ナーヴェールのホワイトデー

 三区のスウィートリート。ホワイトデーを翌日に控えているためか、綺麗にラッピングされたキャンディやクッキーが並んでいる。

 カラフルなロリポップ、一つ一つセロハン紙に包まれた一口キャンディ、ドライフルーツが入ったキャンディ、アイシングで飾られたクッキー、動物の形をしたクッキー、ジャムサンドクッキー、マーブル模様のクッキー、市松模様のクッキー……。バレンタインのときほどの賑わいではないが、それでもバレンタインのお返しを買うために来ているのだろう、辺りは小さな包みや袋を持って歩いている人間――専ら男性だ――が多い。

 ナーヴェールはオーバーオールのポケットに手を突っ込んだまま、口を尖らせてあちこちの店を見て回っていた。

 バレンタインにもらったチョコのお返しに、と、お菓子を選びに来たはいいが、元々そういったことに縁のないナーヴェールは、こんなときは、女の子に何を渡せばいいのか、と悩んでいた。

「あ、ねえ、ナーヴェ!」

 呼びかける声に辺りを見回す。近くの店から、毛先だけを赤く染めた黒髪の女が、ナーヴェールの方に顔を向けて手招いていた。

 エリス・デア。以前、ナーヴェールが知り合いになった女だ。

「ちょうど良かった。ちょっと手伝ってくんない?」

「何を?」

 小首をかしげたナーヴェールの問いに、エリスはにっこりと笑って答えた。

「クッキー作り!」

 

 

 クッキーの専門店『Dare’s Oven』。名前の通り、ここがエリスの実家らしい。

 店に入ると、ふわりと甘い匂いが鼻をついた。

 ショーケースの中だけでなく、上にもクッキーの入った籠が並んでいる。

 その中で、ナーヴェールの目を引いたのは、ショーケースの真ん中にあるクッキーだった。

 丸いクッキーの中央に、二回りほど小さな穴が開いている。そこに赤や黄色など、色とりどりの丸いものがはまっている。

 初めはジャムか何かかと思ったが、はまっているものはごく薄いものなのか、向こうがぼんやりと透けて見える。

(これなら……)

「それ、気になる? 綺麗でしょ。ウチの新商品なんだ。そうだ、お駄賃、いくら欲しい?」

 そう言うエリスは、既に白いエプロンをつけ、頭にも白い帽子を被っている。

「あのさ、お金の代わりに、これ、くんない?」

 そのクッキーを指差して聞く。エリスはナーヴェールとクッキーとを見比べ、それから何か得心がいったと言いたげに頷いた。

「いいよ。いくつ欲しい?」

「三つ……や、四つ」

「四つね、オーケー。そんじゃこっち来て、エプロン着けて」

 ナーヴェールには少し大きいエプロンを着け、帽子を被る。

 手を洗った後で、エリスに連れて行かれたのは厨房の一角。

 ゴムシートが張られた調理台の上に、ハンマーと赤、青、黄色、緑と色ごとに分けられた飴が入ったボウル、空のボウル、ビニール袋が置いてある。

「何すりゃいいの?」

「そこの飴を袋に入れて、ハンマーで叩いて砕いてほしいんだ。砕くだけだから、簡単だよ。砕いたやつは色で分けて、そっちのボウルに入れておいて。あと、怪我には気を付けて」

 話を聞いて、とりあえず赤い飴を袋に入れ、上からハンマーで叩いてみる。元々ある程度細かくなっていたせいもあり、砕くのはさほど難しいことではない。

 ナーヴェールが飴を砕いている間、エリスは厨房をあちこちと動き回っていた。

 向こうでアイシングを手伝っていたと思ったら、あちらで焼き上がったクッキーをオーブンから出し、こちらに戻ってきてナーヴェールの様子を見、また別の場所で生地をこねる。

 厨房には二人の他にも、それぞれの作業をしている者はいるが、エリスが一番忙しそうに見える。

「うん、それくらいでいいよ。残りもよろしく」

 幾度目かにナーヴェールの様子を見に来たとき、ざらめ糖くらいの大きさに砕けた飴を見てエリスが頷く。

 ぱたぱたと手を振りながら、ナーヴェールは砕いた飴を空のボウルに入れた。

 その後、同じように残りの飴も砕く。最後の黄色い飴を砕き終えたときには、ナーヴェールの腕はすっかり疲れていた。

「お疲れ。そうだ、あのクッキー、どうやって作るのか見せてあげる。飴持ってきて」

 言われた通り、飴のボウルを持って隣の調理台へ移る。そこには薄く伸ばされたクッキー生地が寝かされている。

 エリスは慣れた手つきで丸く型抜きし、さらに中心を二回りほど小さな抜型で丸くくり抜く。ドーナツ型になった生地を、オーブンペーパーを敷いた天板に並べ、生地に空いた穴に、ナーヴェールが砕いた飴をばらばらと入れていく。

「後は焼くだけ、っと」

 クッキーが焼き上がるまでの間、ナーヴェールは伸ばした生地の型抜きをしていた。金属の型を押し込んで持ち上げると、そこにぽっかりと穴が開く。

「よし、そろそろだね」

 オーブンから出された天板の上に並ぶクッキーを見て、ナーヴェールは思わず感嘆の声を上げた。ショーケースで見たのと同じクッキーが、ずらりと並んでいる。

「ガラスがはまってるみたいでしょ」

「うん。すげえや」

 ふふっと笑ったエリスは、腰に手を当てて一つ伸びをした。

「さあ、仕事はまだあるよ!」

 手伝いが終わったのは、すっかり夜になってからのことだった。手伝ってもらってクッキーだけじゃ、と夕飯もご馳走になり、ナーヴェールは満足げな表情を浮かべている。

「はい、これ」

 帰る間際、エリスが渡してくれたのは、約束のクッキーの袋。綺麗なラッピングが施され、持ち歩きがしやすいようにと、小さな紙袋に入っている。

「ありがとね、ナーヴェ」

「へへ、またいつでもやってやるよ」

 袋を振り回さないように気を付けながら道を行く。クッキー部分はともかく、飴の部分は割れやすいことを、今日一日でナーヴェールは学んでいた。

 

 

 三月十四日、ホワイトデー。朝から家の中を落ち着きなくうろうろしていたナーヴェールは、夕方になってようやくクッキーの袋を手に家を出た。

 Soleilの場所は知っている。行ったことはまだ、ないけれど。

 早足に道を急ぐ。もう閉まっているかと思ったが、Soleilにはまだ灯りがついている。

 ぐっと唾を飲んで、店の中に入る。

 柔らかな灯りに照らされた店内を見回す。牡丹の姿は見えなかったが、奥に茶髪の女性――店主のフレア――がいることに気付いた。早足で駆け寄り、紙袋を突き出す。

「これ、ここの子に。チョコ貰ったから、お礼」

 フレアが何か言う前に、ナーヴェールはくるりと踵を返すと、脱兎の如くSoleilを飛び出した。

 走って走って、息が苦しくなる頃に家に帰りついた。真っ赤になっている顔を見られるのが嫌で、静かに扉を開けて、ナーヴェールは階段下の寝床にすっぽりと潜り込んだ。