異端審問(前編)

「……そうか、“狂信者”だったのか」

 アイラの言葉を聞いて、メオンが渋面を作る。

「そのような呼ばれ方は心外ですね。我々は唯一神たるレヴィ・トーマの御心に従っているまで、なのですから」

「御心? 神の言葉を曲解して、レヴィ・トーマを信じていないからという理由で、異端審問とかいう馬鹿馬鹿しいことをする人殺し……それが貴様らだろう? ……気付いておくべきだったよ。ヤスノ峠を超える前に、宗教話を持ち掛けてきたときに」

 アイラの口調には、苦々しさが満ちている。もっと早くに気付いていればきっと、こんなことにはならなかった。

 空を切る音と共に、アイラの背に向かって細身の剣が振り下ろされる。くるりとその場で回りざま、アイラは剣に向かって蹴りを放った。叩き落とされる剣。

 メオンが剣を振り下ろした男を咎めるように軽く睨む。

「待ちなさい。今はまだ、やることがあるでしょう?」

 言いつつメオンは一つの革袋を取り出した。アイラにとっては見覚えのある、と言うよりもよく覚えている袋。

 メオンが袋を開けて中に手を入れ、掴み出したものを巻く。アイラの足元に、彼女が彫った異形の獣が散らばった。中には彫りかけだった、猿のような獣もある。

 アイラの目の奥で、怒りの火が暗く揺れる。

「……盗んでいたのは、貴様だったか」

「ええ。本来なら、もっと早く……サン・ラヘルで審問にかけるつもりだったのですがね」

 サン・ラヘルと聞いて思い出す。夜に嗅いだ、身体の自由を失わせるあの香り。

「あの香は、貴様の仕業か?」

「ええ、あれを仕掛けたのは私です。それから、ヤスノ峠で獣が出たでしょう? あれは彼女の術です。彼女は獣を従わせる術に優れていますのでね」

 メオンがアイラの右側にいる女を示す。アイラは殺意を込めて睨んでくる女に、ちらと目を向けた。一瞬、殺気の籠もる女の視線と、冷たい怒りの炎が揺れ動くアイラの視線が交錯する。

 ずっと押し込めていた黒い感情が、ふつふつと胸の中で湧き上がる。しかしアイラはもう、それを押しとどめようとはしなかった。

 衝動のままにメオンに殴りかかろうとしたアイラだが、その身体は釘付けになったように動かない。

(メオンの術か)

「さて、審問の前にお尋ねします。アイラさん、改宗する気はありませんか?」

 意外な言葉に、アイラは眉をひそめてメオンを見た。いつの間にか術は解かれ、身体は自由になっている。

「いかにあなたが異端とは言え、一応は一緒に仕事をした仲ですから、流石にあっさりと審問にかけてしまうのはどうかと思いまして。改宗するなら見逃しますが、どうですか?」

「断る」

 アイラは即座に、叩き付けるように答えた。きつく引き結ばれた唇が、彼女の意思の強さを物語る。

 メオンが不快そうに眉をひそめる。

「なぜです?」

「私は、既に“門”としてアルハリクに“捧げられて”いる。神の声を聞いて神の武器を使い、砦となるのが私の役目。神の言葉を曲解するような輩の同類になど、なる気は無い」

「…………そうですか。なら、仕方ありません。我々はあなたを異端とし、処罰します」

 この言葉を聞いて、アイラの中で何かが切れた。正面に立つメオンをひたと睨み据えながら、感情に任せて叫ぶ。

「レヴィ・トーマの信者でないからという理由で私達を異端者と呼ぶのなら、私達も同じように私達の神を信仰していない者を異端者と呼べるんだ! なのになぜ私達だけが、異端者にされるんだ!」

「レヴィ・トーマこそが神だからです」

 何を当然のことを言うのだ、とメオンの顔には書かれている。その言葉に続いて、四方八方から殺気が向けられる。その凄まじさに、思わずアイラの身体が総毛立つ。

「ならレヴィ・トーマが、自分を信じない者は異端だと言ったのか。自分を信じない者を殺せと言ったのか!」

「レヴィ・トーマは唯一にして絶対の神。故に信じない者は異端であり、異端が排除されるのは自明の理と言えましょう」

 メオンの顔は晴れ晴れとしている。彼は信じているのだ。自分の言葉は正しいと。いや、メオンだけではない。アイラ以外の全員が、この言葉が正しいと信じ切っているのだ。だからこそ、彼らにとってアイラは、神を信じず否定する異端者としか映らないのだ。

「……レヴィ・トーマは。貴様らにとっては神だろうよ。けれど私達の信じる神はレヴィ・トーマじゃない。アルハリク……父なるアルハリクだ」

「アルハリク!」

 メオンがせせら笑う。周囲から、嘲りの声が飛んだ。

「アルハリクなど神にあらず。彼は黒竜、災いをもたらす者」

「違う」

 このときほど、アイラは他人に対して憎しみを持ったことは無かった。八つ裂きにしたいと思ったこともなかった。視界が怒りで赤く染まるような気がした。

 ふつふつと湧いていた感情が、嵐となってアイラの中で吹き荒れる。

「言ったはずだ、私は自分の信仰について人に詮索されたり、とやかく言われたりするのは嫌いだと」

 これへの答えは先刻と同じ、馬鹿にするような笑いだった。

 アイラは身体を屈め、足を出来る限りの速さで動かして囲みを抜けようとした。しかし少なくとも二十センチは積もっている雪のせいで、中々思うように動けない。

 剣が振るわれる高い音。右足に鋭い痛みが走る。流れ出た血が、茶色のズボンに赤黒い染みを作る。

 後ろを向きかけたアイラの身体が再び縛られる。視界の端で細い銀の光が、松明の火を反射しながら伸びてくる。

 意味の無い叫び声を上げながら、アイラは上体を捻ろうと身体に力を込めた。ガラスが割れたような音が、どこかで聞こえた気がした。同時に縛りが解ける。

 降る雪に混じって赤い血が飛ぶ。間一髪、心臓を刺されることは避けたアイラだが、その代わりに左腕を深々と切られていた。流れ出た血が腕を伝う。

 しかし身体は自由になった。遠くでメオンが雪の上に尻餅をついている。

 右手でマントを外し、端を掴んで振る。一番近くにいた男がまともに顔をはたかれ、たたらを踏む。その隙に、足の痛みに堪えながら距離を取る。

 アイラは荒く息をしながら、囲まれないように動き回るのに必死になっていた。雪のせいで機敏に動けないのは、自分も狂信者達も同じだ。しかし向こうには数の利があり、術という利がある。それに引き換えアイラは一人で、怪我もしている。その上アイラの身体は、ほんの一瞬ではあるが、術によって縛られ、動けなくなる。距離があるうちは良いが、囲まれれば、そこで終わりだ。

 “神の矢”を模した玉破は、この状況では使えない。狙いを付ける間に身体を縛られ、殺されるのが落ちだ。

(断刀なら……でも使ったとして、生き延びられるか?)

 考える間も剣戟は止まず、アイラの身体には徐々に切り傷が増えていく。着ている厚い防寒着のおかげか、ひどく深い傷にはならないが、痛みと出血は、じわじわとアイラの体力を削り、動きを鈍らせる。

 石碑に積もる雪を掴み、目の前の狂信者の男に向かって投げ付ける。男が一瞬動きを止めた。その腹に右足で蹴りを叩き込む。男は苦痛の声を漏らし、身体を二つに折り曲げた。

 衝撃と共に怪我の痛みが増す。苦痛の声を噛み殺し、また別の相手の剣を受け流す。

 

 しばらくの間はこうして善戦していたアイラだが、多勢に無勢なのは火を見るよりも明らかだった。