タキとアイラ

 四年ぶりに会ったアイラとタキ。二人は今、差し向かいで昼食を食べていた。
 薄く切ったパンと、卵と鶏肉を炒ったもの、バターで炒めた葉野菜。並べられたそれらを、アイラは黙々と食べている。
 初めは、アイラの容姿は変わっていないと思ったタキだが、よく見ればアイラは、四年前に別れたときほど痩せぎすではなくなっている。灰色の目にも、以前ほどの険はない。
 それでもアイラの、二十四の女とは思えぬほど小柄な体格と、少年のような見た目は相変わらずだ。
 昔のアイラは傘の骨のように痩せこけた、きつい目の子供だった。自分と他人との間に高い壁を作り、誰にも心を開かないでいた。
「一人旅はどうだった?」
「ん、悪くは、なかった」
「そうか。北部は寒かっただろ」
 さっくりと焼いたパンをかじりながら、アイラはこくりと頷いた。パンを一切れ食べ終えて、アイラはやや躊躇いがちに口を開く。
「……タキ」
「どうした?」
 尋ねると、アイラは少しの間空中に視線を彷徨わせた。言おうか言うまいかと考えているらしい。
「その……ごめんなさい。私は、言われたことを……ちゃんと、受け止めるべきだった」
 時折口ごもりながらも、アイラはゆっくりと言い切った。タキは一瞬目を見開き、それからその口元に微笑みを浮かべる。
「それなら俺も謝らなきゃならんよ。俺もあのとき、もっと言葉を考えなきゃならなかったんだ。悪かった」
 この言葉を聞いて、アイラの顔にも淡い笑みが浮かぶ。タキにも分かるほどぎこちないものではあったが。
 それでも、アイラが笑みを見せたことに、タキは驚かされた。
(こんな顔もできたのか)
 アイラとは十年ほど共に暮らしたタキだが、その間は一度も笑顔を見たことはなかった。始めて見る養女むすめの笑顔は、何だか無理矢理に笑顔の型を顔に貼り付けたようにも見えた。
 アイラ自身も笑顔を保つことはせず、すぐにタキも見慣れた無表情に戻す。
 それでも、例え一瞬でもアイラが感情を表すようになったことに、彼女の変化を感じる。
 四年間、何をしていたのかと尋ねると、アイラはぽつぽつと旅の間にあったことを語り始めた。
 彼女はどうやら、タキと共に旅をしていた頃と同じように、時々護衛の仕事をしつつ、あちらこちらと流れ歩いていたらしい。
 そして前の冬、アイラが巡礼地で“狂信者”に襲われたことを聞き、タキの顔色が少し変わった。
「それで、そいつらをどうした?」
「……断刀で……殺した、と思う……」
 曖昧な言葉に、覚えていないのだろう、と直感する。そのことは口に出さず、タキは話を進めた。
「それから、トレスウェイトに行ったのか」
「うん。冬の間、そこにいた」
 そうか、と頷く。
「良かったか?」
「うん」
 再びこっくりと頷くアイラ。その顔には、穏やかな色がかすかに漂っている。
 続けてトレスウェイトでのことを尋ねる。盗賊のこと、牧師とのこと、そしてグリーズの一件を、アイラは淡々と語った。
 グリーズの件と、その後のアイラとマドとの言い争いを聞いて、タキは思わず大笑した。
「はっはっは、そりゃ上手くやったもんだ。マドの奴らは揃いも揃って馬鹿みたいに自尊心が強いからな。奴らにゃずいぶん堪えたろうよ」
 ひとしきり笑った後で、タキはアイラについて思っていたことをようやく口に出した。
「お前も随分変わったな」
「……そう?」
 アイラが小さく首を傾げる。
「そうさ。昔のお前じゃ、笑いもしなかっただろうし、こうして家に来たりもしなかっただろうよ」
 そうだろうかと、アイラは更に首を傾げる。確かに冬をリウとミウの家で過ごしてから、以前より普通の人間らしい感情を抱くようになった気はする。
 しかし自分がまともかと聞かれれば、多分そうではないだろう。
「それで、お前はこれからどうするんだ。まだ旅烏を続けるのか? それとも、どっかに留まるのか?」
「とりあえず、ランズ・ハンへ行く。その後は……考えてない」
「ランズ・ハンに? 墓参りか?」
「それも、あるけど。……これ」
 アイラは服の襟を引き下げ、首元の、中途で切れた刺青をタキに示した。それを見て、タキが納得したような表情を浮かべる。
「戻っても、誰もいないけど。でもせめて、やるべきことはやっておきたい」
「なるほどな。いつ、行くんだ?」
「……明日」
「また早いな。お前らしい」
 タキがくっくっと笑う。アイラは何がおかしいのかと言いたげな顔でタキを見ていた。
 昼食の後、アイラは屋根裏で、紙と睨みあっていた。双子に手紙を書こうと思ったのだ。
 とりあえず、ウーロにいる養い親の家に着いたこと、養い親に会ったこと、明日からはランズ・ハンへ向かうことを書く。
 更に二言三言付け足してペンを置き、ぐるりと肩を回す。
 やはり、手紙というものはまだ、アイラにはよく分からない。
 屋根裏は仕切りこそないが、だいたい半分に分けられ、奥は物置、手前はアイラの寝室として使われている。アイラの記憶よりも荷物は増えていた。
 壁には小さな窓があり、開けることはできないが、外を眺めることはできる。
 アイラは固い敷き布団の上に横になると、そのままとろとろと微睡んだ。
 三十分ほど眠った後でゆっくりと起き上がる。
「お、そうだ。晩飯、何か食いたいものあるか?」
 一階に降りたアイラに、タキが問いをかけてきた。何でもいい、と返す。
「ちょっと出てくる」
「おう、行ってこい」
 アイラが出て行くのを見送る。その手に手紙が一通あるのを見て、タキは目を見開いた。
(手紙を出すような相手もできたのか)
 相手がどんな人間か知らないが、他者に対しての関心を持つことがまずないはずのアイラと、ここまでの関係をよく築いたものだ。
 やがて、アイラが戻って来る。
「……ただいま」
「おかえり。どうだ、アイラ。晩飯の前に軽く運動でもするか?」
 ふと思いついて付け加える。アイラは少し考えてから、首を縦に振った。