サウル族の問題

「リイシアの命を狙っているのは、サウル族にいた、ヤツトという男です。そもそもの発端は、一年ほど前、ヤツトが妻を亡くしたことです」

 ネズが、時々言葉を考えながら事情を物語る。

 ヤツトとその妻、コーリは、サウル族の中でも、非常に仲の良い夫婦だったという。

 恋愛や結婚に関しては割合に自由だったハン族とは異なり、サウル族は幼い頃から許婚を決める。本人達の意思とは関わりなく。

 故に傍から見ても仲睦まじい夫婦、というのは中々いないらしい。ヤツトとコーリはその点で、珍しい夫婦と言えた。

 結婚してから半年ほど経った頃に、コーリは病に倒れた。サウル族の薬師では対応できない病だと分かり、薬師は近くの町の医者に診せた方が良いとヤツトに伝えた。

 ヤツトはすぐにでも医者に診せたがったが、長のユートが掟を盾に、それを許さなかった。

 薬師もヤツトも、ユートの妻も、言葉を尽くして説得を試みたが、ユートは頑として首を縦に振らなかった。

 ネズ曰く、とにかく何を言っても、ユートは『掟は掟。ロウクルと関わることは許さない』の一点張りだったらしい。

 結局、手当てを受けられぬまま、コーリは命を落とした。それ以降、ヤツトは少しずつ、ユートに反感を持つ、或いは反感とまではいかずとも、不満を持つ者達を少しずつ集めていった。ネズもまた、その一人だった。

「僕は恐ろしかったんです。自分も、同じようなことになったら、見捨てられるのではないか、と思って」

 ネズが項垂れる。

「それに、ロウクルと交易できないと言うのは、僕達にとっても不利にしかならないんです。必要なものもほとんど手に入らなくなって……正直、去年の冬を全員無事に越せたのは、奇跡のようなものでした。食べ物も、衣類も……それに、治療に必要な薬も足りなくて。他の民族との交流や、自然に手に入るものならいいんです。でも、ロウクルと交易しないと手に入らないものもあって……。長も、それは分かっていると思うんです。でも何を言っても、『自分達で何とかしろ。ロウクルと関わることは許さない』と返されるばかりで……」

『私……私、そんなこと、知らなかった』

 声を震わせるリイシアに、ネズが声をかける。

『あなたを責めてはいませんよ、リイシア。あなたはまだ子供だから、知らなくても当然です』

 責めてはいない、と言いながらも、ネズの声に感情はない。

『でも……』

 リイシアがいよいよしょげる。

 ヤツトは、ネズも含めて十人の男女を集め、自身の仲間とした。そして、サウル族との繋がりを絶たせるために、紋様を消させた。

 その後も幾人か、ヤツトは信用できると踏んだ人間を仲間に引き入れては、紋様を消させ、サウル族から離れさせた。

「……少なくとも最初の頃は、僕らの中にも、何とかユートの意思を変えさせようと策を練る人達もいました。けれどいつの頃からか、皆、ヤツトの語る復讐に魅せられたように、彼を支持するようになっていきました」

 ヤツトの目的は、リイシアを殺すこと。それもユートの目の前で、残酷に。かつて自分が味わったのと、同じ気持ちを味あわせるために。

 それを聞いて、リイシアの顔から色が失せる。小さく震え出した少女を、アンジェがそっと抱く。

「一つ聞きたいが、なぜユートは共通語を話すことを禁じた? 定住民族ならともかく、移動民族で共通語を使わせない、というのは、民族にとって不利益にしかならないだろうに」

「僕も詳しくは知りませんが、何でも昔、どこかの町医者に騙されたことがあったのだそうです。薬草だと言って毒草を渡されて、死にかけたとかで」

「……二つが似ていて間違ったとかじゃないのか、それは」

「僕もそう思いますが、ユートは騙されたと思い込んでいるのです」

 アイラが考え込む。

「……ヤツトだけじゃなく、長の方も何とかしないといけないな、それは。ヤツトだけをどうにかしても、ユートが共通語を使うことを禁じる限り、リイシアは狙われ続ける」

「それは、そうですが……何か方法がありますか?」

「……分からない」

 眉根を寄せる。

 話を聞く限り、ユートという人間は相当な頑固者のようだ。掟を盾に、例外すら認めようとしないことからも、それは窺える。

 そんな人間の考えを変えさせるのは、相当困難だということは、アイラにも分かっていた。つい最近まで、彼女自身もそうだったのだから。

 これがヤツトだけなら、対処はまだ楽なのだ。彼をどうにかして、リイシアを親元まで連れて行けば良い。

 だが、リイシアの今後を考えるなら、ユートもどうにか説得しなければならない。

 問題は、その説得が聞き入れられるかどうか、ということだ。

 ユートがロウクルと関わろうとしない以上、共通語しか話せないクラウスやアンジェが説得することは不可能。ネズが説得するのも、彼がサウル族から抜けた以上無理だと考えるべきだ。

 リイシアの言葉になら耳を貸すかもしれないが、それで彼の考えを変えられるかどうか、といえばおそらく無理だろう。

 となればアイラが説得するしかないのだが、アイラの言葉を、果たしてユートが聞くだろうか。

 もう一つの問題として、アイラは他人の説得というのが得意ではない。

「……どいつもこいつも。自分のことしか考えず、挙句何の罪もない子供を危険にさらす馬鹿共が」

 苛立ちのこもるアイラの呟きは、全員の心の声でもあった。

「ネズ、向こうには、後何人残っている?」

「正確な数は分かりません。ただ、ヤツトも含めて、少なくとも五人はいるはずです。彼らの短剣には気を付けてください。もう、分かっていると思いますが、あれにはトルグの葉から取った毒が塗ってあります」

「ん、分かった。とにかく、早いうちにクラウスと合流しないといけないな。そろそろ、この辺りまで来ているだろうし。あんたにも来てもらうよ、ネズ」

 アイラが付け足した言葉に、ネズはもちろん、リイシアを抱いて聞いていたアンジェもぽかんとした顔で、灰髪の女に目を向けた。

「本気ですか?」

「じゃなきゃ言うものか。情報がいるんだよ。あんたなら、サウル族のことも、離れた奴らのことも大体は知ってるだろう」

「……分かりました」

 一つ息を吐いて、アイラは身体を横たえた。リイシアが不安げにアイラの顔を覗き込む。

『そんな顔しなくていいよ』

 苦笑混じりに声をかける。

『だって……』

『大丈夫、大したことないよ。……心配、してくれて、ありがとう』

 少し身体を起こし、ぎこちなく笑みを浮かべ、手を伸ばしてリイシアの髪を撫でる。

 ようやくリイシアが笑みを浮かべた。

『大丈夫。これくらいの傷なら、すぐに治る』

 まだ傷に痛みはあるが、どれもそれほど深い傷ではない。元々傷の治りが常人に比べて早いアイラなら、動けるようになるまでに時間はかからないだろう。

 毒の影響が少し不安だが、既に中和されたならひどく心配する必要はない。

「アイラ、そろそろ休んだら? 顔色悪いわよ」

「……そうする」

 身体を横たえ、目を閉じる。あっという間に、アイラは眠りへと引き込まれていった。