一通一葉
市場で双子と合流したアイラは、双子の買い物を手伝う傍ら、自分の買い物も済ませていた。買ったのは瓶入りのインクと便箋一束。近頃ようやく身辺が落ち着いたこともあり、一度アンジェに手紙を書こうと思ったのだ。
居所は前に聞いている。冬のことゆえ、届くかどうかだけが少しばかり不安だが、返事が必要なものでもない。そのうち届けば良い。
市場からの帰り道、三人は村の広場に、見慣れない小屋が建っているのに気が付いた。ごく簡単に建てられているらしいその小屋の入り口には、『ドルーの移動写真館 開館中』と書かれた札が下がっていた。
刺激の乏しい村のこと、何人かの村人が物珍し気に集まっている。どうやら旅回りの写真技師がオルラントからやってきたらしい。
物をその通りに写す、写真、というものがあることは、かねてからアイラも聞いて知っていた。大きな町では写真館があるところもあり、飾られている写真も見たことはあった。
とはいえユレリウスでは、写真はさほど一般的なものではない。写真機は非常に高価な上、扱うにもかなり専門的な知識が必要なこともあり、金持ちの家ででもなければ、わざわざ金を払って写真を撮るようなことはなかった。
ただでさえ写真が珍しいところへ持ってきて、移動写真館なるものが建っているのだ。野次馬が集まるのも無理はなく、双子が興味もそそられるのも当然だった。
「入ってみる?」
好奇心の強いミウが囁く。面白そうね、とリウが返し、日頃は好奇心というものに縁がないアイラも、これには興味をひかれたのか、ん、と頷いた。
中はがらんとしていて、奥の壁には白い布が垂らされ、その前には細長いベンチが据えられている。
小屋に窓はなく、天井からいくつかぶら下がった灯りが、中を照らし出していた。壁には小さな額に入れられた写真があちこちにかけられていた。風景や建物の写真、街角の写真、また老若男女、様々な人物の写真が見られる。
ベンチの対面には何か高さのあるものに布が被せられており、その前に立っていた男が、三人が入ってきたのに気付いて振り返った。胸の名札には『写真技師 ドルー』と書かれている。
「やあ、写真を撮らないかい、お嬢さん方? お坊ちゃんもどうだい?」
アイラはむっとした顔で、眉を跳ね上げてドルーを見返した。
「私は女だ」
「あ、これは失礼。写真を一枚いかがですか、お嬢さん? 一回四イン(銀貨四枚)だよ」
撮ってもらおうよ、とミウが囁く。リウもすぐに賛成し、アイラも、ややあって頷いた。
リウ、アイラ、ミウ、と並んでベンチに座る。
「はい、笑って」
さっと一瞬光が走る。
これから何か起こるのか、と思っていたアイラだったが、どうやらそれで終わったようで、お疲れ様、とドルーが、写真機の後ろから、被っていた布を脱いで顔を出した。
できた写真は頼まれ屋のルークに言付けて届けてほしい、とリウが頼み、ドルーはそれを快く引き受けた。何枚必要かと尋ねられ、アイラはふと思いつき、自分のは二枚できないか、と尋ねると、ドルーはこちらも二つ返事で了承した。
そうしてその夜、アイラは寝室の小さな机の前に座り、インクの染み一つない便箋を前にして、とんとんと、指で天板を叩いていた。
瓶に突っ込んでいたペンを取り、アイラは口の中で、ア、ン、ジェ、と呟きながら、確かめるように文字を綴っていった。かりかりと、ペン先が紙を引っかく音だけが聞こえている。
宛名を綴ると、アイラは少し顔をしかめて黄色みがかった便箋を見下ろした。紙の上に並んだ文字は、少なくとも、行儀よく整列しているとは言えなかった。ある文字は左右から潰されたかのように縦にひょろりと伸びていて、別の字にはインクの瘤ができている。中には少しかすれている字もあった。
むむ、と唇を尖らせるアイラ。インク壺にペン先を浸し、ゆっくりと、紙にペンを滑らせる。
とつとつと言葉を話すように、ぽつぽつと、青黒いインクで語を綴っていく。見たもの、聞いたもの、あったこと。思い出せる限り書いていくと、いつしか便箋は三枚目にさしかかっていた。
少しペンを止め、とんとんと指で机を叩く。
そうやってしばらく考えてから、アイラはまたペンを動かし始めた。ゆっくりと書き出したのは、ノルとの一件のことだ。時系列を間違えないように、時々ペンを止めて言葉を練りながら、便箋を文字で埋めていく。
紙の端まで青黒い文字で埋めてしまってからペンを置く。一通り読み返し、特に間違いがないことを確認すると、風で飛ばないよう、アイラは便箋の端に重しを乗せた。朝にはインクは乾いているだろう。
ぐっと腕を伸ばし、少し背中を反らせて伸びを一つして、アイラは火の始末をしてからベッドに潜りこんだ。
ユレリウス東部、ヤサカ市の神殿の一室で、アンジェはゆっくりと本を繰っていた。療養のために神殿に来た頃は、塞ぎこみ、何にも手を付けなかったアンジェだったが、ヒシヤの家での件から一月以上経ち、最近では少しずつ明るい表情も見せるようになっていた。
「アンジェさん、手紙ですよ」
部屋を訪れたエンキから、封筒を受け取る。礼を言って、誰からだろうかと裏書を見ると、不揃いな、トレスウェイト、という字の下に、これだけは綺麗な字で、アイラ、と書かれていた。
まさかあのアイラから手紙がこようとは思わず、アンジェは思わず目を丸くした。見間違いではないかと、裏書を読み返したほどだ。
部屋で一人、封を開け、便箋を取り出す。やはり不揃いな文字――とはいえ書いた本人は相当気を使ったのか、全く読めないわけではなかったが――に、思わずアンジェの口元にくすりと笑みが浮かんだ。大分久しぶりの、自然な微笑みだった。
アイラの手紙は、彼女の口のきき方と同じく、淡々としたものだった。何があったかは分かるが、そこにアイラの感情は入っていない。大抵は、自分が何を感じたかくらいは書きそうなものだが。とはいえ、アイラらしいと言えばアイラらしい。
手紙の他に、もう一枚別の紙が入っていた。厚みのあるそれを出してみると、アイラと、手紙にもあった双子であろう、そっくりな二人の娘が写っている、一葉の写真だった。
アイラの左右に座る双子はにっこりと笑っているのに対し、アイラはスカーフを外しているものの、むっとしたような真顔でこちらを見ていた。こういうときでも、アイラは笑顔にはならない性分らしい。そういえば、アイラが浮かべる笑みといえば、どこか引きつったようなぎこちないものばかりだったと思い出した。
写真など、アイラは逆立ちしても写りそうにないが、この二人から頼まれたのだろうか。
(春になったら……)
アイラを訪ねて、北部まで行ってみようか。どんな顔をするだろうかと一人考えて、アンジェは再びふふっと微笑んだ。
→ 夜の回想