アイラの心
教会で会ってから二日後、ルイン婦人と、息子のノルが双子の家を訪ねて来た。
二人とも、分厚いコートを羽織り、ノルは更にマフラーと耳当てを着けていた。
「随分不便な所に住んでおられるんですねえ」
開口一番、ルイン婦人が不満げに漏らす。リウが聞こえないふりで笑顔を作り、暖炉の傍の椅子を勧める。
一番暖炉に近い場所にノルを座らせ、婦人がその隣に腰掛けた。
「こちらの暮らしは如何ですか?」
紅茶を淹れながら、リウが愛想良く訊ねる。
「ええ、やっと慣れてきましたよ。ノルも何人かお友達ができたみたいですしね」
少年は、暖炉の上に置かれている鳥の木彫りを眺めている。
横目で少年を見やって、ルイン婦人はティーカップを手に取った。
「美味しいお茶ですね」
「ありがとうございます」
婦人の茶色い目が、無遠慮に目の前の三人を眺め、アイラの所でぴたりと止まる。
今は屋内にいるため、アイラは首元に巻いているスカーフを外していた。故に、首元の“門の証”が、少し覗いている。
それを目ざとく見つけて、すい、とルイン婦人が眼を細めた。
「ちょっと、あなた。何のつもりですか?」
刺々しい言葉を向けられ、アイラが首を傾げる。
「……何が?」
「その首の、刺青ですか? おかしなものを晒さないでください。うちのノルが、それで影響を受けたら、どう責任を取るおつもりですか?」
「私にとっては大切なものだ」
ルイン婦人の言葉にはカチンときたものの、アイラもこの場で怒鳴らない程度の分別はある。それでも、抑えきれない苛立ちに、自然と声は低くなった。
ルイン婦人は渋面を作り、アイラを睨む。
「それでも、他の人にとっては不愉快なものなんですよ。どうして周りのことを考えないんです?」
良く言うものだ。
(不愉快なのは自分だけだろうに)
喉まで出かかった言葉を飲み込み、冷たい灰色の目で、ルイン婦人の、嫌悪の視線を受け止める。やがてふいっと視線を逸らしたアイラはゆっくりと立ち上がり、玄関へと向かった。
「アイラ、」
かけられたミウの声に、ひらりと手を振って応える。そのまま外に出て、後ろ手に、ドアを閉めた。
空は曇ってい、はらはらと、白い雪片が落ちてくる。
何も着込んでいないため、冷たい空気が肌を刺す。それにも構わず、アイラはしゃがんで雪をすくい、かっかと熱を持っている額に押し付けた。
体温で、掴んだ雪は次第に溶けていく。冷たい水が、腕を伝い落ちる。
大きく息を吸うと、寒さが身体に染み込んでいく。
雪を踏みながら、その場を離れ、足に任せて歩き出す。今は、一人になりたかった。
雪はどんどん激しくなってくる。花弁のような、大きな白片は、静かにアイラの上に降り積もる。
ルイン婦人に言われたことを思い出す。以前も白い目で見られたことはあったし、言い掛かりを付けられたのも、一度や二度では無い。
文句を言う人間は、決まって『皆』や『他人』をダシにする。実際は、自分の意見であることを隠して。
(全く、自分が嫌なのだと言えば良いものを)
“門の証”はアイラの誇りだ。他人がそれをどう思おうが、影響されようが、アイラの知ったことではない。
大きく溜息を吐く。暗い感情が渦巻いて消えない。抑え続けるのも、早晩限界が来る。
(何も感じなくなれればいいのに)
やるべきことをやるだけで、そこに何も思わなくなれば、きっと今より楽になるだろう。
「アイラさん!? どうされたんですか、そんな格好で!?」
不意に耳に届いた声に、驚いて顔を上げる。傘をさしたエヴァンズ牧師が、目を丸くして立っていた。
どうやら、歩き回るうちに、村の近くまで来ていたらしい。
「いや……別に。あんたはどうしたんだ」
「ええ、少し外出をしていまして。とにかく家へおいでください。そのままでは凍えてしまいますよ」
ん、と頷いて、牧師の後から歩き出す。
牧師館に着くと、サリー夫人が出迎えに現れた。アイラの姿を見て、一瞬驚いた顔になったものの、すぐにその表情は笑顔に戻る。
「寒かったでしょう。どうぞお入りください」
部屋の中は暖かくて、寒さで強ばっていた身体が少しずつ解けていく。
「喧嘩でもなさったんですか?」
「いや」
湯気の立つ紅茶を飲みながら、アイラは牧師の問いに首を振った。
「では、あのお二人に、何かあったのですか?」
再び首を横に振るアイラ。部屋が暖かいのと、熱い紅茶のために、顔には血の気が戻ってはいたが、その表情はどこか晴れない様子だった。
そもそも、外で見かけたときから、アイラは何があったのか、ひどく張り詰めているように見えた。辛うじて行く道を踏み外していないだけ、そういう風に思われた。
アイラの様子を見ていたエヴァンズ牧師は、目顔で夫人に去るよう言いつけた。
二人きりになった部屋で、エヴァンズ牧師はアイラと差し向かいになるよう座り直した。
「アイラさん、何か悩み事がおありですか?」
「……悩み?」
「ええ。何だか、沈んだ御様子でしたから。もし何か、お力になれればと思いまして」
「…………」
アイラは黙っていたが、灰色の瞳は、一瞬戸惑うように揺れた。
「わだかまりがあるのなら、話してみてください。人に聞いてもらうだけでも、少しは楽になりますよ」
「…………分からない」
ようやく、アイラの口から言葉が落ちる。
「自分がどこにいて……何をすべきなのか分からない。あの二人に、家族だと言われたのは……それは、嬉しかったけれど……それを喜んだことに、腹も立っている。……だから余計に、どうしたらいいのか分からない」
ぽつぽつと、言葉を押し出す。ためらいがちに話すアイラの顔は、どこか疲れているように見えた。
「それは、お辛かったですね。いつから、そう思われるようになったんですか?」
「……さあ? ……一人になってから、かもしれない。……雪もやんだようだし、失礼する」
アイラが帰ろうとしたとき、サリー夫人が厚いショールを持って現れた。
ショールを借り、外に出る。変わらず寒いが、それでも少しはましだ。
「アイラ!」
ようやく帰りついてドアを開けると、ミウの声が飛んできた。あっという間に中に引っ張りこまれる。
客は既に帰ったのか、姿はない。
「そんな格好でどこ行ってたの!? 早く着替えて、もう」
素直に服を着替える。その間にリウも台所から顔を見せ、アイラを見て眉を上げる。
「お帰り。ちょっと待ってて」
少しして、リウがココアを持って来た。差し出されたカップを受け取り、口をつける。
「どこに行ってたの?」
「村の方」
まあ、とリウが呆れた声を漏らす。
「……ごめん」
ぽつりと謝罪を口にする。小突かれて顔を上げると、目の前にはミウの顔があった。
「あんまり思い詰めた顔だったから、戻って来ないんじゃないかと思っちゃった。最近何だか思い詰めてるみたいだけど、どうかしたの?」
「……どうも、しないよ。ちょっと、休んでくる」
身体が温まったのはいいが、それと同時に、アイラは鈍い頭痛に襲われていた。
立ち上がって歩きかけたとき、どこかで大きな音がした。視界がふっと暗くなる。
我に返ると、双子が不安げに覗き込んでいた。アイラは部屋のベッドに寝かされてい、額には湿らせた布が乗っていた。
「大丈夫?」
ミウに聞かれ、頷く。リウが静かに部屋を出て行った。
起き上がろうとしたアイラだったが、ミウがそれを止める。
「熱があるんだから、寝てなよ」
素直に身を横たえる。うつらうつらとしながらも、アイラの感覚は、そばにいるミウの気配を感じ取っていた。
しばらくして、増えた気配に目を覚ます。カップを手にしたリウが戻って来ていた。
「薬湯作ったから、飲んで」
ベッドに手をついて身体を起こし、リウからカップを受け取る。
冷ましながら、苦い中身を飲み干す。
「寒いところにずっといたから、熱が出たんでしょう。しばらくゆっくり休んでなさいな」
ん、と頷いたものの、借りたショールのことが気にかかる。それを口にすると、リウが笑って、返しておくわと答えてくれた。
やがてアイラは、静かに寝息を立て始めた。熱のせいか、普段より赤い顔は少ししかめられている。
カップを片付けにリウは部屋を出、ミウが残ってアイラの様子を見守っていた。
それまでは静かに寝ていたアイラが、不意に顔を歪め、小さく苦しげな声を上げる。
額に浮いた汗を拭い、布を取り替えようと取り上げたとき、荒く息をしながらアイラがぱっと目を開けて飛び起きた。
灰色の目がミウを見て、幾度か瞬く。
「大丈夫?」
「あ、ああ、うん」
肩で息をしながら、アイラが頷く。
ミウから濡らした布を受け取って、額の汗を拭く。
「何か飲む?」
「いや、いい。もう少し休む」
「そう。お休み」
横になると、ミウが額に濡らした布を置いてくれた。その冷たさを感じつつ、アイラはまたうとうとと、睡魔に身を任せた。
→ もう一人の家族