”門”の意味は

 アイラはぼんやりと窓の外を眺めていた。外では風に煽られた雪が、家に叩きつけられている。その度に窓はがたがたと揺れた。

「そろそろ、そこの雨戸閉めるよ。風が強くなってきて、危ないから」

 ミウの声に窓から離れる。彼女が雨戸を閉めに行くと、家の中にはリウとアイラの二人きり。

 リウは毛糸で靴下を編み、アイラは部屋から木切れを持って来て、それを削っている。

「それ、どこかで習ったの?」

 気付けば、窓を閉めてきたミウが、戸口で雪を払っていた。

「ん。昔、教えてもらった」

 答えながらもアイラの手は止まらない。ナイフを持つ手は、木切れに少しずつ形を付けていく。

 時折手を止め、全体を眺めながら木を削るアイラ。大まかに、鳥の形ができていく。

 形ができてからは頻繁に手を止めながら、アイラは細かく鳥を彫る。

 アイラが細工に使っているのはナイフ一本だけだが、それでもかなり滑らかな曲線が削り出されている。

 いつしかミウだけでなく、リウも編み物の手を止めてそれを見ていた。

 しばらくして、木の鳥が一羽できあがる。

「これ、どうするの?」

 鳥を眺めていたミウが尋ねる。アイラは一言、どうもしない、と答えた。

「売ったりしないの?」

「売れるようなものでもないから。……そのうち、また削って焚き付けにでも使う」

「ええ!? もったいない……」

 ミウの言葉に、そんなものだろうかとアイラは内心で首を傾げた。彼女は、木を削り、形を作ることは楽しんでいたが、その結果できたものについては、愛着を持ってはいなかった。

 誰かに欲しいと言われればいくつでもあげたし、焚き火のための焚き付けが必要になれば、躊躇なく木彫りを削って使った。それが普通の木彫りだろうと、『お守り』の木彫りだろうと、気にせずに。

 こんなことを、もし専門の職人が聞けば不快に思うだろう。しかしアイラにはできあがった木彫りでも、ただの木でしかなかった。

 盗まれたときには腹も立ったが、それも『他人の物を盗む』ことに腹が立ったのだ。木彫りだったから腹が立ったわけではない。

「どうせ暇潰しだし。……何なら、あげる」

「いいの?」

 ミウに向かって頷くアイラ。そして鳥を残し、木屑を暖炉に放り込み、膝の上に広げていたスカーフを片付けに部屋へ戻る。

 そのついでにアイラは部屋で一人、ベッドに転がって考える。

 自分がここまで物事に執着を持たなくなった、もっと言えば何に対しても無関心になったのは、確実に十四年前の出来事がきっかけだろう。

 少なくとも昔は、何か――ちょっとした玩具だとか、髪飾りだとか、そういった類のものを大事に持っていた、という記憶はある。今はもう、どこにいったのか分からないが。

 しかし旅を始めてから、アイラは執着するものを持った覚えがない。ものであろうと、人であろうと。

 何かを大切にすれば、それを失うのが怖くなる。それは、人に対しても同じ。だからこそ、アイラは大事なものを持たず、他人とも淡い交わりしか作らないことを選んだ。

 仕事の関係上、クラウスのように顔見知りはいるが、それも数人だ。相手の抱えるものを聞くことはあっても、自分の抱えるものを話すことはない。

 腹を割って話すような間柄の人間など、アイラにはいない。そんな関係を、作りたいとも思わない。

 何かを失くすのが嫌なら、失くすようなものを持たなければ良い。そう思ったから。

 しかしそんなアイラは、自分でも驚いたことに、リウとミウに少しずつ、心を開き始めていた。二人といると、かつて家族や友人といたときのような、温かな気分になる。初めは戸惑いもしたが、最近はその感覚にも慣れてきた。

 ほんの一部ではあるが、これまで誰にも話さなかった過去のことを話したのも、そのためだろう。

 

 

 

 足の下に冷たい感覚。辺りを見回し、今いるのが石造りの廊だと確認する。この場所が、ランズ・ハンにある神殿だ、とも。

 この夢は、もう三度目だ。

 廊を進み、青い光に照らされた部屋へ。石舞台の前で額付き、祈る。

 衣擦れの音と共に、二人分の気配が近付く。

――顔を上げよ、門の娘。

 言葉通りに顔を上げ、アルハリクとその従者の姿を認める。

――お前は戻らなければならない。

 以前と変わらぬ、重い声。アイラはゆっくりと口を開いた。

――戻ることに……“門”となることに、異存はありません。しかし、それに意味はあるのでしょうか。私が護るべきハン族は、もう……。

 アルハリクの背後に佇む従者から、鋭い視線がアイラに向けられる。アイラの背筋が凍り付いた。今にも殺されるかもしれないという思いが全身を貫く。

 アルハリクが片手で従者を制する。

――“門の娘”、考えよ。何のために、我が武器を与えたか。武器とは、何のためにあるものか。

 すっと二人が去って行く。そしてその姿は、青い光に溶けて消えた。

 アイラはベッドの中で、ゆっくりと目を開いた。身体を起こし、ベッドに腰掛ける。

(何のために、“門”に武器が与えられたか。……武器とは、何のためにあるものか)

 夢で言われた通りに考える。

 “アルハリクの門”に神の武器が与えられたのはなぜか。これはすぐに答えが出た。ハン族に何かあったとき、砦となるため。つまりはハン族を守るためだ。

 では、武器は何のためにある?

(武器……どこまでを武器と呼ぶのだろうか)

 剣や弓、アックスにメイス……そういったものは、まぎれもなく武器だ。アイラの使う玉破も断刀も、今はまだ、使えない円盾も、アルハリクから与えられた武器だ。そしてアイラにはもう一つ、自分の身体そのもの、という武器があった。別段おかしなことではない。アイラやタキのような拳闘士は、その手足が武器であるからだ。

『正直に言って、俺はお前にこんなことを教えたくはない』

 考えに沈むアイラの脳裏に蘇ったのは、タキの言葉。

『だが、教えなければ、お前は自分の身を守れないだろう。よく聞け、アイラ。俺が教えるのは、積極的に戦うための技術ではない。身を守るための技だ。いいな』

「……守る、ための、技」

 アイラの灰色の瞳が、大きく見開かれる。

 戦うのは、大切なものを守るため。大切なものは様々だ。自分の命、他人の命、あるいは何か、貴重なもの。

 そして、そのためには武器が要る。ならば、武器があるのは戦うため……そして、守るため。

 アイラは、ぎゅっと左手を握り、何か決意したような表情を作った。その顔に、以前のような迷いはない。

 ベッドから降り、足を組んで座る。胸の前で手を合わせて目を閉じ、深く頭を垂れて祈りの言葉を唱える。

 やがて祈りが終わると、アイラは呼吸を徐々に深い、ゆっくりとしたものへと変えていく。それと同時に、同じように周りの音を少しずつ意識から締め出していく。

 そして何も見えず、何も聞こえなくなったアイラは、そのまま闇の中へ意識を沈めた。