石が止まるとき

 翌日、カナーリスの町は朝から大騒ぎとなっていた。
 ローンバートの死。ロストの捕縛。
 二つの報せは、町に大きな混乱を引き起こした。
 オリカの屋敷では、朝からローンバートの葬儀がいとなまれている。
 泣き声、ロストへの怨嗟えんさ、罵倒、そういったものが渦巻いていた玄関前にも、日が落ちかかった今は弔問客も途切れたようで人影はない。
 それを見計らって、ネミッサは一人、オリカの屋敷を出た。
 まっすぐに森へ向かう。目指すのは、魔力の溜まるあの場所。
「来たか、鴉の騎士」
 ゆっくりと現れたミラダンが、ネミッサを見据える。
「来たとも。貴様が手下か」
――明日の夕刻、薔薇屋敷の北の空地へ一人で来い。
 昨日渡された紙片には、そう書かれていた。
 魔力がネミッサをむしばむ。にも関わらず、彼女は平然と立っていた。
 キロンから、自分の代わりに魔力を吸う護符をもらっている。問題はない。
「そうとも」
 ミラダンが動く。
 短剣を腰にため、彼はひと息にネミッサとの間合いを詰める。
 無駄のない動きだった。
「我が主のために死ね、ゼーエンヘンカー!」
「断る」
 ネミッサの手が動いた。
 鞘から滑り出た銀の光芒が、刹那きらめいて鞘へとおさまる。
 両断されたミラダンの身体が、土の上に崩れ落ちた。
 そのとき、遠くから銃声が聞こえた。


 前夜から、ロストは町の留置場へ入れられていた。
 捕縛されてから口もきかず、ロストは牢の中で座っていた。
 水は飲んでいたが、彼は何も口にしていなかった。もはや食べる気もなかったのである。
「イスディス、もう少し力を貸してくれ」
 唇を動かさず、ささやく。
 左胸から、熱が全身をめぐる。
 熱と激痛が身体に走る。うつむけた顔をしかめ、必死に苦痛の声を殺す。
「ロスト、夕飯だ。……おい、どうした?」
「ああ、悪いな」
 顔を上げて椅子から立つ。
 牢内へ入ってきたハーゲンから椀を受け取りざま、その腹へ当て身をくらわせる。
 倒れたハーゲンを、窒息しないよう気を付けて寝かせる。
 ロストがずっと動かなかったこともあり、このときには見張りの目は緩んでいた。
 廊下の窓から抜け出し、そのまま人気のない道を選んで森へと急ぐ。
 あたりにはすでに黄昏時の薄闇がおりかかり、物陰に隠れながら進むロストが見咎められることはなかった。
 森に入ってからは、慣れた道をひた走る。
 そろそろ、自分の行動が知れたことだろう。
(追手もかかるころあいか)
 肩で息をしながら庭師の小屋に入り、扉に閂をかける。
 長くはもたないだろう。そのうえ、火事で半焼した小屋である。入ろうと思えば入ることは容易いはずだ。
 ロストは棚から拳銃を取り、弾倉を、銀の刻印がついたものに取り替えた。
 捕縛される前、彼は密かに拳銃をイスディスに託していた。イスディスなら、余人にこれを渡すことはないと踏んで。
 その読みどおり、イスディスは誰にもこれらを渡さなかった。
 捕まることはわかっていた。
 イスディスに動けるだけの力をもらい、屋敷に戻る。これがロストの計画だった。
「イスディス、悪いが後は頼む。棚の手紙、必ず届けてくれ」
「わかった、いいんだな」
 ロストが暗く微笑んだ。
 顎の下に銃口を押しつける。
「対価を払おう、イスディシリウス。俺の身体でも魂でも、望みのものを持っていけ」

 銃声が、響いた。


 薔薇屋敷の小屋に、真っ先に駆けつけたのはネミッサだった。
 扉を強引に破り、中へ踏みこむ。
「乱暴だなあ」
 中にいた少年が、ネミッサを見上げて口を尖らせる。
「失礼。……そちらを選んだのか」
 窓際の椅子に座り、うなだれるロストを見やる。
 彼の背後の窓硝子は割れて血が飛び散り、足元にはまだうっすらと煙があがる拳銃が落ちている。
 ロストは既に事切れていた。口元に、皮肉と絶望の微笑みを浮かべたまま。
 ネミッサは手を伸ばし、そっと彼のまぶたを下ろしてやった。
 目を閉じ、黙祷する。
「ありがとう」
 少年がぽつりと呟く。
「これ、あんたに渡してほしいって頼まれたんだ」
 渡された厚い手紙を、ネミッサは懐にしまいこんだ。
「町に戻ってから読ませてもらおう」
 まもなくやってきた警備兵が、小屋の中を見て絶句する。
「い、いったいどういう……」
「見てのとおりだ。それと、ハーゲン。ミラダンだが、不意に乱心して襲ってきたので、斬ったぞ」
 さらりと付け足された言葉に、ハーゲンが仰天して目をむいた。


 オリカの屋敷に戻ったネミッサは、預かった手紙を開いた。

――俺は〈外つ国人〉だ。三年前、この町に召喚された。

 最初の文章に、きりりと眉を上げる。
 一通り読んでしまってから、ネミッサは、ふむ、と腕を組んだ。
(伝えるべきだな、これは)
「主、今、よろしいですか?」
「ジョンか、どうした?」
 扉を開けると、ジョンの後ろにもう一人、見慣れた人影が立っている。
 ネミッサが口を開く前に、影は唇に指をあてた。
 身ぶりで入るよう促し、扉を閉める。
「あなたがいらっしゃるとは思いませんでした、キロン様」
「ずいぶん大変なことがあったと聞きましたので、短時間だけ陛下に許可をいただいたのです」
「そうでしたか。しかしちょうどよかった。こちらをお読みください」
 渡された手紙を一読し、キロンが沈黙する。
「これは……事実でしょうか」
「さて、本人が死んでいるのでそれは何とも。しかし個人的には、嘘はないと思いますが。それと、以前お伝えした森の中の魔力溜まり、調べておかれたほうが良いかと思います」
「わかりました。一旦戻ります」
 瞬間移動の魔法だろう、キロンの姿がかき消える。
「主、これからどうなさいますか?」
「そうだな。マリスヴィルの手下はもういないはずだが、ローンバートがどこから来たか、確かめておくことにしよう。場合によってはそちらに飛ぶことになる。町長がどうしているか、見てきてくれ」
「承知しました」
 きっと唇を結んだ真剣な顔で、ジョンが部屋を出ていった。


 ローンバートの葬儀から数日後、カナーリスの共同墓地の片隅にイスディスは立っていた。
 降り落ちる雨に濡れるのもかまわず、イスディスは名も無い墓石を見下ろしている。
 ロストが埋葬されたのがこの場所だった。
 立派な墓標が立てられたローンバートと比べると、その墓はあまりにも簡素だった。
――イスディシリウス。
「わかってる。わかってるよ。なかったことにしたいんだろ」
 どこからともなく聞こえてきた、今にも泣きそうな子供の声に、イスディスが静かに答える。
――そうだよ。……こんなことになるんなら、嫌われてもいいから話せばよかった。『僕』はあいつのこと、恨んでもないし憎んでもいないのに。
「それは知ってるよ。……一回だ。一回だけなら、やり直せる。でも、動くのはお前だ。俺は何もしない……というか、何もできない。それでもやるか? いくらお前の言葉でも、あいつは取り合わないかもしれないけど、それでも?」
――やるよ。あいつは僕の親友だもの。
 言い切ったのを聞いて、イスディスは小さく笑った。
「針は戻り、砂はあがる。過去は今に、今は未来に」
 歌のような節回しの呪文。
 徐々に視界が暗くなり、雨音が遠のく。
「全て、全て、元に、戻れ」
 呪文が終わるとともに、視界が暗くなった。

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