カチェンカ・ヴィラ(中編)

 アイラとヤツト。再び対することになった二人は、一見すると正反対の態度を取っていた。

 殺意でぎらついた両眼でアイラを睨むヤツト。その視線を受け流し、自然体で立つアイラ。

 二人にただ一つ、共通する点があるとすれば、それは、二人の放つ殺気に他ならない。

 互いが互いを敵とみなし、殺すために殺気をぶつけ合う。

 誰も二人の邪魔はできない。ただ遠巻きに、見ているだけだ。

 強く地を蹴り、間合いに飛び込むようにして距離を詰めるアイラ。ヤツトがすぐに反応し、手にした短剣で切りかかる。

 ひらり、ひらりと、アイラはかつて『舞闘士』と呼ばれた養父を彷彿させる、舞うような動きで攻撃を避ける。

「なぜ邪魔をする! 何の関係もないくせに!」

「……リイシアとは既に関わった。関わった以上、放ってはおけない」

 言い終わらないうちに振られた剣を、飛び上がってかわす。

 同じ場所に留まることなく、ヤツトの周囲を回りながら、時折殴打を加える。

 ヤツトも避けてはいるが、それでもアイラの打撃は打ち込まれる。

 アイラの方は、ヤツトの攻撃を全て避けきっている。玉散る刃は、特に変わったところはない。おそらくは、何の仕掛けもない普通の短剣だ。

 普段なら、多少傷を受けても突っ込むところだが、油断はできないと、アイラは攻撃を避けることを優先させていた。

 ヤツトの振るう短剣は、『毒が塗られていないように見える』だけで、『毒が塗られていない』と決まったわけではないのだ。

「お前に何が分かる! 何一つ、失ったことなどないお前のような奴に!」

 そう叫びながら短剣を突き込んでくるヤツト。

 危なげなくそれを避け、少し距離を取ったアイラは、ヤツトを嘲るかのように、ふん、と一つ鼻を鳴らした。

「私が何も失っていない? まさか。何もかも失ったから、私は今、ここにいる」

 それを聞いて、ヤツトも、ランズ・ハンでの襲撃を思い出したらしい。

「失う痛みを知っているなら、その原因を作った奴に、復讐したいという、俺の気持ちも分かるだろう! そこを退け!」

「失う痛みは知っている。復讐心も理解はできる。……だがな、その矛先を、何の罪咎もない人間に向ける貴様の感情など、理解したくはないし、しようとも思わない!」

 真正面からヤツトを怒鳴りつける。ヤツトの顔が、怒りに染まった。それでも、アイラは言葉も手も止めない。

「子供に何の罪がある。リイシアに何の罪がある! 罪を問うなら、もっとふさわしい人間がいるだろう。それでもリイシアに固執する気か!」

「うるさい!」

 それまでよりも深い踏み込みと、鋭く空を裂く短剣。

 しかしそれは、アイラの身体にかすりもしない。ふわりと避けたアイラが、着地と同時に地面を蹴って再び肉薄する。

 しかしヤツトも、そうやすやすと懐に入られる相手ではない。短剣を振り、牽制をしかける。

 軽く飛び退ったアイラが、左手を突き出す。

「玉破」

 輝く白球を放ち、それとほぼ同時に身体を屈めて走り出す。

 ヤツトが、短剣で玉破を払い除ける。その直後、隙ができた胴体に、勢いの乗ったアイラの拳が思い切り叩き込まれた。

 気絶こそしなかったものの、ヤツトはその衝撃に腹を押さえ、身体を二つに折る。彼の頭が下がったところへ、綺麗に弧を描いて、アイラの回し蹴りが決まった。

 白目を剥いて倒れるヤツト。むんずとその髪を鷲掴み、剥き出しになった喉に、無表情のまま、叩きつけるように拳を振るった。

 肉を打ち、骨を砕き、命を奪う、生々しい感覚が手から伝わる。知りすぎるほどに、知っている感覚だ。

 髪から手を放す。地面に突っ伏したヤツトは、もう二度と動くことはない。

『申し訳ないが、この男を生かしておくことはできなかった。人の命に関わるからな』

『いや、離反者の始末をつけていただいたことには感謝する。だが、ここから先は口出し無用。我らのやり方で始末をつけさせてもらう』

 ユートの目が、隣のリイシアに向けられる。

 アイラはゆっくりと少女に近寄り、硬く強張った身体をそっと引き寄せた。それだけで、支える力を失ったリイシアの足は、ふにゃりと崩れる。

 その身体をしっかりと抱く。

『いいよ。そのまま、眠ってしまえばいい』

 アイラの呟きに答えるように、少女は目を閉じた。ぐったりと力の抜けたリイシアの身体を支えつつ、アンジェに視線を送る。

 アンジェはともかく、小柄なアイラでは、リイシアを支え続けるのは少々辛い。実際、リイシアより、アイラの方が少しばかり背も低いのだ。

 足早に向かってきたアンジェだったが、彼女は、後数歩のところまで近付いておきながら、戸惑ったように足を止めた。

 アンジェの前に、斜めに伸ばされた腕。まるで動きを制止するように。

 腕の主は、険しい顔をしたユートだった。

『ロウクルが、余計な手出しをするな』

『しかし、長――』

 ユートの低い声に対して、何か言いかけたネズが、ぎろりと睨まれる。それだけで、ネズは黙ってしまった。蛇に睨まれた蛙のように。

『離反者は黙って、これからの心配でもしておけ』

 ネズがわななく唇で何か言おうとしたとき、それを制するように響いたのは、リイシアの頭を膝の上に乗せる形で地面に座ったアイラの溜息だった。

『あなたはロウクルを拒絶するが、実際にリイシアを助けたのはそこにいる、ロウクルの男だ。礼くらいは、言うべきではないか?』

 片手でクラウスを示す。

 話の流れがさっぱり分からない上に、突然指されたクラウスが、目を丸くしている。それには構わず、ユートが何か言う前に、アイラはわざと、棘のある、皮肉気な口調で言葉を続けた。

『それとも、掟だからと礼も言わないか? 彼がいたから、あなたの娘は、生きてここに帰って来られたのに?』

『……掟は、掟だ。いかなる理由であれ、ロウクルと関わることは許さん』

 アイラは、ふうう、と長く息を吐いた。きっとユートを見上げる灰色の双眸は、恐ろしいほど冷たい光を宿していた。

『自分の娘の命より……下らない、自分本位の掟の方が大事か……この……馬鹿野郎!』

 リイシアを気遣ってか、低く、抑えた声だったが、地を這うような低い声に込められた怒りは、ゆっくりと伝わってきた。

 面と向かって馬鹿呼ばわりされたユートも、顔面に朱を注いでアイラを見据えた。

『部族の長がすべきなのは、部族を正しく導き、守ることであって、私情を差し挟んで、支配することではない。『長は部族の親たれ』。父も言っていたことだ』

『私が、サウル族を支配していると?』

『そう言ったつもりだが。私情の塊でしかない掟を作って、その結果には目を向けずに、掟を押し通すのは、暗君がやることではないか?』

 暗君、と言われ、ユートの顔が引きつる。

『言わせておけば! 長への侮辱は部族への侮辱に当たること、分かっているのだろうな!』

『……侮辱と換言の違いも分からないようなら、長を止めたらどうだ?』

 そっとリイシアを地面に横たえさせ、アイラは立ち上がった。軽く土を払い、自分の頭よりも上にあるユートの目を見る。

『リイシアは、死ぬぞ』

 低い、しかしはっきりとした宣告に、その場が水を打ったようになる。

 冷え冷えとした目で見つめられ、ユートですら、言葉を失う。

『あんたが、ロウクルと関わってはならない、という掟をなくさないのなら、早晩新たなヤツトが現れる。矛先があんたに向かうならともかく……リイシアに向かえば、この子は死ぬ。それでも、掟を優先させる気か? あんたの私情によった掟は、命よりも重いと言うつもりか?』

 ユートが言葉に詰まった。アイラはそこに容赦なく言葉を重ねる。

『新しいヤツトが現れたとき、次にリイシアの立場に立たされるのは、誰だろうな?』

 その言葉には、感情がなかった。平坦な問いかけを残し、アイラはその場を離れた。

「行こう」

 ぽつりと近くにいたネズに告げる。

「大丈夫なのか? 何かもめてたみたいだったけど」

 すたすたと歩いて来たアイラに、クラウスが問いかける。アイラはちょっと肩を竦めた。

「さてね。でも後は彼らの問題だ。私達が口を挟めることじゃない」

 とりあえずどこか宿に泊まろうか、と続ける。

 そうだな、とクラウスが頷く。

「あの子は、大丈夫?」

 アンジェがリイシアに目を向ける。横たわるリイシアは、未だ起きる気配がない。

「……今はね。行くよ、ネズ」

 もう一度声をかけると、ネズは驚いた顔でアイラを見た。

「え、僕も、ですか?」

「ここにいるなら、止めないけど」

 そのまま、さっさと歩き出すアイラを、残る三人は慌てて追いかけた。