Vengeance
その夜、ギムレットで流しをしていたユリンは珍しい客を見た。
ふらりと入ってきたその黒髪の男は、黒い神父服を身にまとい、手にはいかにも重そうな革の袋を下げていた。
(あ……)
その男の顔を見て、それまで無心で笛を吹いていたユリンの顔が、一瞬凍り付き、笛の音がわずかに狂った。もっとも、すぐに音程は正常のそれに戻り、一瞬の音色の乱れに気付いた者はほとんどいなかった。
一通り、客からのリクエストを消化し終えたユリンは、ごく自然な動作でカウンター席の隅に引っ込んだ。そんなユリンを、カウンターの向こうからジンがちらりと見、入ってきた男に声をかける。
「いらっしゃい」
「いや、客じゃあないんだ。実はさっき、この店の前でこれを拾ったもので。中をあらためて見たのだが、五十ドルくらいは入っているようだった。心当たりのある方はおられるか?」
店内はざわめいたものの、特に誰かが名乗り出る様子はない。
と、ドアの近くにいた男達のうち、一人が静かに外へ出て行った。
「マスター、しばらく待たせてもらっても構わないか?」
「おう、いいぜ」
ジンに軽く頭を下げ、男は近くの空いている椅子に腰かけた。客は男をやや遠巻きに見、男は男でわずかに俯いてはいたものの、その鳶色の目はじっと店内を観察していた。
そしてもう一つ、男に向けられる視線があった。それはカウンターの隅にいるユリンのもので、さりげない仕草に紛らせていたものの、彼女の青い目は、油断なく男を見ていた。
「知り合いかい?」
カシスオレンジを出すついでに、声を潜めてジンが訊ねると、ユリンはちょっと肩を竦めて見せた。
「もしかしたら、ですけど」
こちらも低い声で囁き返し、ユリンはカクテルを口に持っていく。
慌ただしい足音と共に、大柄な男がギムレットに駆け込んできたのは、そのときだった。
「マスター! この辺りに五十ドル入った財布が落ちていなかったか!?」
店中の視線が神父服の男に集中する。
「お探しの財布はこちらかな?」
神父服の男が掲げて見せた革袋を見て、大柄な男の顔が明るくなった。革袋が大柄な男の手に戻ったことは言うまでもない。
このとき、ユリンの目は、革袋を渡した神父服の男の目に、一瞬激しい感情の色が浮かんだのを見ていた。神父服の男の目は、大柄な男の腕に彫り込まれていた、狼の顔を意匠化したタトゥーに注がれていた。
男が何か礼をしたいと言うのを、初めは神父服の男は断っていたが、やがて、
「ゼウス様へのご寄進ならば……」
そう、言い出した。
大柄な男から五ドル札を受け取り、神父服の男は深く頭を下げてギムレットを出て行った。
その後で、大柄な男も店を出て行き、店の話題は、先の神父服を着た男のことに集中する。
神父にしたって、珍しい心がけだと言う者、話が上手すぎると言う者、反応は様々だ。
と、再びの慌ただしい足音が、外から聞こえてきた。
先刻出て行ったはずの、大柄の男が、憤怒の形相凄まじく、店の中に駆け込んでくる。
「さっきの神父、どこに行った!」
「とっくに出て行っちまったけど、どうかしたのか?」
「どうもこうも、これを見ろ!」
大柄な男が、手にしていた革袋を床に叩きつける。ばらりと床の上に散らばったのは、硬貨とほぼ同じ大きさに加工された金屑だった。客の口から、先とは別の意を含んだざわめきが起こった。
一人それに驚かなかったのはユリンで、二杯目のカシスオレンジを口に含みながら、ほとんど口を動かさず、やっぱり、と呟いたのを、ジンは見ていた。
あの神父服の男が来たら教えてくれと言いおいて、大柄な男は出て行った。
「やれやれ、とんだ狸がいたもんだな。騙される方も騙される方だろうが。ところでユリンちゃん、やっぱり知り合いだったのか?」
ジンがそうごちつつ、小声で質問を付け加える。
「知り合い、というか多分、あたしが一方的に知ってるだけだと思うんですけどね」
半分ほど残っているカシスオレンジのグラスを前に、ユリンはぽつぽつと語り始めた。
ユリンがその騙りの男を始めて見たのは、彼女がまだ“タオ”として、妓楼にいたときのことだった。
どこかの座敷で引いているのだろう、楽の音を聞くともなく聞きながら、外を眺めていると、身なりをきっちりと整えた男が入ってきた。男は今夜と同じように、濃茶の髪をきっちりと撫で付け、鳶色の目が油断なく周囲を観察していた。
そんな様子で女を買いに来るような客は珍しく、故に男はユリンの目に留まったのだった。妓楼に入っておきながら、男は妓を買いに来たのではないらしかった。番頭と話す様子からそれと悟り、では何の用だろうかと、外を見る振りで耳をそばだてる。
「ここの前で、つい先ほど封金の包みを拾ったのだが、心当たりのある方はおられるか?」
男が出して見せたのは小さな袱紗包みで、話からすると、中には封金が包みこまれているようだった。
このときも、間もなく落とし主と称する人間が現れ、その封金は落とし主の手に戻った。
この先はユリンも伝聞で、実際に見たわけではなかったが、何でもその封金の金でいつもより豪勢に遊ぼうとした彼は、後になってそれが贋金であると分かり、ひどく面目をなくしたらしい。
その封金は運良くユリンも見る機会があったのだが、それは楕円の箱型に成形した木の中に金屑を入れて重みをつけ、本物そっくりの表書きで包んだもので、ユリンも思わず嘆息するほどの出来栄えだった。欲を出して騙される方も騙される方だが、これでは騙されるのも無理はない、とユリンは思ったものである。
ユリンの話を聞き終え、ジンはふむと声を漏らした。
「ずいぶん割に合わないやり口だな。手に入れられる金も少ないし、もうちょっと利口なやり口がありそうなもんだ」
その話は結局これで終わってしまい、ユリンも今日はこれまでと家に帰ることにした。
夜道で灯りも少ないが、辿り慣れた道ではある。
「おい」
後ろからかけられた声に、ユリンは足を止め、背後を伺った。闇の中から滲み出るように、先の騙りの男が現れる。
「何です?」
「お前、俺を知っているのか」
殺気を湛えた鳶色の目が、じろりとユリンを見た。
「いいえ」
「ふん、その割に、やけに俺を見ていたじゃないか」
「いやあ、一区の神父様が四区に来るの珍しいなあって。ほら、一区の人ってあんまり四区にいい印象持ってないって聞くし」
意識的に笑顔を向けるユリン。男は冷ややかにユリンを見ていたが、ややあってまた口を開いた。
「まあいい。狼のタトゥーを腕に彫った男を知らないか?」
「知らないですね」
男は一瞬、鋭い目でユリンを見たが、やがて、そうか、と呟き、踵を返して闇の中へと消えて行った。
四区でそんな騒ぎがあった翌日、ナーヴェールは金屑を入れた袋を手に、知り合いの屑買い人の元へと向かっていた。普段は店の使い走りなどをしているナーヴェールだったが、地下東区やその周辺で、金屑や何かを探してきては、それを売って金を得ることも多かった。
「やあ、そんなに急いでどこに行くんだ?」
「これを売りに行くんだよ」
これ、とナーヴェールは袋を掲げ、話しかけてきた黒髪の男に見せた。中で金屑がぶつかり、硬い音を立てる。
「金物かい?」
「くず鉄とか、なんかそんなのだよ」
「ふうん、そういうのはいくらで売れるんだ?」
「んー、こんくらいなら二ドルくらいかな。何、兄ちゃんもこういうの売りに行きたいの? 大人なんだし、ちゃんと店で働いたほうがいいんじゃねーの? 何なら知り合いの店、紹介してやろーか」
小生意気なナーヴェールに男は苦笑したものの、さして怒りはしなかった。
「いや、そういう訳じゃないんだ。なあ坊や、どうだろう、その金屑、十ドルで売ってくれないか」
「……へ?」
男の言葉に、ナーヴェールはぽかんと口を開けた。無理もないだろう。一、二ドル程度で売れれば良い金屑を、十ドルで買うと言われたのだから。
「……いや、金屑だよ? いいのか?」
「ああ、ちょうど金屑が入用だったんだ。さ、代金だ。買わせてもらうよ」
十ドル札をポケットに入れ、袋を男に手渡すと、男はありがとう、と微笑んで立ち去った。残ったナーヴェールはかしかしと髪をかき回し、変なの、と呟いた。
男に再会することはないだろうと思っていたナーヴェールだったが、同じ日の夜にその予想は外れることになる。
夜、ナーヴェールは夕食を取りにアナグマキッチンにやって来ていた。最近は体調が良いからと、紺の着流し姿のアツヤも一緒にアナグマキッチンにやって来ていた。
夜とはいえ、アナグマキッチンは賑わっている。ナーヴェールとアツヤはそれぞれハンバーグとリゾットを頼み、空いている席に座った。
内心の興奮を顔にも表しつつ、店の中を見回していたナーヴェールは、カウンターの近くにレディバードがいるのを見つけた。
なおもきょろきょろと店の中を見回すナーヴェールを、アツヤが軽く小突いて大人しくしていろと囁く。それでとりあえず、店の中を見回すことはやめたナーヴェールだったが、それでも時々カウンターの向こうで店主のリュリュが調理する姿をちらちらと見ていた。
その子供らしい様子に、いつになくアツヤが口元を緩めたとき、また一人、客が入ってきた。黒髪に鳶色の目、労働者然とした服装の男を見て、アツヤの顔が瞬時に険しくなった。
「こんばんは、ついさっき、この店の前でこれを拾ったんだが、心当たりはないか?」
男は手に持っていた、白い封筒を掲げて見せた。
「中を改めさせてもらったんだが、五十ドルほど入っているようだった。誰か、落とし主を知らないか?」
名乗りでる者がいない代わりに、一人の客がそっとアナグマキッチンを出て行った。
「この辺りで誰か落とされたのだったら、その内落とし主の方が来るかもしれませんし、しばらくここで待たれてはいかがですか」
リュリュの勧めに、男はそうさせてもらおう、と近くの空いている席に腰かけた。
「何か……ああ、この、オニオンスープをもらおうか」
「かしこまりました」
リュリュと男のやり取りを他所に、アツヤはじっと男を睨むように見続けていた。ふとそれに気付いたナーヴェールはアツヤの視線の先を辿り、男を見つけてその緑の目を大きく見開いた。服装は変わっていたが、見間違えるはずもない。昼間、ナーヴェールから金屑を十ドルで買っていった男だ。
「あの、野郎……」
低い声でアツヤが呟いたとき、リュリュが頼んだ二品を運んできた。
「お待たせしました」
リュリュの声に、はっとしたようにアツヤが料理を受け取る。いただきます、と言うが早いか、ナーヴェールはさっそくハンバーグにかぶりついていた。その様子を見ながら、アツヤも添えらえていたスプーンでリゾットをすくって口に運んだ。
「美味い、な」
アマグマキッチンの人気メニュー、オニオンスープを利用して米を炊き、溶き卵を落としたリゾットは、あまりこういったものを食べつけないアツヤでも、美味しいと感じるものだった。
「だろ? ここのは何でも美味いんだぞ!」
口の周りをソースだらけにしつつ、ナーヴェールがにやりと笑う。
そこへまた一人、客が入ってきた。
「すまない。ここの前でさっき金の入った封筒を落としたんだ。誰か知らないか?」
客の言葉に、店内がざわめく。
「これじゃないか?」
ちょうどオニオンスープを飲み終えた黒髪の男が封筒を差し出すと、客の顔が明るくなった。
「いやあ助かった! こいつは礼だ、受け取ってくれ」
客は男に五ドル札を渡すと、男は気にしないでくれと手を振り、勘定を済ませて店から出て行った。
「ちょっといいか」
封筒をしまい込んだ男に、席を立ったアツヤが声をかける。
怪訝そうな顔で見返した男に、アツヤは言葉を続けた。
「封筒の中を確かめてみてくれないか。……あの男、騙りかもしれない」
眉を顰めつつ、封筒を取り出し、中から札束を引き出した男の顔色がさっと変わった。封筒の中に入っていたのは、札束ではなかった。紙と薄い木の板、そして小さな金屑を使って精巧に作られた、札束の模造品だった。
罵倒の言葉を口にしながら、男はアナグマキッチンから走り出て行った。
「ちょっといいかな。どうして君はあれが詐欺だって分かったんだい?」
カウンターの近くの席から、一部始終を見届けていたレディバードがアツヤに訊ねる。
「前に、あの男が同じやり口で金をせしめたのを見たことがある」
「じゃあ君は、詐欺だと知ってて黙ってたのか?」
「……詐欺かどうか確かめるには、持ってきたものの中を確かめる他にないだろう。それをやって、客足が遠のいた見世を知っている。迂闊に声をかけられなかった」
きり、と歯を噛むアツヤ。レディバードも一つ溜息を吐く。
「とにかく、このことは他の店にも知らせたほうがいいね。店に被害が出たら大変だし」
「ああ。手口はいつも同じだ。店の前で大金を拾ったと言って、それを受け取りに来た奴から礼金をせしめる。欲張りほど引っかかる理屈だ」
皮肉気なアツヤの言葉にちょっと顔をしかめ、レディバードは厨房のリュリュを振り返った。
「さっきの男、ここに来たのは初めてかい、リュリュ?」
「ええ、今日初めて見ましたよ」
「ボクもこんな手口は聞いたことがない……たぶんアイツは、外から最近来た人間だろうね。誰か、これまでにアイツを見たことがあるかい?」
「俺、昼間に出会った!」
ぴょんと椅子から飛び降りたナーヴェールが手を挙げ、やや早口に昼間の出来事を語る。
そこへ、
「こんばんはー、って、何かあったんですか?」
ひょっこりと、ユリンが鉄笛を手に姿を見せた。アツヤを見て、思い切り嫌そうな顔になったものの、話を聞いて、そう言えば、と口を開く。
「昨日、ギムレットにその人来てましたよ。それも全く同じ用事で」
「止めなかったのか、タオ」
「そりゃ止めてないけどさ、君には言われたくないな、それ!」
一瞬で険悪な雰囲気になった二人だったが、リュリュが宥めてどうにかその場をおさめた。
ユリンは口を尖らせながらも適当な席に座り、パスタを頼む。
「とりあえず、特徴としては黒い髪と鳶色の目の男、か」
レディバードがメモをする傍で、ユリンが小さく、あ、と声を漏らした。
「参考になるかどうか分かんないけど、その人、誰か探してるみたいだった」
「誰かを?」
「うん、詳しくは知らないけど」
「ありがとう。……それにしても、一体何が目的なんだ?」
レディバードの呟きは、全員の考えでもあった。
数日後の三区で、夜の闇の中を進む人影があった。歩調に合わせて黒い髪が揺れ、鳶色の目は油断なく辺りを見回している。
その男――ラースの肩を叩く人影があった。振り向いてその人影を改めたラースの顔の上を、憎悪が通り過ぎた。
「おい兄ちゃん、良くも騙してくれたな!」
その男は、以前ギムレットで、ラースに五ドルを騙し取られたあの男だった。
「お前がしたことだろう」
「何だと!」
男がラースの胸倉を掴み、引き寄せる。次の瞬間、男の悲鳴が周囲にこだました。ラースに肩をナイフで刺されたのである。
「どうした!?」
悲鳴が聞こえたのだろう、落ち着いた赤髪の、作業着を着崩した大男が顔を見せた。この時とばかり、ラースが声を張り上げる。
「助けてくれ、殺される!」
猛然と駆け寄ってきた大男――クラップは、むんずと男の襟首を掴み、強引にラースから引きはがした。そのせいでラースの襟元も破れはしたが、少なくとも自由にはなった。
「邪魔をするな!」
男が袖をまくり上げ、狼のタトゥーを露にする。それを見たラースは顔に憎悪を宿し、クラップが止めるより早く、腰につけていたケースから別のナイフを抜き出し、男に飛び掛かった。
虚を突かれた男が気付いたときには、ラースの手に握られていたナイフが、深々とその胸に突き立っていた。
心臓を貫かれて絶命した男に、ラースは幾度もナイフを振り下ろす。
「おい、お前!」
止めようと手を伸ばしたクラップに振り返り、ラースは既に狂気に堕ちた鳶色の目を怒らせて、ナイフを今度はクラップに向けて突き出した。
とっさにクラップはその腕をはねあげる。戦闘の技術こそ持たないものの、長年鍛えられた筋肉と、それがもたらす力は並みではない。実際、腕を大きくはねあげられたラースは、大きく姿勢を崩した。たたらを踏んで倒れることだけは避けたラースの鳩尾に、一歩踏み込んだクラップの拳が打ち込まれた。
その一打で意識を奪われたラースがくずおれる。少し考えていたクラップは、ラースを軽々と担ぎ上げた。
そこへ、ぱたぱたと走ってくる足音と共に、レディバードとナーヴェール、ユリンが姿を見せた。
「クラップ……何があったんだ?」
「おう、いいところに来たレディ。こいつを寝かせておける場所、近くにないか?」
状況が呑み込めない三人だったが、やがてナーヴェールが家に空いている部屋があると声を上げた。
ナーヴェールを先に立てて、彼の家に向かう。一階の居間のソファで寝ていたアツヤが身体を起こし、ナーヴェールだけでなく、レディバードやユリン、そして見覚えのある男を担いだクラップという面々にぽかんと口を開けた。状況が状況だからか、ユリンに嫌味をぶつけることも忘れているらしい。
アツヤが寝ていたソファから降り、そこにラースを寝かせる。
クラップがあったことを説明していると、低い呻き声と共にラースが目を開いた。ゆっくりと目を動かし、鳶色の目が五人を見た。
「よう、具合はどうだ?」
ゆっくりと、ラースの目がクラップに向く。ラースはどうやら平静に返っているようだったが、その分、自分がどこにいるのか分からず、戸惑っているようにも思われた。
「ええ、と、ここは?」
「ここ、俺ん家」
対面のソファの端に腰かけ、ナーヴェールがラースの言葉に答えた。それと入れ替わるように、すっとレディバードが身を乗り出すようにして切り込んだ。
「このところ、金を拾ったと言って人を騙していたのは君だね?」
ラースの目に、一瞬鋭い光が戻ったが、すぐにその光は薄れた。疲労と悲嘆が混じりあったような面持ちで、ラースはゆっくりと頭を縦に振った。
「どうしてこんなことを? 金を得るためじゃないだろう? 金を得るためなら、もっと上手いやり方があったはずだ」
「……あの男を探すためだ」
ちろりと唇を舐め、ラースはぽつぽつと語り始めた。
ラース・シェルドンはコンコルディアの南にある町で生まれた。実家は料理屋を営んでおり、彼も幼い頃から、両親の手伝いをして暮らしていた。
そんなある日、店に、腕に狼の意匠のタトゥーを入れた男が客として入ってきた。その男は、ラースの目の前で、彼がしたのと同じような騙りをして見せたのである。
それに引っかかった別の客と、店の主人だった父親の間で諍いが起こり、父親は幼いラースの目の前で、逆上した客に心ノ臓を一突きにされ、殺害されてしまったのである。
それからは店の経営も思わしくなく、一年を経たずして母親は店を閉めることになった。
その後母親も過労で世を去り、一人残されたラースは、荒んだ生活を送りつつも、男への恨みを胸の底に温めていた。男があんな騙りをしなければ、少なくとも父は死なずに済んだのだ。
あちらこちらを流れ歩き、男がしたような騙りを自身も働きながら、ラースはひたすら腕に狼の意匠のタトゥーを入れた男を捜し歩いていた。
そしてコンコルディアで、ラースはついにその男を見つけ出した。そして声をかけられたとき、彼が胸の底で温め続けていた恨みが爆発したのだった。
「……事情は分かったけど、同じ詐欺をすることないじゃないか」
レディバードの言葉に、ラースがせせら笑う。
「敵を探すために、復讐のために、どんな手を使おうが俺の勝手だ。お前達に俺のやり口をどうこう言う資格があるのか? どうせこんな場所に住むお前達は、ろくでもないことに手を染めているくせに」
「俺は言うぞ! お前は変だって、そう言うぞ!」
声を上げたのは、ナーヴェールだった。まだ声変わりが始まっていない、少女のような甲高い声が部屋に響いた。
「だって同じことをしてんだろ! 同じように、人を騙してたんだろ! だったら……だったらお前みたいに、親を殺された奴がいるかもしんないだろ!」
ラースの目が、一度大きく見開かれた。ゆっくりと、その目が激情に彩られる。
「うるさい! ガキに何が分かる!」
「バカにすんなよ! 親を目の前で殺されたのは、お前ばっかりじゃないんだぞ!」
悲鳴のような声だった。少年の事情を知るユリンとアツヤは、はっと顔を凍り付かせ、ラースもその意味を理解したのだろう、潮が引くように、その目から激情が引いて行った。
すっとラースは肩を落とした。全てに疲れきったような、そんな雰囲気が現れていた。
翌日、白々と夜が明けかかる頃、コンコルディアを遠くに臨む道に、ラースの姿があった。
彼を見逃す代わりに、二度とコンコルディアに現れないこと。それが、レディバードが出した条件だった。
「もしまた来たら、その時は覚悟しておいてもらうよ」
レディバードが念を押すように付け加えた言葉を思い出し、ラースは一人、口の端で笑った。
「来ようとも思わないさ、もう二度と」
一歩、また一歩、ラースは歩みを進める。やがて彼の姿は、朝霧の中へと消えて行った。