家の中を探してみましょ。捨てはしないはずだもの、何かと間違って片付けたのかもしれないし」

 ミウが言いかけたのにそう返し、リウは台所に立った。