帰宅と再会

 北部の冬は早い。他のところで秋が終わる頃には、北部ではもう雪が積もっている。

 重い灰色の空から降る雪を、頭や肩に積もらせながら、アイラは雪の積もる道をトレスウェイトに向かって歩いていた。

 リントウからここまで、急いだつもりではあったが、それでも思ったより雪が降るのが早かったらしい。

 靴から染み込んでくる冷たさに、スカーフの下で溜息を吐く。歩き慣れない雪道に、ふと去年のことを思い出した。

 今ではもう、ありありと思い出せる。彼らが何をしたか。そして自分が何をしたか。

 したことに後悔はないが、思うところはある。今更何を思っても、取り返しがつかないことではあるが。

 軽く頭を振って、余計な考えを追い払う。

(さて、道は……と)

 記憶を頼りに巡礼地の近くまで来て、首を傾げる。

 あのときは周りに目を配る余裕がなかったのと、出血のせいで朦朧としていたため、どこをどう歩いてあの家に行ったのか、はっきりと思い出せない。

 雲のせいで太陽も見えず、方向も良く分からない。頭の中で地図を広げ、巡礼地とオルラント、その他この近くの地名を思い出して、どうやら方向に見当を付ける。

 ふう、とまた一つ溜息を吐いて、アイラは雪道に足を踏み入れた。時々、深く積もった雪に足を取られる。

 冬の日は短い。あまりぐずぐずしていては、夜になってしまう。

 雪まみれになりながらひたすら歩き、ようやく見覚えのある屋根が目に入る。窓に灯る灯りも見えた。

 不意に、アイラの足が止まる。

 家に行くことを知らせる手紙は出している。だからあの姉妹もアイラが来ることは知っているはずだ。だが行ってもいいのだろうか、本当に。彼女達は、迎えてくれるだろうか。

 そんな不安が、胸にきざしたときだった。

「アイラ? アイラでしょう?」

 記憶と同じ、明るい声が耳に届いた。

 顔を上げる。牛乳桶を手にして、笑顔を見せているミウの顔が目に入った。

「お帰り!」

 戸口で雪を落とし、ミウに引っ張られるようにして家に入る。台所で夕飯の支度をしていたらしいリウが、足音に気付き、くるりと振り返って微笑んだ。

「お帰り、アイラ。あなたの部屋はそのままにしてあるから、荷物を置いてらっしゃいな」

 あなたの部屋。その言葉に、アイラはちょっと目を見開いて、うん、と答えを返す。

「ほら、乾かすから、コートも脱いで」

 ミウが雪で濡れたコートを受け取り、暖炉の傍の壁にかける。その間に、アイラは部屋へと荷物を置きに入った。

 担いでいた荷物を置き、首元に巻いていたスカーフも外して畳む。

 部屋の中も変わっていない。じん、と胸が熱くなる。

「寒かったでしょ。じきに夕飯にするから、これでも飲んで待ってて」

 居間に戻ると、リウが支度の合間に、分厚いマグカップに、温めた牛乳を入れ、アイラの前に置く。

「……ありがとう。後……ただいま」

 ホットミルクを飲むうちに、寒さと共に、胸を噛んでいた不安も緩んで解けていく。

「随分濡れてるじゃないの。もっと暖炉の傍にいらっしゃいよ。風邪を引くわよ」

 リウにそう声をかけられ、アイラは気持ち椅子を暖炉に寄せた。その様子を見て、リウが苦笑する。

「遠慮しないで。あなたの家だと思っていいのよ?」

「うん。ここで充分、暖かいから」

 暖炉の上には、見覚えのある木の鳥が飾られていた。前の冬にアイラが彫ったものだ。しばしば手入れもされているのだろう、鳥は埃一つ被っていない。

 その鳥を見て、アイラの顔にちらりと影のような笑みが浮かんだ。

「また痩せたんじゃない? ちゃんと食べてる?」

 湯気の立つシチューをテーブルに並べながら、リウがそう声をかける。アイラははっきりとした答えは返さず、ただ肩を竦め、ちょっと顔をしかめた。

 ヤタで負った傷はほとんど治っているものの、まだ完治したわけではない。できるだけ早くここに着こうとして身体に負担をかけたせいもあってか、むしろ状態は後退していた。

「どうしたの?」

 アイラの表情に気付いたのだろう、リウが尋ねる。

「ん、ちょっと怪我をしただけ。大したことないよ」

「そう? さ、食べましょうか」

 アイラにとってはありがたいことに、リウはそれ以上追求しようとしなかった。

 久しぶりの温かな食事に、アイラの表情が緩む。その様子を見て、双子も目を合わせて笑いあった。

 夕食後、片付けも終わって時間が空くと、お喋りに花が咲く。主に喋るのはミウやリウだが、日頃口数の少ないアイラも、ぽつぽつと旅の間の出来事を話していた。

 温かな食事も、二人の笑顔も、去年と何も変わらない。一年の空白などなかったかのようだ。

「それからね……どうしたのアイラ、泣いてるの?」

 ミウの言葉で、初めてそれと気付く。目元に当てた指先は確かに塗れていた。

「何でも……何でもないよ」

 アイラはようやくそれだけ言った。それ以上は言えなかった。言うより早く、声を上げて泣いてしまいそうだったから。

 時計が二十二時を知らせる。鐘の音でそれと知り、ミウが驚きの声を上げた。

「嘘、もうこんな時間!?」

「あら本当。もう寝ましょうか。アイラも疲れてるでしょ?」

「ん、……また、明日」

「ええ、お休みなさい」

「お休み、アイラ」

「お休み」

 リウとミウが二階に上がっていくのを見届けて、寝室に入る。

 小さな部屋は塵一つなく、ベッドも整えられている。

 寝巻に着替え、ベッドにうつ伏せで横たわる。枕に顔を埋め、声を殺して枕に涙を吸わせる。悲しいわけではない。ただ、栓の抜けた酒瓶のように、何かが溢れて止まらなくなった。それだけだ。

 声も出なくなるまで泣いて、荒く肩を上下させる。自分でもなぜこうなったのか分からない。

(疲れたんだろうか)

 ごろりと寝返りを打って、アイラは灰色の目を閉じた。