幼友達
どうやら、眠っていたらしい。
「大丈夫?」
不安げにのぞきこむジュリウスにうなずき、ロストはベッドから起きあがった。
「そういえば、イスディスはどうしてるんだ?」
「ちゃんといるよ。表に出てきてないだけ」
「そうか」
沈黙。聞こうか聞くまいかとしばらく逡巡し、ようやくロストがその問いを口にした。
「なあ、ジュリー。イスディスと契約したこと、後悔していないか?」
「してないよ」
ジュリウスが間髪を入れずに答える。
「そりゃ、僕だって死にたくはなかったよ。でも君まで死ぬのはもっと嫌だった。だからあのとき、イスディスと契約したんだ。君のほうはどうなのさ。悪魔と契約した人間がどうなるか、君が一番よく知ってるだろ。悪魔崇拝者を狩るために、〈狩人〉にまでなったんだから」
「そうだな。契約のことが知られれば……俺は裁かれることになる。あのときならともかく、イスディスと契約した今はもう、ただの傷じゃないんだからな」
裁かれる、とはこの場合、死を――死刑を意味する。しかし、それをさらりと言ってのけたロストの口元には、冷ややかな笑みがあった。
「だが、それはどうした? そんなことは承知の上だ。知れたらどうなるか、承知であいつと契約したんだ。裁かれたとしても、後悔はないさ」
「ほんと、変わんないよね。そういうとこ」
「なあ、ジュリー。……本当に、俺を恨んではいないのか」
「恨んでもないし、憎んでもないよ。だいたいあのとき、洞窟に行こうって言い出したのは僕だったじゃないか」
「だが、おかしなやつらがいることは聞いていた」
「そんなの僕だって聞いてた。……父さんのことは、本当に悪いと思ってる。ずっと君にひどいこと言ってたし」
「いや、あの人には申しわけないと思っている。あの人からすれば、俺もお前を殺した一人なんだ」
ジュリウスが手を伸ばし、ロストの腕をつかむ。
あの日からずっと、イスディスの目をとおしてロストを見てきた。どんな生きかたをしてきたのか、よく知っている。
「アス、僕はずっと、君の味方だよ」
「……ありがとうな、ジュリー」
つかのまきょとんとしたロストが、ぐしゃりとジュリウスの頭を撫でる。
「信じてないだろ?」
「まさか。お前の言うことなら信用できるさ」
ロストがそう言ったところで、扉を叩く音がした。
「食事、何か召しあがりますか?」
顔を出したジョンに訊ねられ、ロストは投獄されてから、ろくに物を口にしていなかったことを思い出した。
もらうよ、と答えるとジョンはまもなく、麦を使った牛乳粥を持ってきた。
蜜入りの粥を少しずつすする。ほの甘い粥は、身体をじわりと温めてくれた。
「具合はいかがですか?」
「ああ、問題はない。というか、俺に敬語はいらないぞ。そんなに偉い人間じゃないし」
「いえ、これはつい、癖で。気にしないでください」
「ん、そうか。そういや、あんたの怪我は大丈夫なのか? 確か、そうとうひどい怪我だったろ」
「自分は大丈夫です。キロン様に治療していただきましたので」
「そうか。それはよかった。そうだ、ジュリーはどうしてる?」
「あのあと、薔薇屋敷からここにつれてきていますよ。ご心配なく」
そうか、とロストがほっとしたように微笑んだ。
「自分もひとつ、お聞きしていいですか? どうやって、ローンバートを撃ったんです?」
「と、いうと?」
「ローンバートはあのとき、弾よけの魔法を使っていたんです。普通なら、弾は逸れていくんです。ですが、あなたが撃った弾は彼を撃ち抜きました。どうやって、彼を撃ったんですか?」
「そういうことか。何も特別なことをしたわけじゃ……いや、こっちだとそうでもないのか。俺の故郷では、魔に対抗するものが二つあると言われていた。ひとつは銀の弾丸、もうひとつは、祈りに通じるほどの強い意思。それらがそろえば、人の身でも魔に対抗できる。もっとも、こっちでやったことはなかったんだけどな」
語るロストの目の奥に、ちらりと闇が揺らぐ。
ジョンが何か言いたげに口を開きかけ、小さく首をふった。
「ありがとうございます。では、自分はこれで。くれぐれも、ご自愛のほどを」
「そうだ。ジュリーには会えないか?」
「少しお待ちください」
まもなくつれてこられたジュリーが尻尾を大きくふって寄ってくるのを見、ロストが相好を崩す。
それを確かめて、ジョンは部屋を出ていった。
「ジョン、彼の様子はどうでしたか?」
ロストの部屋を出たあと、キロンへ報告に行こうと歩いていたジョンは、ちょうど歩いてきたキロンに声をかけられた。
問われるままに、自分が見たロストの様子を語る。
彼が話した、魔に対抗するものの話を聞いて、キロンは小さくうなずきながらも首をかしげた。
「魔に対しては、確かに銀の弾丸は有効ですから、魔術を破るのに銀の弾丸を使うことはうなずけますけれど、強い意思、ですか。興味深い話ですね。一度ゆっくり話をしてみたいものです」
心なしか、キロンの声が弾んでいる。
ジョンのほうは、ロストの目に一瞬見えた闇を思いかえしていた。見落としていてもおかしくないほどの、一瞬の闇。
そこから先に踏みこむべきか迷い、結局ジョンは踏みこまないほうを選んで当たり障りのないことを言った。
おそらくは、自分が触れるべきものではない、と思ったためだ。
楽しげなキロンがその場を去り、ジョンも自室に引き取った。
そのころ、ロストの部屋では主人に毛を梳かれながら横になっていたジュリーが、不意に低い唸り声をあげた。
その顔は、少年に向いている。
「どうした?」
ロストがジュリーの視線をたどり、眉を寄せる。
そこに座る少年の頭には、一対のねじれた角が生えている。赤い瞳がぎらりと光った。
「イスディス?」
「当たり」
にい、と笑ってから、イスディスは肩をすくめた。
「そう唸るなよ。何もしないっての」
苦笑して、ロストがジュリーをなだめる。ジュリーは唸るのを止めたものの、油断なくイスディスを見つめている。
「何かあったのか?」
「結構危なかっただろ。どうしてるかと思って表に出てきてみたんだけど、大丈夫そうだな」
「意外だな。心配、してたのか?」
「さてね?」
にやりと笑った少年の頭から、角が消える。どうやらイスディスは、再び引っこんだようだ。
入れ替わったジュリウスへ、ジュリーが近付く。
ふんふんと匂いを嗅ぐジュリーに、ジュリウスは腰が引けている。
「大丈夫だ。お前になら噛みつきゃしないさ。なあ?」
ジュリウスが恐る恐る、犬の黄金色の毛に手を触れ、さっと引っこめる。
その様子を見て、ロストがくつくつ笑う。
「昔さ、よく町に犬の曲芸を見に行ったよね」
「行ったな。ソナーの一座だろ? 最後に見たのはいつだったかな。そもそもまだやってんのか? あの親爺さん、俺たちがガキのころでももう年だっただろ」
「帰ってさ、まだ続いてたら、また見に行こうよ」
「……帰ったら、か。帰れると、思うか?」
「帰れるよ。帰るんだ、二人で。でなきゃ魔法使いまで巻きこんだりするもんか」
「そうか。なら、信じるよ」
ノックの音に、言葉を切る。
入ってきたキロンに、ロストは慌てて立ちあがった。
「いいのですよ、どうかそのままで。少し様子を見に来ただけですから。あなたの傷も相当ひどかったですからね」
「おかげさまで、問題ありません。ありがとうございます」
穏やかに笑みを浮かべて答えるロストの表情は、しかし、注意深く見なければわからないほどではあるが、硬くなっている。
「それは何より。もし何かあれば、いつでも言ってくださいね」
「ありがとうございます」
ロストが頭をさげる。
(まだ、信用されてはいませんか)
ロストの様子を見てとって、キロンは内心でつぶやいた。
魔法で強引に心を開かせ、信用させることはできる。しかし、どうやら魔術に強い忌避感を抱いていると聞くロストに、それはどう考えても悪手だ。効果が切れたとたん、心を閉ざされかねない。
明日、書類の作成や諸々の手続きのために詳しい事情を聞きに来る、と伝え、キロンは部屋を後にした。
その足音が聞こえなくなってようやく、ロストは緊張を解いた。
ベッドに腰かけたまま、空を睨んでじっと考えこむ。
「ジュリウス。必要なら、全て話してかまわないか?」
「何をする気?」
ロストの面にあらわれた、けわしい色を認め、ジュリウスが眉を寄せる。
「別に。ただ、腹をくくろうと思ったのさ。魔術師とは関わりたくなかったが、こうなったら仕方がないしな」
右手に目を落とし、ロストがため息をつく。指が折られ、爪も剥がされていた右手は怪我などなかったかのようだ。
一日二日で全身の怪我がここまできれいに治るわけはない。それこそ、魔法でも使わないかぎりは。
魔とつくものを嫌うロストだが、キロンには恩がある。
「そんな顔をするな。生命を縮めるようなことはしないよ」
「そんならいいけど。アスってたまにとんでもないことするから」
「いつ俺がそんなことしたんだよ」
「ほら、昔、エミールに挑発されたときとか。塀には登れても、屋根には登れっこないって笑われてさ、アス、君、ほんとに屋根に登ったじゃないか」
「そのあと案の定落ちて足を折ったがな。首を折らなかっただけましだが。だいたい、あれはエミールがしつこく煽ってくるのも悪い」
ふくれたようにそっぽを向き、ロストはベッドに寝転がって布団を被った。
翌日、早朝に目を覚ましたロストは、着替えを済ませるとそのままベッドに腰かけていた。
一隅のソファでは、犬と少年が寄り添って眠っている。
仲の良いその姿に、ロストはふっと頬をゆるめた。
(さて、どうしたものか)
手持ち無沙汰の状態は苦手だった。
しかし歩き回るわけにもいかないので、ロストはしばらくそのままぼんやりしていた。
そこへ、ジョンが朝食を運んでくる。
「気分はどうですか?」
「だいぶ、いいよ」
昨日よりも生気が戻ったロストの様子に、ジョンも胸を撫でおろしたらしい。ジョンは朝食のパンと野菜のスープを食卓に並べる。
「あの魔術師は、どういう人なんだ?」
「そうですね。好奇心の強いところはありますけれど、いい方ですよ。あなたはどう思われましたか?」
「ん、そうだな……魔術師というのは苦手なんだが、それでも悪人でないのはわかる。もっとも、悪人だったら宮廷魔術師か? そんな立場にはいないだろうが」
朝食をとりながら、ジョンとそう話す。
魔術師、と発するとき、ロストの顔はほんの少ししかめられた。
ここが自分の育った世界ではなく、したがって文化も考えかたも違うということはよくわかっている。しかしそうであっても、染み付いた価値観は拭いきれない。それが忌避感ならなおのこと。
「魔術師、苦手なんですね」
「そもそも、魔術そのものがな。俺の故郷では、魔術はよく思われていないから」
「そうなんですね」
うなずいて、ジョンが話題を変える。
他愛のない世間話をしながら食事を済ませ、空の皿を持ってジョンが出ていく。
そのあと、さほど時を置かずに扉が叩かれた。
キロンがもう来たのかと応えたロストだったが、戸口に立っていたのは、キロンではなかった。
→ 二人の記憶
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