天児-アマガツ

 人もまばらな放課後の校内で、
「ったく、ツイてねーな」
 鈴木裕也(すずき ゆうや)はそう一人ごちた。
 彼の足元には、何冊ものノートが散らばっている。  裕也はぶつぶつ言いながら、ノートを拾い上げ、丁寧に名簿順に並べた。
 テスト最終日で、しかも翌日はサッカーの公式戦のため、練習時間も下校時間ギリギリまであった。
 部活が終わると急いで制服に着替え、自転車をこいで家に向かった。
 ざざっ、という音と共に、前輪が道に溜まっていた土で滑り、気が付いた時には、裕也は地面に横たわり、彼の上に自転車が横倒しになっていた。
 どうにか自転車を退けると、裕也はゆっくりと立ち上がった。ズキズキと足が痛む。
「くそっ」
 捻ったか、と思わず舌打ちをする。自転車もカゴと前輪が歪んでいた。
 家までは後百メートル程だ。普段の裕也なら、三十秒どころか、二十秒とかからない。しかし、今は足を庇いながら、そろそろと家に帰った。
 裕也の怪我は軽い捻挫で、医師は、二週間程安静にしていれば治る、と言った。しかし、当然翌日の公式戦には出られず、裕也はうつうつと日を過ごした。
 ようやく捻挫が治ってからも、裕也の周りでは悪い事が怒り続けた。
 足を滑らせて階段から落ちたり、暴走した車が彼に向かって突っ込んで来たり、という事があった。どの場合も怪我こそ軽いものの、少しずつ裕也は、出歩くのをやめていった。
 どうにか学校には行っていたものの、自転車通学は止め、一時間以上かけて歩いて登校するようになっていた。

 そんな生活が三週間続き、裕也はすっかりやつれていた。
テストの結果も悪く、まさに踏んだり蹴ったりだった。
 教育熱心で、裕也を一流大学に入れたいと思っている母親は、テストの結果が悪かった事にカンカンになり、週五日の塾を七日に増やし、一日のスケジュールも秒刻みで決めた。その上、部活も辞めろと言うようになった。
 父親は父親で、毎日朝早くから夜遅くまで仕事をしているため、裕也と話す時間などなかった。

 塾の帰り、手にした成績表を見ながら裕也は家に向かっていた。
 これを見たら、また母親がうるさいだろうと思いながら歩いていると、いつも通っている道のはずなのに、角を曲がり違えたのか、裕也は見覚えのない路地に入っていた。元の道に戻ろうとして、歩き出したものの、道が分からない。
 後ろを見ると、瓦屋根の平屋が建っていた。建物の前には白木の長椅子が置かれ、そこには一・五メートル程の長さの看板が置かれていた。看板には、大きく『呪屋』と書かれている。
 とりあえず道を教えてもらおうと、裕也は中に入った。
 「いらっしゃいませ、御客様」
 いきなり聞こえた声に、裕也は驚いて声をあげた。何とか気持ちを沈めて、声の聞こえた方向を見る。
 声の主は十二、三歳位に見えるおかっぱ頭の少女だった。
「私は、この店の店主をしております、彩雅(さいが)と申します」  子供らしい笑みと声でそう言った少女は、裕也を真っ直ぐに見て、その形の良い眉をひそめた。
「御客様。最近、危険な目に合われてはいませんか?」
「え……?」
  なぜ分かったのか、と聞くと、少女は一言、
「勘です」
とだけ答えた。
 それから少女は、最近裕也に起きた事を全て聞きだし、厳しい顔をした。
「御客様、最近、神社かお寺か、お墓でも構いませんが、そういった所へ行かれましたか?」
「えっと……、先月墓参りに行ったな。確か」
「では、その後で、どこかに行かれましたか?」
 裕也はしばらく記憶をたどってうなずいた。
「ああ、塾に行った」
「一旦家に帰ってから、行かれましたか?それとも直接行かれましたか?」
「えーっと、確か直接行ったな。時間が惜しいからって」
 何の気無しに少女を見て、裕也はまた声をあげそうになった。
 少女の顔はさっきの挨拶をした人物と同一人物とは思えない程ゆがめられていた。
 やがて、大きくため息をついた少女は、裕也に向かってぼそっと言った。
「御客様、このままでは、死ぬ事になりますよ」
「なんでだよ。そんなにヤバい事なのか?」
 少女は、心底呆れた、とでも言いたげな顔で言った。
「御客様、神社やお寺に参拝したら、帰りは寄り道をしてはいけないのですよ」
 もちろん、お墓もです、と呟いて、少女は難しい顔になった。
 ふと、裕也はある事に思い至った。彼に良くない事が起こり始めたのは、墓参りをしてからだ。初めは気にもしていなかったが、原因がその事にあるのなら。
「罰が当たった、って事か?」
 少女はうなずいた。
「じゃあ、このままだと、俺は死ぬ事になるのか?」
 少女は再びうなずいた。
「何とかならないか? 俺、まだ死にたくないよ」
 すると少女は、おもむろに立ち上がると、店の棚を物色し始めた。
 やがて、少女が持って来たのは、二十センチ程の木箱だった。
 蓋を開けると、中には着物を着た幼児の人形が一体入っていた。
「何、これ」
「天児(アマガツ)で御座います。古く、子供の傍に置いて、形代(かたしろ)として、子供の代わりに凶事を負わせたものです」
「……へえ。俺はこれをどうしたらいいんだ?」
「百日の間、これを枕元に置いて眠って下さい。そして百日経ったら、川に流して下さい」
 裕也はうなずきかけ、ある事を思い出した。
「俺ん家の近く、川無いんだけど………」
 少女はまた難しい顔でしばらく考え込んだ。
「なら、百日経ったら、ここに持って来て頂けますか? 厄流しを、こちらでいたしますので」
「ああ、分かった」
「それでは、五万円になります」
「はい?」
 いきなり言われ、裕也は言葉に詰まった。
「今、そんなに持ってないんだけど」
「なら、またいらした時で結構です」
 裕也はうなずき、箱を持って店を出た。出る前に少女に道を聞くと、真っ直ぐ行けば良い、との事だった。
 少女の言葉通りに真っ直ぐ行くと、すぐに元の道に出た。空にはもう、一番星が出ている。

 家に帰ると、いきなり母親の小言が飛んできた。
「何をしてたの! 一時間も時間を無駄にして! 今が大事な時期でしょう。あんたテストも悪かったんだから、最低でも他の子の倍は勉強しなきゃいけないのよ! さっさと部屋に戻りなさい!」
 裕也は母親の小言を聞き流し、部屋に戻った。今日の分のワークをやり終え、あの少女に言われた通り、天児(アマガツ)を枕元に置いて眠った。

 百日は裕也にとって、あっという間に過ぎた。その間にセンター試験が終わり、裕也は二次試験に向けて毎日勉強していた。
 百日後、少しでも勉強以外の事をしているとぶつぶつとうるさい母親をどうにかごまかし、裕也は呪屋へと向かった。
「いらっしゃいませ、御客様」
 店に入ると、前と同じように少女に迎えられた。
 少女は、裕也が差し出した天児(アマガツ)の入った箱を受け取り、側にあった包みを抱えて、裕也について来るよう促した。
 少女について行った先には、澄んだ水が流れる川があった。少女は包みを開いて、精霊舟(しょうりょうぶね)を取り出し、天児(アマガツ)をそれに乗せ、そっと川に流した。
 舟は静かに岸を離れ、ゆっくりと流れて行った。少女と裕也は、舟が見えなくなるまで手を合わせていた。
 店に戻ると、裕也は持って来ていた天児(アマガツ)の代金を払った。
「ありがとうございます。それでは御客様、御帰りになる際は、どこにも御寄りになりませんよう」
 裕也はうなずき、店を後にした。今までに無くスッキリした気分で、何もかも上手くいきそうだった。

 その後、裕也は第一志望の大学に無事合格した。
 それからも、彼は寺社に参拝する事があったが、少女に言われた通り、帰りに寄り道する事は一度もなかった。