2019バレンタイン-ナーヴェールの場合

 バレンタイン・デー。同名の聖人が殉教した日だとか、古代の風習が元だとか、起源は諸説あれど、少なくとも現代では、恋人たちの日である。

 そして恋人や親しい人に贈り物をする、という日である以上、商売人の多い三区がことに盛り上がるのは言うまでもない。

 例年同様、スウィートリートにはチョコレートの甘い香りが漂い、多くのカップルの姿があった。

 まだ付き合って間もないのだろう、初々しいカップルから、人目も気にせず仲良く語り合うカップルまで、その様子は様々である。

 そんな中、あちらの店からこちらの店へと歩き回る少年――ナーヴェールの姿があった。亜麻色の髪は所々跳ね、人の多さに、着ているくしゃくしゃの服はいっそうくしゃくしゃになりつつも、悪戯っぽい緑の目は、くるくると動いて店を物色していた。

 彼の目的は、言わずもがなチョコレートである。バレンタインには、多くの店がチョコレートを試食として配っており、日頃中々甘いものにありつく機会がないこの少年も、この日ばかりはたっぷりとチョコレートを味わうことができた。

 試食でもらったチョコレートをさっそく頬張りつつ、ナーヴェールはふと、とあるカップルに目を留めた。

 チョコを渡す女とそれを受け取る男、という、この日に限って言えば、しばしば見かける構図なのだが、男のほうがやけに、女に対して高圧的に接しているのが、ナーヴェールの注意を引いたのだった。

 女が渡そうとしていたチョコレートは、そのシンプルな、かつ少しばかり崩れたラッピングからして、どうやら手作りらしいのだが、男の方はそれを見て、やれ売っているものの方がきれいだしおいしそうだ、だとか、こんなダサいもの、よく送ろうと思ったな、などと、やたらに毒を吐いていた。

 チョコを頬張った口をもぐもぐさせながら、ナーヴェールは女の顔が、今にもべそをかきそうになるのを見ていた。

(なんだあいつ、女の子にあんなこと言ってら)

 口を尖らせ、しかめっ面で男を見やってから、ナーヴェールは何かを思いつき、にやりと悪戯っ気たっぷりの笑みを浮かべた。

 近くの店から、店頭に置かれていたビラを一枚取って、オーバーオールのポケットを探り、ちびた鉛筆を見つけ出す。

 にやにやしながらビラの裏に何事か殴り書いて、試食品のチョコが入っていた小袋を留めていたテープをそろりと剥がし、ビラの上部に張り付ける。

 できたものをにんまりと眺め、後ろ手に隠したナーヴェールは、小走りでそのカップルに近付いた。

「おにーさん、これ落としてない?」

 とんとん、とビラを持った手で男の背を叩く。

 もう片方の手でハンカチを見せながら、にこにこと、ナーヴェールは男を見上げた。

「いや?」

 そっかー、とうなずくナーヴェール。元よりハンカチは声をかけるきっかけに過ぎない。ビラがしっかりと男の背に張り付いているのを確認して、ナーヴェールは吹き出しそうになるのをこらえつつ、早足にその場から走り去った。そのカップルが見えないところまで来て、ようやく笑い転げる。

 その日、スウィートリートでは、『わたしは女の子にひどいことをゆうのがしゅみです』と書かれたビラを、背中にくっつけた男が見られたと言う。