喫茶店にて

 箱猫市の駅前にあるカフェ〔prunier〕。

 ドアを開けると、店員の「いらっしゃいませ」という声が飛んでくる。

「お一人様ですか?」

「いえ、連れが先に来ているはずなんですけれど……」

 言いながら、店内を見回す。

 店の奥の席に座っていた白髪の青年が、私を見て手をふった。

「遅くなってごめん、縫君」

 杖をつきながら、できるだけ早足でその席に向かう。

 首を横にふった縫君――佐伯縫は、何か打ちこんでいたスマホの画面をこちらに見せた。

『久しぶり。はるちゃん』

 

 メニューから私はコーヒーを、縫君はオレンジジュースを頼む。

 縫君と私は幼馴染だ。年齢は私のほうが上だけど、小さいときはよく遊んだ。

「最後に会ったのいつだっけ? 私が中二のとき?」

 縫君がうなずく。

『はるちゃん、引越。会ってない』

「そうそう、そうだったね。うちの親が離婚して、私が母親と京都に行っちゃったもんね」

 当時はまだ今みたいにSNSやメッセージアプリで簡単に連絡が取れる時代じゃなかったし、住所は教えていたけど手紙のやり取りもそこまでしなかった。年賀状くらいだっただろうか。

 頼んでいたコーヒーとオレンジジュースが運ばれてくる。

「おじさんとおばさんは元気?」

 ミルクと砂糖を入れたコーヒーをかき混ぜながらそう聞くと、縫君が顔を曇らせた。

 もしかして、まずいことを聞いてしまっただろうか。

「あ……ご、ごめん」

 縫君がまた首をふる。

 それからしばらく何かスマホに打ちこんでいた縫君は、やがて画面をこちらに向けた。

『母親、居場所、知らない?』

「え……おばさんの?」

 重い顔つきで、縫君がうなずく。

 それからの縫君の話をまとめるとこうなる。

 

 縫君の母親――佐伯さやさんは、縫君が中学生のときに家を出、そのまま――市からも出て行った。縫君は詳しく言わなかったけれど、家ではそのときそうとう揉めたらしい。

 さやさんはそれから消息不明――だったそうなのだけれど、去年のハロウィンのころ、箱猫市で姿を見た人がいたという。

 白装束を着て、怪しげな宗教の活動をしていた――とその人は縫君に話したらしい。

 

『箱猫、引越。母親、探し』

「おばさんを探してるの? やっぱり会いたい……とか?」

 そう訊いてみると、縫君はものすごく顔をしかめて小さく首をふった。

『母親、止める』

 文字が並ぶ。

 縫君はもしかしたら、おばさんが宗教にハマった挙げ句に何かの犯罪行為に手を染めることを危惧しているのだろうか。

 日本で宗教団体が起こした事件といえば……まず思い浮かぶのがあの地下鉄での事件だろう。あそこまでの事件でなくとも、身内、それも実の母親が新興宗教にハマっているとなれば、止めたくもなるだろう。

 縫君は更に何か文字を打ちこんでいる。

『和枝、蘇生。母親、宗教、これが、原因』

「え?」

 続いた文字に、思わず声が出ていた。

 和枝ちゃんはよく知っている。私より二つ下の幼馴染で、縫君の姉だった子だ。

 でも和枝ちゃんは、私が小五のときに病気で亡くなっている。

 スマホを置いてマスクを片手でずらし、オレンジジュースをひとくち飲んだ縫君が、グラスを置いてスマホを取り上げる。

 ずれたマスクの下から引きつった傷跡が見え、私は慌てて目をそらした。

『母親、福来の子に、執着。その子が、危険。何か、起こす、前、止めたい。母親、居場所、不明』

「うーん……あ、そうだ。うちの母親、縫君家のおばさんと仲良かったし、もしかしたら何か聞いてるかも。聞いてみるから、何かわかったら伝えるね。そういえば、この福来の子、って?」

 福来――といえば知り合いに一人、その苗字の人間はいる。ただ、彼女は独身で子供もいないはずだ。

『女の子。名前、確か、れい』

 女の子。れい。

 さっと脳裏にひらめくものがあった。

 急いで鞄から手帳を取り出し、挟みこんでいた記事の切り抜きを出す。風切零の行方不明の記事だ。

「その子ってもしかして、これに載ってる子?」

 きょとんとしていた縫君が記事に目を通し――さっと青ざめた。記事を持つ手がぶるぶる震えている。

「縫君? 大丈夫?」

 縫君が何度かうなずく。

 心配そうなウェイトレスに、大丈夫です、と言うように手をふって、縫君はオレンジジュースを一気に飲み干した。

「いえ……いた、この、こ……き、た」

 声が掠れ、縫君が何度か咳き込む。

「だ、大丈夫? 来た、って、この子が縫君の家に来たの?」

 ようやく落ち着いた縫君が二度、三度うなずいて、スマホに指を滑らせる。

『母親、連れて、来た。和枝の、代り、に』

 どういうこと――と聞こうとして、スマホの振動に気付く。

 このあとのミーティングの通知だ。

「ごめん。これから用事あるから、また詳しい話聞かせて」

 縫君もうなずいて席を立った。

 

 

 その日の夜、私は久しぶりに母親に電話をかけた。

 軽い近況報告を済ませ、できるだけさりげなく、さやさんの近況を知らないか、と聞いてみる。

「あー、さやさんなあ。あんまり関わらんほうがええよ」

「なんで? 何かあった?」

「いや、あの人なあ……最後に電話してきたのいつやったか……そんときにちょっと気持ち悪いこと言うとっちゃったんよ。確か……『今はカミコノオツキをやってる』やったかな……。変なもんに関わんの止めときや」

 はーい、と答えつつ、私は背中に冷たい汗が伝うのを感じていた。