アビゲイル伯母

 アイラはただ一人で、村の市場に来ていた。というのも、寒さからか、リウが体調を崩してしまったのだ。時々あることで、大したことではない、とリウ自身は言っていたが。

 市場を歩き回り、ミウに頼まれていた小麦粉と卵、さらにいくつかの食料品を買う。頼まれたものを全て買ったことを確認して、アイラは近くのベンチに座って一息ついた。

 盗賊を捕まえてから、もう二週間は経っているのだが、それでも時折アイラに声がかけられる。その度に適当にあしらってきたアイラだったが、いい加減面倒くさい。好奇心に満ちた声にも、疑いの色を浮かべる瞳にも、うんざりだ。

(いくら娯楽がないからって、ここまでしつこくしなくても良いようなものだ)

 帰ろうと立ち上がったアイラの目に、見覚えのある少女の姿が映る。焦げ茶色の髪に赤いオーバーを着た少女がきょろきょろと辺りを見回しながら、半分泣きそうな顔で歩いている。

「どうした?」

 近寄って尋ねると、少女はわっとばかりに泣き出した。突然のことに面食らうアイラ。かなり時間がかかったが、どうにかこうにか少女をなだめ、泣き止ませる。

「名前は?」

「ハンナ」

 名前を聞いて、ようやく少女が牧師の娘だと思い出した。ハンナはどうやら迷子になったらしい。行き掛かり上放っても置けず、アイラは片手に買ったものを入れた籠を持ち、片手にハンナの手を引いて、牧師夫妻を探すことにした。

 幸い、トレスウェイトの市場はそう広くない。これがオルラントのような大きな町の市場であれば、探し当てるのはまず無理だろうが。

 近くにいた幾人かに尋ねながら、夫妻を探す。

「ハンナ!」

 十分と歩かない内に、後ろからサリー夫人の声。手を引いて、夫人の元へ小さな娘を連れて行く。

「ありがとうございます。宜しかったら、家で休んでいかれませんか?」

「……急ぐので、今日は」

 牧師夫妻と別れ、帰り道を急ぐ。そんなアイラに、後ろから声が掛けられる。

「あんた、双子んとこにいる人だろ?」

 振り返る。立っていたのは、背の高い、金髪に緑の目をした青年。

「何の用?」

「二人に手紙が来てるんだ。持ってってくれないか?」

 青年が差し出した手紙を受け取る。封蝋がされた手紙には、小さな女文字で『トレスウェイト リウ、ミウ』と宛名が書かれていた。

「ただいま」

「おかえり。ごめんなさいね、色々頼んじゃって」

「いや。……具合は?」

「ありがとう。もう大分良いの」

 籐の籠をテーブルに置く。それから思い出して、預けられていた手紙をリウに渡した。

 封筒を裏返し、差出人を見て、リウの眉が驚くほど吊り上がる。

「姉さん、手紙、誰から?」

 黙ったまま、リウは妹に手紙を渡した。宛名を見、差出人を見たミウも、眉間に皺を寄せる。

「この手紙、誰があなたに渡したの?」

「名前は知らない。金髪の、背の高い男」

「ああ、ルークね。ミウ、その手紙、何て書いてあるの? 読んでみてよ」

 ミウはまだ渋い顔をしながら封を開け、折り畳まれた手紙を開いて読み上げ始めた。

 手紙は姉妹の母方の伯母から来たものだった。ごく短い、事務的なもので、今度少し用があって北部に行くので、そのついでに二人のところに寄るつもりである。寄るのはおそらく冬の一月の二十日頃になるだろう。そのときに話したいこともあるので、家にいるように、といった内容だった。手紙の最後には、飾り文字で『アビゲイル』と署名がしてあった。

「冬の一月の二十日って、明日じゃないの。アビゲイル伯母様、急に何の用かしら」

「さあね。何も冬の最中に来なくても良いと思うんだけど」

 二人はあまり伯母が来るのを好まないようだった。ミウを手伝って買ってきたものをしまっていたアイラにも、そのことは感じ取れた。

 翌日、朝食を終えた三人は、めいめいに好きなことをしていた。リウは本を読み、ミウはしばしば休みながらレースを編み、アイラは黙々と木を削っている。

 外から鈴の音。ノックの音が響く。姉妹は顔を見合わせ、ミウが編み針を置いてドアを開けに行った。

 戸口に立っていたのは、四十六、七ばかりの年配の婦人だった。痩せていて、目は細く鋭く、鼻はつんと尖り、口は気難しげに引き結ばれている。顔付きの厳しさで見れば、アイラと良い勝負かもしれない。

 黒い毛皮のコートの下から、茶色のスカートの裾が覗いている。

「伯母様、コートを脱いで、こちらにおかけになってくださいな」

 リウが穏やかに声をかける。ミウが伯母からコートを受け取り、壁に打ち付けられた釘にかける。

 コートを脱いだアビゲイルは、背に支柱でも入っているかのように、まっすぐに背筋を伸ばし、全く上流階級の婦人そのものの様子でやってきて、椅子に腰掛けた。

「アビゲイル伯母様、お寒かったでしょう。お茶でもいかがですか?」

 リウが緊張を押し隠して声をかける。

「そうね、頂きましょう。……いいえ、砂糖は結構。それより、そこにいるのはどなたなの?」

 一切構わずに、無心に木を削っていたアイラは、この言葉を聞いて少し顔を上げ、ちらりとその婦人を見た。

 アビゲイルは、落ち着いた茶色の、袖の少し膨らんだ長衣を着て、胸元には鼻に掛ける眼鏡がぶら下がっている。

 首元に付けられた銀細工のブローチが、横から暖炉の火に照らされて、朱を反射している。

「旅の方です」

「おや、この家はいつから宿屋になったの? ちっとも知らなかったわ」

「別に宿屋になったわけじゃありません。ただ冬の間、この人を泊めることにしたんです」

 リウの言葉は、普段より冷たいように感じられた。

「おや、まあ。そんなこと、あたしは感心しませんね。お前達女二人だけのところへ、どこの誰とも知れない人間を泊めるだなんて。第一、宿屋だってあるんじゃないかい? どうしてそこへやらないの」

「この人、ひどい怪我をして、その上凍えかかっていたものですから。それにまだ、怪我はちゃんと治ってないんでしょう、アイラ?」

 アイラに声をかけたリウが、伯母に気付かれぬように目配せする。その意味を理解したアイラは、こくりと一つ頷いて見せた。

「それより伯母様、何の用でいらっしゃったんですか?」

 ミウが尋ねる。

「ええ、実はね。お前達を家で引き取りたいと思ってね」

 伯母の口から出た言葉に、姉妹は呆然と顔を見合わせた。

「なぜ、今になって?」と、リウ。

「このところ、家にも余裕ができて、お前達二人を十分に養っていかれるようになったし、トマスが死んでから、お前達が随分苦労しているんじゃないかと思ってね。どう? 悪い話じゃないと思うけど。それにお前達、そろそろ結婚も考えなくてはならないでしょう」

「それはそうですけれど、急に言われても……。家のこともありますし――」

「私は行かないよ」

 リウの言葉を遮るミウ。その手は近くにあったらしい布巾を握りしめている。

「私は行かない。第一、伯母様、今まで私達に何にもしてくださったことないじゃないの。トマス叔父さんのお葬式のときだって、一ヶ月も経ってから遠いし忙しいからってお金だけ送ってきて。自分の弟のお葬式だったのに! それに私達、苦労なんかしてない!」

「ちょっと、ミウ――」

 ばん、とミウが思い切り流しを叩く。アビゲイルの目が吊り上がった。

「おや、あたしは知らせが着いてすぐに手紙を送ったんだよ。それはそれとして、お前、何かあったらどうするつもりだね? 聞いたよ。この間、盗賊が忍び込んで来たんだってね。何もなかったから良かったようなものだけど、死んでいたっておかしくないじゃないか。それにお前、今は苦労していなくても、今のままだといつかきっと苦労することになるよ。お前達のためを思って言っているんじゃないか」

「いつか苦労するって? そんなの伯母様の決めつけでしょう?」

「少し落ち着いたらどうだ、ミウも、そっちの人も」

 低い、呆れたようにも聞こえるアイラの声が、口論の途中で割って入った。