クラウスからの依頼
翌朝、四人がアンジェの作った朝食を食べているときだった。
「あら、アイラ、首の……スカーフ、どうしたの?」
アンジェがアイラの首元を見て首を傾げる。
アイラの首元には、いつも巻いているスカーフがなかったのである。
「……ああ、失くした」
アイラは小さく肩を竦め、椀に入っていた塩味の粥を啜った。昨夜のことはおくびにも出さずに。
「失くしたって……。探さなくていいの?」
「いいよ、別に。どこででも買える」
アイラが首元にスカーフを巻いていたのは、首元の刺青を隠すため。とはいえ人目に晒さぬように、という意識はほとんどなく、むしろ自分から見えないように隠していた。
できる限り、断刀のことを考えないように。断刀をないものと思えるように。
だがそれも、断刀がまともに使えなかった頃の話だ。しっかりと操れるようになった今は、特に隠す必要もない。
それでもスカーフを巻いていたのは単純に、それが習慣になっているからだ。
(ノルトリアに着いたら、二枚ほど買うかな)
食事を終えると、四人は小屋を出た。
先頭にクラウス。その後ろに続いてリイシア、アンジェ。アイラは殿で、周囲を警戒しながら進む。
しかし、街道では誰も襲ってはこなかった。人目があるせいかもしれないが、アイラには少し不気味な気もした。
昼過ぎに、四人はノルトリアに着いた。宿を取ると、クラウスは疲労を訴え、部屋に閉じこもってしまった。
仕方なく、三人で食堂に向かう。
「あの人、大丈夫かしら」
「……まあ、らしくはない。鍛えてるはずなのに」
「たぶん、ゆっくり身体を休めれば、良くなるはずだけど。怪我と『治癒』で、負担がかかってるだけだと思う」
二人の会話を、リイシアが首を左右に向けながら聞いている。
『食べないのか?』
なぜか座ったまま動かないリイシアに、アイラは声をかけてみた。
『その……どうやって食べればいいの?』
内心アイラはなるほど、呟いた。三人の前に置かれていたのは、煮立った湯と、数種の野菜を生肉で巻いた具材らしきもの。
アイラは具材を取り上げ、湯の中にぽいぽいと放り込んだ。しばらくして、十分茹でられたそれらを掬い、リイシアの目の前にある小皿に入れる。
『後は、そこにある瓶のソースをかけて食べなさい』
言いつつ瓶を渡してやると、リイシアはそろそろと瓶を傾け、恐る恐るといった様子で肉巻きを口に入れた。
その瞬間、リイシアの目が丸くなる。
『気に入った?』
何度も頷くリイシア。アイラやアンジェも肉巻きに手を伸ばす。
食事の後、アイラは厳しい顔でクラウスの部屋へと向かった。まだ寝ているかと思ったが、意外にも、ノックすると声が返ってきた。
クラウスは、鎧を脱いで簡素な服装になっている。その顔には未だ、疲れの色が残っていた。
「身体はどうだ」
「大分疲れは抜けたよ。しかしダメだな。まさかここまで疲れるとは思わなかった」
「……その状態で、依頼はこなせるのか?」
「そのことなんだけどさ、アイラ。この依頼、手伝ってくれねーか? 流石にオレも、こんな状況じゃ、まともにあの嬢さんをカチェンカ・ヴィラまで連れて行けねーし。ここでしばらく身体を休めてからなら、もしアイラがカチェンカ・ヴィラまで行ってても追いつけるだろ」
この言葉に、アイラは細い目を丸くしてクラウスを見た。その表情を見て、クラウスが慌てた様子で言葉を紡ぐ。
「別に、無理だってんならそれでも何とかするけどさ……。でも今事情知ってんのアイラくらいだし、何よりあの嬢さんと話せるだろ、アイラは。オレは民族語なんて話せねーし、アイラ以外で民族語知ってそうな知り合いもいねーしさ。……やっぱ、駄目か?」
「……いや、私も……私も、用件は似たようなものだ。……その身体では依頼をこなすのは難しいんじゃないかと思って」
今度はクラウスの目が丸くなる。
「そっちがそう言ってくれるんなら、オレもありがたいけどさ。でもいいのか? 勝手に決めて」
「アンジェか。まあ、大丈夫だろう」
「ほんとかよ」
思わず言葉を漏らすクラウス。
「じゃ、もう休んだほうがいいだろう」
部屋に戻り、アンジェに、クラウスの依頼を手伝うことを伝えると、彼女も異論はなかった。
夕方頃、アイラは宿を出てふらりと街中を歩いていた。商店街で服屋を見つけて中に入る。
無地の長いスカーフを見つけ、二枚買う。その後、更にいくつかの店を歩き回り、保存食やリイシアの丈に合いそうな着替えなどを買い込む。
その夜、宿の部屋へと戻ったアイラは、テーブルの上に地図を広げていた。
アイラ自身はカチェンカ・ヴィラを訪れたことはないが、その近くの町を訪れたことはある。どの道を行けばいいのかは、大体分かっている。
つつ、と指で道をなぞり、ぼんやりと考え込む。
(この道か……そうでなければこっちか)
道筋は考えておかなければならない。また襲撃に遭わないとも限らないのだから。
襲撃者が何人いるか、アイラには知る術がない。
それに、クラウスをあそこまで追い詰めることができるというなら、相当の手練れがいる。
アイラの表情が、厳しく引き締まった。
「あら、帰ってたの?」
そこへ、リイシアを連れてアンジェが入って来る。
「ん。……明日、ここを発つよ。……それと、リイシア」
名を呼ばれ、少女がアイラに顔を向ける。
『もし、何かあったら、とにかく逃げなさい。自分が生きることだけを考えなさい。死んだら、そこで終わりだから』
『うん。分かった』
「アンジェ。……何かあったら、後は頼む」
「え、ちょっと、そんなこと言わないでよ。第一、あなたらしくもないじゃない」
「……分かってる。自己犠牲で、死ぬつもりはない。意味がないから。……何かあっても、私一人だけなら、何とかする目は、ある。でも……あんた達を庇ってたら、できることが限られる。だからアンジェは、私に何かあったら、リイシアと逃げろ。私を、助けようと考えるな」
静かな気迫に気圧されたように、アンジェが頷く。
ふ、とアイラの表情が緩んだ。
「……別にそんな顔しなくても、死ぬ気はない。……じゃ、私は寝るから。久々に喋って、疲れた」
言うが早いか、ごろりとベッドに横になり、目を閉じるアイラ。眠る顔は、なぜか酷く幼く見えた。
「私達も、休もうか。明日は早く起きないといけないし」
アンジェがそう声をかけると、リイシアは一つ頷いて、丸くなってベッドに潜り込んだ。
凄まじい音と共に、閉じられていた扉が破られる。中から転がるように出てきた男は、何かを探すように辺りを見回し、別の小屋に近付く。
戸を開けても、中に人影はない。男は小屋の中を見回し、悔しげに舌打ちをする。
そこへ、別の男がほとんど足音を立てずにやってくる。
二人は二言三言言葉を交わし、それぞれ別の方向へと去った。先にいた方は来た道を戻るように、そして、後から来た方はノルトリアの方角へと。
→ “門”の代償