銀の弾丸

 深夜、暗い部屋の中でロストは身を起こした。シャツの下で、胸が荒く上下している。
 ここが自分の住んでいる小屋の、ベッドの上だと気付き、ようやく少し呼吸をしずめる。
 うなだれ、顔を両手で覆う。呻くような、嗚咽のような声が切れ切れに漏れた。
 しばらくして、いくらか落ち着きを取り戻したロストはベッドからおり、台所に置いている水瓶から水をあおった。
「起きていたのか?」
 ちょうど、見回りから戻ってきたネミッサに、いや、と首を横にふる。
「ちょっと、夢見が悪かったんだ」
「ふむ……話を聞こうか。気を晴らせば、夢も変わるだろう」
「そうかもな」
 手近の椅子を引き寄せて座り、ロストはぽつぽつと話しだした。
「昔、修道院で庭師をしていたことがあってね。そのときの夢だった。その修道院にはメリッサって料理番の娘がいてな、俺が雇われたときから、何かと親身になってくれた。だが、親身になりすぎた」
「それに問題が?」
「ああ。俺がいたのは女子修道院だったんだよ。本来なら男子禁制の場所だが、この身体だもんでね。特別に許可がおりたのさ。だがそれでも……メリッサは親身にしすぎた。俺も……それが修道院で好まれないふるまいだと気付くのが遅すぎた。そのせいで、彼女は……男をたぶらかすために悪魔と契約したと告発された。彼女はそんなことしていなかった。無実だったんだ。それなのに、まともな調査もされないまま裁かれた。……悪魔と契約した者は、死をもって償わせるのが掟だ。俺が町の外で彼女を見つけたときには、メリッサはもう、虫の息だった。……だから、俺が手を下した。……本来、あってはならないことだったんだ。告発されたその日に裁かれることも、すぐに殺されずに……あんなに、痛めつけられるのも。だからあれ以上、彼女を苦しませたくなかった」
 ロストがうなだれる。
 こちらも手近の椅子に座っていたネミッサは立ち上がり、そっと彼の肩を抱いた。
 食いしばった歯の間から、ロストが切れぎれに嗚咽を漏らす。
 彼が落ち着くまで、ネミッサはそばを離れなかった。
 どうにか気をしずめ、ロストはそろそろ休む、と立ちあがった。
「私も休むとしよう。お休み」
 ロストがベッドに横になるとまもなく、小さな歌声が聞こえてくる。
 記憶にある、不協和音が重なった歌声ではない。静かな、優しい歌声。
 柔らかに耳に触れるその歌声を聞くともなく聞くうちに、ロストはぐっすりと眠りこんでいた。
 小声で口ずさんでいた揺籃歌の最後の一音をそっと落とし、ネミッサは衣擦れの音さえ立てず、隣の寝室へ入っていった。
 ベッドは空いており、その隣に作った急ごしらえの寝台でジョンが眠っている。
 ネミッサはベッドに腰かけ、ロストの言葉を思いかえしていた。
――悪魔と契約した者は、死をもって償わせるのが掟だ。
(そういえば――)
――魔法が苦手なんだ。どうしても、魔術が身近で使われていることに慣れなくてな。
 思いかえして、違和感。
 この国の法は知っている。しかし、ロストが言ったような掟は聞いたことがない。
 そのうえ、まるで魔法が身近ではないような言葉。
(異国の法、いや――)
 異世界の法。
 メルカタニトゆえの、その可能性に思いいたり、ネミッサは眉をひそめた。
(〈外つ国人〉?)
 だが、ローンバートが〈外つ国人〉であるという話は散々聞いたが、ロストがそれだとは聞いたことがない。
 メルカタニトでは、〈外つ国人〉の存在はしっかりと記録される。名前、出身地、どこで、誰に召喚されたのか、後見人がいるならその身元も。たとえそれが、一時の召喚であっても。
 〈外つ国人〉の持つ異世界の知識は、危険と隣り合わせだからだ。
(しかし、そう決めつけるのは短慮か。異国人の可能性もある。キロン様にだけ話を通して、明日、確かめてみるとするか)
 そう方針を決め、ジョンを起こす。
 目をこすりながら起きたジョンは、交代だ、とささやかれ、慌てて寝台からおりた。
「何かあれば呼べ。無理はするなよ」
「はい」
 ジョンが静かに出ていく。
 ネミッサは座位のまま軽く目を閉じ、それでも完全に意識を閉ざすことはなく、なかば覚醒した状態で有事に備えていた。
 東の空が白みはじめたころ、隣室から小さな物音がした。
 どうやらロストが起きだしたらしい。
 ジョンも見回りから戻ってきたようで、二言三言話す声が聞こえる。
「特に異常はありませんでした」
「ご苦労」
 ジョンが朝食の準備を手伝いに出ていく。
 一人部屋に残ったネミッサは、肩につけたブローチ型の通信機を起動させ、キロンを呼び出した。
「早くから失礼。少しよろしいですか」
――大丈夫ですよ。どうしました?
「例の庭師のことですが――」
 ネミッサの話を聞き、キロンがしばらく黙りこむ。
――他国の人間であっても、卿の推測どおり〈外つ国人〉であっても、どちらでも問題ですね。卿、確認をお願いできますか?
「承知しました」
 通信を切り、部屋を出る。
 隣室に、あの少年の姿は見えない。
「あの子供はどうした?」
「イスディスか? あいつのことだ。またどこかほっつき歩いてるんだろ。いつものことだよ」
「だが、昨日の今日だ。呼べるのなら――」
 呼んだほうがいい、とネミッサが続けかけたとき、そのイスディスが戻ってきた。どうやら少年は、庭をひとめぐりしていたらしい。
 何もなかったよ、と少年は笑った。
 薄く切って焼いたパンをかじりつつ、ロストは対面に座る主従を見た。
 この二人は、なぜこれほど自分に親身になってくれるのだろうか。
 つい最近知り合った程度の間柄だ。旧知の仲ではない。自分など、放っておいてもいいだろうに。
 ロストがほとんど無意識に漏らした、自虐のこもった呟きに、ネミッサが眉をあげる。
「私は私がなすべきだと感じたことをするだけだ」
「……そうかい」
 くい、と、少年がロストの服を引く。
「どうした?」
「昨日も言ったけど、今日は絶対、ジュリーを傍から離すなよ。いい? それと」
 さらに少年が袖を引く。ロストは訝しげな顔で少年のほうに身をかがめた。
『銃を準備しておくんだ、〈狩人〉』
 ロストは何も言わず、わずかに口元をひきつらせてイスディスをじっと見つめた。
 赤い目が、真剣な光をたたえてロストを見返す。
 ロストは眉をひそめたが、黙って立ちあがり、戸棚に置いていた拳銃を取り、弾倉を入れ替えた。
 銀で刻印が施された弾倉――銀の弾丸がこめられた弾倉に。
「どうした?」
「ちょっとな」
 銃を懐に、ロストはジュリーをつれて外に出た。
「離れるなよ、ジュリー」
 そう注意して、ロストは花壇の草取りにかかった。
 その傍らで、ジュリーはおとなしく地面に伏せている。
 時折ロストは草むしりの手を止め、ジュリーを撫でてやっていた。その度に、ジュリーは大きく尻尾をふっていた。
 ジョンが見回りのためだろう、門のほうへ向かうのが見えた。
「手伝おうか」
 ネミッサがロストに声をかける。
「助かると言えば助かるんだが、そこまで迷惑をかけるのはな」
「何、かまわないさ」
 ネミッサもかがんで雑草に手を伸ばす。
 二人の横をとおって、イスディスも門のほうへ駆けていく。
 ふと気付けば、時刻は昼に近付いていた。
 今日はそろそろ切り上げないか、とロストがネミッサに声をかける。
「そうだな。そうだ、ひとつ聞きたいことがあるんだが――」
 何かを訊ねようとしたネミッサの言葉を遮って、怒声か、あるいは叫声ともとれる声が門の方向から聞こえてきた。
 同時に、ロストは低い声をあげて左胸を押さえた。刻みこまれた契約印が焼けるように痛む。
 一瞬、脳裏をよぎる景色。屋敷の門と、こちらを見下ろすローンバート。
「どうした」
 門、と、やっとのことで一言だけ声をしぼりだす。
 様子を見てくる、とネミッサが駆けだす。
 ロストもまた、いてもたってもいられず、歯を食いしばってジュリーと共に走りだした。
 門が見えると同時に、目に飛びこんできた光景にロストは息を呑んだ。
 標本のように、近くの木に肩と腕を串刺しにされ、ぐったりとうなだれているジョン。燃えている花。門扉の前でひざまずくように座っているローンバートと、彼に押さえつけられ、倒れている少年――イスディス。
 ローンバートが大ぶりのナイフをふりあげ、にやりと顔を歪める。
 ロストの脳裏に蘇る、過去。
 揺れる火。眼前で地面に押さえつけられる少年。ふりおろされるナイフ。
「ジュリー!!」
 ロストの絶叫に、ローンバートが歪んだ笑みを彼に向けた。
(――殺してやる)
 明らかな殺意が、ロストの胸に宿る。
 頭は芯まで冷え、周囲の音が消える。
 懐に入れた拳銃を引き出す。ローンバートの唇が動いているのが見えた。
 漆黒となったロストの瞳が、暗い光を宿す。
「イスディシリウス」
 イスディスの真名を呼ぶ。
 かつて交わした契約のとおり、力が宿る。
 左胸の契約印が焼けるように痛み、流れる血が炎となったかと錯覚するほどの熱が、全身を巡る。
 苦痛の声を噛み殺し、銃を構える。
 にたりと笑うローンバートの顔が、一瞬、別の男の顔に見えた。
 白髪のほうが多い金の髪。彫りの深い面立ち。鋭い、青い目がこちらを見る。
『魔に光なし。魔は闇へ帰れ』
 祈りをこめて、唱える。
 魔を破るのに必要なのは銀の弾丸。そして、純粋な、強い、意思。
 きれいな立ち姿で狙いを定め、引鉄を引く。
 当たるはずがない。
 弾除けの呪文を唱えたローンバートは、そう高をくくっていた。
 ロストに魔術の心得が少しもないことはわかっている。
 いくら撃とうと、自分を傷つけられはしない。
 ローンバートの考えていたとおり、ロストは魔術は知らなかったが、魔に抗う術、魔を破る術なら知っていた。
 祈りをこめて放たれた弾丸が、不可視の障壁を破る。
 驚きのあまり見開いたその右目を、弾丸が貫いた。

 馬鹿な。

 そう思ったのを最後に、ローンバートの一命は絶たれた。

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