深夜の追跡
先に動いたのは人影。アイラに向けて刃物を投げつけ、身を翻して走り去る。アイラは投げられた刃物を叩き落とし、一散にその後を追った。
「アイラさん!」
後ろからかけられた声で、メオンが追って来ているのに気付く。
「盗人」
前を指し、簡潔に伝える。メオンは一つ頷くと、アイラと並んで人影を追い始める。
夜道を三つの影が駆ける。しかし追われる方は明らかにこの辺りの道に通じているらしく、夜道を昼の道と同じように駆けて行く。道は今のところ一本道だとは言え、土地勘があるならば二人の知らない逃げ道を知っていても不思議ではない。
(まずいな)
「メオン、下がって」
アイラはその場に止まり、小さくなっていく人影に向かって左手を突き出した。メオンが何をする気なのかと首を傾げる。
「玉破!」
アイラの左手から飛び出した白球が、まっすぐに人影に向かって飛ぶ。そして白球は狙いあやまたず、人影の足にぶつかった。人影が地面に倒れる。
玉破を放つのとほぼ同時に人影の元に向かったアイラは気付かなかった。アイラを見ていたメオンの瞳に、暗い影が宿っていたことを。
ふらふらと立ち上がりかけた人影が膝をつく。駆け寄ったアイラに地面に押さえつけられ、人影は激しくもがいた。
無理矢理に顔を覆っている黒布を剥ぐと、壮年の男の顔が現れる。
男の顔を見た一瞬後、アイラは素早く身体を横に転がした。直前までアイラの身体があった場所には銀に光る短剣が突き出されている。少しでも遅れていたら、腹に深々と刃が突き刺さっていただろう。
横に転がって立ち上がったアイラの右足が、きれいな弧を描いて男の横腹に当たる。呻き声を上げた男の胸倉を掴んで顔を引き寄せる。
「盗ったものを返せ」
「な、何のことだか――」
アイラの膝蹴りが男の言葉を遮る。
「返せ」
「……わ、分かった。返すから手を離してくれ」
アイラは少し考え、メオンに視線を向けた。メオンが口の端に笑みを浮かべて小さく頷く。私に任せてください、とその目が言っていた。
アイラが手を離した瞬間、男は素早い身のこなしでその場から走り去った。しかし数メートルほど離れたところで、何かにつまずきでもしたように地面に倒れる。すかさず駆け寄ったアイラが男の襟首を掴んで持ち上げる。
その拍子に、男の懐から使い込まれた財布が転がり出た。アイラはその持ち主を知っていた。バルダだ。
「なるほど。幽霊騒ぎを起こして目を引きつけている間に、金目のものを盗る、という手口ですか」
メオンが鞘に入ったままの剣を拾いながら呟く。男が駆け出したとき、彼は剣を投げて足に絡ませ、男を転ばせていたのだ。
「宿まで戻りましょうか。そろそろ警備兵が来ているはずです」
やがて革紐で手首を括られた男を間に、二人は宿へと戻った。メオンの言葉通り、宿の前にはアルメの警備兵が二人立っている。
男を警備兵に引き渡し、彼らの感謝の言葉を聞き流しながらアイラは中に入った。ひどく憔悴した様子のバルダが座っている。
「バルダさん」
アイラが財布を投げ渡すと、たちまちバルダの顔が輝いた。財布を受け取り、ありがとう、と繰り返すバルダ。アイラは彼にぱたぱたと手を振って見せた。
それからアイラとメオンは警備兵から聞き取りを受けた。そうはいっても既に犯人は捕まっているので、聞き取りも簡単な形式だけのものだ。
「本当に助かったよ。明日からどうしようかと思った」
「……いえ、仕事ですから」
騒ぎが一段落してから、護衛四人はライとクラウスの部屋に集まった。今後のことを話し合うためである。
「気を付けないといけないのは、切り通しでしょうね。以前から時折あの辺りでは盗賊が出ていると聞きますし」
「切り通しっつーと……あー、あそこか。確かにな。アイラ、頼むぜ」
クラウスに視線を向けられ、アイラは一つ頷いた。
切り通しは昔から旅の難所として知られているところだ。山を切り開いた隘路である上に、道の左右には崖がそびえているのだから、盗賊が待ち伏せるには格好の場所である。
「後は……ヤスノ峠も気を付けなければならないでしょうね、当然ですが。特に最近は、魔物も現れるそうですし」
「何、ヤスノ峠まではまだ先だ」
「そうですね。ああ、そういえば妙なことを聞きましたよ。例の盗人、一人で仕事をしていたそうなんですけどね、アイラさんの部屋に幽霊を映した覚えは無いと言ってるようですよ」
「……一人で?」
「え? ええ。まあ、虚像を映す術などいくらもありますからね」
「いやちょっと待て!?」
ライとクラウスから揃って突っ込みが入る。アイラは首を傾げ、その横でメオンが笑いを噛み殺していた。
「あのー、アイラ? ふつーそこは怖がるとこじゃねーの?」
「そう?」
「ああ、そういやそんなヤツだったっけ、アイラは……」
クラウスががっくりと脱力する。耐え切れなくなったらしいメオンが声を上げて笑い出した。
「怖くなかったのか?」
「別に……。そもそもあれは怖いもの?」
聞いたライが絶句する。アイラはきょとんとしてライを見返した。
「むしろ怖がってんのはライの旦那の方じゃね?」
「何だと!?」
ライが腰を浮かせ、まあまあ、とメオンがなだめる。
「私はそろそろ休む」
「ああ、私も休ませていただきます。明日も早いですしね」
部屋を出ると、メオンは綺麗な仕草で頭を下げた。
「それではお休みなさい。明日も我らに神の御光がありますように」
「お休み」
部屋に戻り、少し考えてから女中に頼んで湯を桶に入れて持って来てもらった。布を濡らして汗を拭う。
ベッドに寝転がり、ぼんやりと天井を眺める。そのまま眠っていたらしく、アイラはノックの音に目を開けた。ドアが叩かれたのではない。窓だ。
窓に目をやると、黒髪の女と目が合った。アイラは眉間にしわを寄せ、ゆっくりとベッドから起き上がって窓を開けた。
「何が望み?」
アイラの冷たい灰色の瞳が、女をひたと見据える。
――ホシイ。
「何を?」
――イノチ。イノチ、ホシイ。
「イノチ……命?」
女がすっと顔を近付ける。アイラは一歩後ろへ下がり、それを避けた。
「悪いけど、それはできない。だから……消えろ」
最後の一言を叩き付け、左腕を持ち上げる。
――ホシイ。ホシイホシイホシイホシイ……。
女の声がこだまする。
「玉破」
白球が女を吹き飛ばす。顔の半分を吹き飛ばされてなお、手を伸ばしてくる女に向かって、アイラはもう一度、白球を撃った。
今度こそ、女は声にならない叫びを残して完全に消え去った。消滅させた張本人の顔には、何の感情も浮かんでいない。
アイラは静かに窓を閉め、巻いていたスカーフをとって畳むと、そのまま布団に潜り込んだ。しばらく目を閉じてじっとしていたが、眠れない。
(命が欲しい、か。死者が生者の命を得ることなど、できはしないのに)
あの女は、なぜ死んだのだろう。なぜ命を求めたのだろう。妄執の塊となってまで、現世に留まり続けたのはなぜなのだろう。
いくら考えても、答えは出そうになかった。
→ 歌が添う道