サウル族の少女
アイラがクラウスと再会してから一時間ほど後、四人の姿は道沿いの小屋にあった。
簡単に食事を終えると、疲れを顔に濃く表したクラウスは、固いベッドの上で既に眠っていた。
アイラは戸口の傍で、手遊びに木切れを削りながら、小屋の中と外の気配に気を配り、アンジェは何とか少女と会話しようと骨を折っていた。
しかし少女は貝のように口を閉ざしたまま、一言も口をきこうとはしない。
「……せめて、どこの子かくらい、言ってくれない? だめかな」
「…………」
「サウル族だよ、その嬢さんは」
突然のクラウスの声に、驚いたアンジェが妙な声を上げた。まだ疲れの色を残しながらも、クラウスが目を開け、身体を起こす。
「……起きたのか」
「あー、まあな。悪いけど、水くれ」
アイラが水筒を渡してやると、クラウスは一息で半分ほど飲み干した。
「ありがとな。つーか、何でアイラがこんなとこにいるんだ? それにそっちは……メオンの旦那の妹さんだろ?」
「……それはこっちが聞きたい。北部にいるか、メルヴィルに行ったんじゃなかったのか?」
アイラの問いに、クラウスが少し言いよどむ。
「うーん、でもアイラなら、大丈夫か。……親父からの依頼だよ。オレが後継ぎにならないことを認める代わりに、この嬢さんを親元まで連れて行けってさ」
「場所は、分かってるのか?」
「南部の、カチェンカ・ヴィラか、その周辺らしい。そうだよな、嬢さん」
クラウスの声に、少女がこくりと首を縦に振る。
「この子の名前は?」
「オレも知らねーんだ。色々聞いても、何せしゃべんないだろ。辛うじてサウル族だってことと、親がいるのがカチェンカ・ヴィラだってことが分かったくらいで」
(サウル族……ああ、だからか)
ハン族とは違い、サウル族は移動民族と言われる少数民族だ。移動民族とは、季節ごとにユレリウス中を移動して回る少数民族を指す言葉で、ハン族のように定住する民族とは違い、故郷を持たないが、代わりに各地の様々な珍しいものを知っている。
アイラ自身は彼女の性格もあって、あまり交流があったわけではないが、それでも知識として、サウル族のことは知っていた。
「アイラ、何か分かったのか?」
彼女の表情が少し変わったことに気付いたのだろう。クラウスが少し期待ものせて、声をかけてきた。
「さあね」
言いつつアイラは少女に近寄り、しゃがんで目の高さを合わせた。
『名前は?』
アイラが口にした言葉に、少女の顔が輝き、クラウスとアンジェが呆気に取られる。
『リイシア。サウル族の長の、ユートの娘、リイシア』
『リイシア。私はアイラ。ハン族の長、ヤノスの娘だ。何があったのか、話せる?』
そう尋ねると、リイシアは黙り込んでしまった。
『話したくないなら、無理に話さなくていい』
そう伝え、まだぽかんとしている二人に向き直る。少女の名前を伝えると、アンジェが呆れた様子で問うた。
「あなた……会話、できたの?」
「駄目元。通じない可能性もあったから。しかし、サウル族か。どうりで共通語を話さないわけだ」
一人納得した様子のアイラに、アンジェがどういうことかと尋ねる。
「サウル族は……共通語を話さない少数民族だ。先代の頃は違ったが、今の族長になってから、共通語を話すことを掟で禁じられたと聞いている。……彼らにとって掟は絶対だ。多分、いくら共通語で話しても、答えは返って来ないだろうね」
『父様は、』
リイシアの声。アイラが彼女に視線を向ける。
『父様は、ロウクル(共通語を話す者)は、人を騙す者だと。だから、そんな言葉を使ってはいけない、と。我々には古くから伝えられてきた言葉がある。これからは、民族語だけを使い、共通語を使うことを掟で禁じる、と言いました』
『何故?』
『分かんない』
リイシアはきつく口を結び、立てた膝の間に顔を埋めた。
「……クラウス、」
声をかけようとしたアイラだったが、彼がいつの間にか、再び眠ってしまっているのを見て、彼女は静かに戸口に戻り、壁に背をつけて座った。
そのうちに夜は更けていく。小屋の中は静まり返り、ただ四人の寝息だけが聞こえている。
不意に、アイラの瞳が開かれた。灰色の双眸には、強い警戒の色が浮かんでいる。
アイラは静かに戸を開けて、外に滑り出た。月が辺りを明るく照らしている。
「いるなら出てくると良い」
その言葉に答えるように、革鎧の男が現れる。その額に描かれた、旗と靴を図案化したサウル族の紋様は、赤い線で消されていた。
自身の所属を示す紋様を入れるのは、特に移動民族の間ではよく行われることだが、それをわざわざ消すというのは、アイラは聞いたことがなかった。
「金の髪の男に用がある」
「……なら、私が聞く」
「お前は、何者だ?」
「私はアイラ。ハン族の長、ヤノスの娘、“アルハリクの門”だ」
ハン族、と聞いて、男の顔にかすかな驚きが浮かぶ。
「ハン族……? 生き残りがいたのか。滅びたと聞いていたが」
ランズ・ハンで起きたことは、どうやらこの男も聞いているらしい。
「そんなことはどうでもいいだろう。サウル族の人間が、掟を破ってまで何の用だ」
アイラの指摘に、男が少し顔を歪める。
「長の娘がそこにいるだろう。渡せ」
「何故?」
「理由を知る必要は無い」
「……事情を知らなければ渡せない」
あくまでも頑ななアイラの態度に、男の顔には苛立ちが浮かぶ。
「あくまで渡さないか。なら、仕方ない」
ぎらりと白刃が月の光を反射する。男が手に持つ短剣の刃は、やけに濡れ濡れと光っていた。
(毒、か?)
地を蹴って肉薄する男。
「円盾」
淡く光る盾と、短剣がぶつかり合う。アイラは、右腕で必死に短剣を止めながら、左手を構え、神の矢を放った。
鳩尾に、至近距離から叩き込まれた玉破は、威力はさほど強くないものだが、男の意識を刈り取るには十分だった。
アイラは素早く気配を探ったが、周囲に他の気配はない。
手近な小屋に男を閉じ込め、首に巻いていたスカーフを裂いて作った紐で手足を縛ると、息がつまらないような体勢でベッドに寝かせ、小屋の戸に、外側からつっかえ棒をあてがった。
(これで、当分は追ってこられないだろう)
小屋に入ると、音で目を覚ましたのか、クラウスが身体を起こした。
「アイラ、何か、あったのか?」
「……いや、別に。……グレアムは、納得したのか?」
「まあね。マドレナさんは、文句言ってたけど。でも親父は、思ってたほど、頭の固い人じゃなかったよ。オレの好きなように生きろってさ」
「そうか」
「なあ、アイラ」
クラウスの声が、さっきまでとはまるで違う、固い口調に変わる。
「メオンの旦那を殺したって話、本当なのか?」
「…………ああ、そうだよ」
「何で、殺したんだ。別に、仲が悪いわけじゃ、なかっただろ?」
「彼は『敵』だった。だから殺した。それだけだ」
アイラの答えはあっさりとしていた。その声にも、顔にも感情はない。
アイラは、自身の行為に何の感情も――後悔も、罪の意識も――感じていないのだと、このときクラウスは悟った。
アイラはこういう人間だと、クラウスも知ってはいる。だが、背筋に冷たいものが走るのは、抑えられなかった。