頼るものはなく

 夕方、ミウとアイラが食事の支度をしていると、ゆっくりとリウが二階から降りてきた。

「もう大丈夫?」

「うん。何か飲むもの貰える? 喉渇いちゃって」

「ちょっと待ってて」

 台所での会話を聞きながら、アイラはテーブルに食器を並べていた。

 少しして、湯気の立つココアの入ったカップを手に、リウが顔を見せる。

「寝ていなくて良いのか?」

「ええ、大分楽になったしね、ありがとう」

「そうか」

 ほっとした様子のアイラに、リウがにこりと笑いかける。

 夕食はパンと野菜スープ、鶏肉の蒸し焼き。ミウ曰く、簡単なもの、らしい。

 リウとミウが何かと話しながら食べる傍で、アイラも時折相槌を打ちながら、料理を口に運んでいた。

 温かな料理に、身体が温もる。楽しそうな双子の姿に、かつての自分の家族が重なる。

 “アルハリクの門”であるために、アイラはいつも家族と同じ天幕にいた訳ではなかったが、時には父の天幕で地炉を囲んで、両親や兄と共に食事をすることもあった。

 地炉料理は、母親よりも父親が上手だった。大きな葉で肉を包んで炉に埋め、その上で火を焚く。大抵は何か焼いては摘んでいたものだ。あまり食べると、後が入らないよ、などと笑われながら。

 いい頃合になったら一旦火を消して、埋めていた肉を取り出す。蒸し焼きになった肉に、果物を潰したソースをかけて食べていた。

 大抵たくさん食べるのは兄の方で、肉の前にあれこれと食べていたにも関わらず、自分の分の肉をぺろりと平らげていた。

 オレルはよく食べるねと、父親が笑っていたのを思い出す。

「どうしたの?」

 リウに声をかけられ、食事の手が止まっていたことに気付く。

「あ、いや……」

 いつもなら、何でもないと返すのに、返そうとした言葉が喉元につっかえる。

「……小さいときに、父さんが、鶏の蒸し焼きを、作ってくれたなって」

 別の言葉が滑り出る。

 自分の過去を話してしまったときは、大抵苦い気持ちになるのだが、今はそれほど嫌な気もせず、懐かしさのほうが勝っている。

「そうなんだ。アイラのお父さんって、何をしてるの?」

 ミウの問いに、アイラの顔が一瞬だけ強ばった。

 ミウにとっては、好奇心からの、何でもない問いかけだったのだろう。当然、それがアイラの傷に触れる問いだとは知る由もない。

 アイラはすぐには答えを返さず、言葉を探す。

「……ハン族の、族長だったよ」

 声の震えを抑えるのが精一杯だった。陰ったアイラの表情と、いつもよりも低い声、それに何よりも『族長だった』という言葉で、察した双子の顔が引き攣る。

「ご、ごめん」

「いや、話していなかったもの」

 ふっと表情を緩めて、アイラは自分の皿に残っていた鶏肉を口に放り込んだ。

 その夜、ミウが湯を使っている間、アイラとリウは共に居間で休んでいた。

「ねえ、アイラ」

 リウに呼びかけられ、ぼんやりと暖炉の火を見ていたアイラは彼女に眼を向ける。

「ん?」

「あなたがいたいだけ、ここにいてくれていいからね。私もミウも、あなたのことは、もう一人の家族みたいに思ってるから」

 アイラがきょとんと眼を瞬く。次いでその顔に、恥じるような、安堵するような、どちらとも取れる表情が浮かんだ。

「……ありがとう」

 ぽつりと呟きつつも、アイラはリウから顔を背ける。ちらりと見えた灰色の目は、どこか潤んで揺れていた。

 ミウの後で湯を使った後、アイラはすぐに部屋に引っ込んだ。

 ベッドに横になる。

 一人で生きるために、とにかく強くあろうと思った。戦いの腕だけでなく、心も、また。

 けれどここに居ると、自分に課したその縛りが、自然と解けていくような気がする。

 内心それを焦る自分がいるが、一方で、それを受け入れている自分もいる。

 どちらが良いのか、どうすべきなのか、分からない。

 誰にも弱さは見せたくない。誰にも隙を悟らせたくはない。いつも張り詰めた糸のような心でいることを、誰にも知られたくはない。

 だが、それでいいのかと不安がる自分は確かにいる。

 その不安すら、今は許せなくて、ぎりりと歯を噛む。

(何を惑っているんだ、私は)

 苛立ちがつのる。

 未だに自身の進むべき道は見えず、どうすべきなのかも分からない。

 一人で抱えているには、この迷いは重過ぎる。だがこれは自分の問題だ。誰かに頼るつもりもないし、誰かに縋る気もない。

 その考えが、余計に迷いを重くしていることに、アイラは気付かない。

 故に、誰かに頼らずとも、思いを吐き出すだけで、迷いが軽くなるということも、彼女は知らない。

 幼いころからずっと、“アルハリクの門”として頼られる側だったために、アイラには、他人に頼る経験が極端に少なかった。

 だからこそ、こういうときに、人の手を借りるということに意識が向かないのだ。

 眠れないまま、何度も寝返りを打つ。小さく舌打ちをして起き上がり、床の上で足を組んで座る。

 息を数えることに意識を向け、余計な考えを消していく。

 そして自身の呼吸音すらも、徐々に意識の外へと締め出し、そのまま、意識を落とした。