タキの回想

 ユレリウス西部の町、ウーロ。さして大きな町ではないが、旅商人や隊商が通ることが多く、街中は賑わいを見せている。

 町の市場には、食べ物を売る店や衣服を扱う店、また雑貨を売る屋台が並んでいる。その他にも、花を売る娘や、小さな焼き菓子を売る子供が、周りに負けまいと声を上げている。

 客の方も様々で、おそらくは夕食の買い物をしに来たのであろう婦人から、物珍しげに並んでいる商品を見つめている子供まで、老若男女が入り交じっている。

 タキもまた、その中に混じって買い物をしていた。彼が買ったのは食材をいくつかと、木綿の布。

 やがて買い物を終え、家に戻るタキ。片手に袋を提げ、ゆっくりとした足取りで歩を進める。その足の運びは、見る者が見れば油断がならないと警戒するだろう。

 タキの家は、他の家から少し離れたところにあった。元はローアルという老人の家だった。五年ほど前、ローアル老人はウーロの南にある町、インリルに住む娘夫婦の家で暮らすことになり、ちょうどその頃、落ち着き先を探していたタキが、この家を買ったのだった。

 この辺りに多い、一階と屋根裏だけの小さな家。市場や広場、教会がある町の中心部までは少し遠いが、タキにとっては大したことはない。

 買ってきたものを片付けると、彼は棚から一通の手紙を取ってきて、近くの椅子に腰を下ろした。皺の増えてきたその顔には、微笑みが浮かんでいる。

 手紙は既に開封されていて、少なくとも一度は読まれたことが見て取れる。

 その手紙には、自分は元気にしている、春になったら顔を見せに行く、ということが、かなり読みづらい字で書かれていた。唯一、最後の『アイラ』という署名だけは、整った字で書かれている。

 タキがこの手紙を受け取ったのは、八日ほど前のことだった。郵便配達人から手紙を受け取り、何気なく差出人を見たとき、タキは自分の目を疑った。

 言い争い、夜中に家を飛び出した養い子が、まさか手紙を送ってこようとは、彼は思いもしなかったのだ。アイラの、何かを決めたら余程のことがない限り考えを変えない頑固さは、タキもよく知っていたから。

 手紙には、一昨日返事を出した。いつでも帰って来い、と。

 手紙を持ったまま、目を軽く閉じて、手紙を送ってきた養い子を思う。

 アイラはタキから見ても、随分変わった娘だった。何があっても笑いも泣きもせず、他の娘のようにおしゃれに興味を示すこともない。十年間、共に旅をして、アイラが少しでも興味を示したものと言えば、木彫りくらいのものだった。時には、タキは目の前の養い子は、本当に血の通った人間なのかと思うことさえあった。

 また、アイラの感覚は、どうも一般的なそれから外れているようだった。そのことを指摘すると、アイラはよく分からないと言いたげに首を傾げていたが。

 自衛のためにと体術を教え始めてからは、タキはアイラに対して別の印象を受けるようになった。

 アイラはかなり身が軽く、また覚えも早かった。そして実際にその体術を使う段になると、彼女は敵と認識した相手に対して、一切の容赦をしなかった。時には何のためらいもなく相手を殺すことさえあった。

 それは何年前のことだっただろうか。そのとき二人は、たまたま知り合った若い男と行動を共にしていた。自分では旅芸人だと言っていたその男は、実際には野盗の一人だった。

 金を持っていそうだと目を付けられたのだろう。男の案内で着いた人気のない場所で、二人は野盗の一団に囲まれた。

 数だけ見れば二人の方が不利だったが、数に頼った野盗は大した腕ではなく、二人でも十分に戦うことができた。

 野盗のほとんどが倒れた頃、アイラは逃げようとするその男を捕まえ、彼の急所に一撃入れて動きを封じた上で、その喉を砕いて殺した。一瞬も動きを止めることなく、ためらいを見せることもなく。

『あの男を殺すときに、何も思わなかったのか?』

『……別に何も』

 その後の会話を思い出す。アイラの態度は、普段と変わらなかった。本心を隠しているだけかもしれなかったが。しかしタキには、アイラから何か大事なものが抜け落ちているように思えて仕方がなかった。

 アイラの過去に何があったのか、タキは詳しいことは知らない。彼が知っていることと言えば、十四年前、ハン族は“狂信者”の襲撃にあったことと、そのときアイラが“門”の力を使って“狂信者”を返り討ちにしたらしいということくらいだ。

 この、アイラの“門”としての力もまた、タキの不安の一つだった。玉破はいい。しかし断刀の方は、アイラは制御できているとはとても言えない。“門”について知識が深いわけでもなく、アイラが断刀を使うのを直接見たのは一度だけのタキだが、それでも彼女が断刀を使うのは危険だということを、彼は直感していた。

 断刀を使うことを、アイラ本人はどう思っていたのだろうか。できる限り使うまいとしていたようではあったが。

(あのときに、もっと別の言い方をしておくんだったな)

 四年前、アイラが家を飛び出すことになった言い争いを思い出し、タキは渋面を作った。もう少し棘のない言い方をしていたら、こうはならなかったのだろうか。

『私だって、自分のしたことの始末くらい、自分でつけられる。親でもないのに、私のことに口を出さないで!』

 アイラが叫んだ言葉と、そのときの顔は今でも思い出せる。思えばあれが、アイラがはっきりと感情を表した、最初で最後だった。

 アイラが夜に出て行ったのを、タキはもちろん気付いていた。引き留めようとしなかったのは、彼がアイラの言葉にひどく腹を立てていたからだ。

 しかしその腹立ちは日に日に薄れ、今では心配だけが彼の胸に残っていた。

 だからこそ、アイラからの思いがけない手紙が、タキにはひどく嬉しかったのだ。

 便箋を丁寧に畳んで封筒に戻す。棚の、元あった場所に手紙を返すと、タキは夕食の準備のために台所に立った。

(しかし、どんな風の吹き回しやら。帰って来たら聞いてみるか)

 春になり、雪に閉ざされている峠が通れるようになるには、もうしばらくかかる。アイラが顔を見せに来るのも、もうしばらく先だ。

 鶏肉と葉野菜をぶつ切りにし、卵を絡めて炒める。味付けをし、切ったパンと共に皿に盛り付ける。

 やがて食事を終え、その他細々したことも全て終わらせたタキは、梯子をつたって屋根裏へと上がった。

 物置となっているそこを、少しずつ片付ける。ちょうど、一人が寝られるほどの空間を作るように。

 そうは言っても物は多く、片付けは中々進まない。

「やれやれ、あまり大きなものがないのが救いだな」

 そう独りごちるタキの顔には、口調とは裏腹に、微笑みが浮かんでいた。

 

→ 別れの日