マンユエでの捜索
ヨークを発った翌日、アイラとアンジェはマンユエへ向かう乗合馬車に乗っていた。
アンジェはガラス越しに外を眺め、アイラはといえば、アンジェの肩に頭をもたせかけて眠っていた。
がたりと馬車が揺れ、御者がマンユエに着いたことを告げる。肩の重みが不意に消え、驚いてちらりと横を見れば、アイラは既に目を覚ましていた。
荷物を持って馬車を降りると、アイラは両手を上に挙げて、ぐ、と思い切り伸びをした。
マンユエは、南部の中でも、東部に最も近い町だ。昔は東部に入れられていた時期もあったという。
それゆえか、マンユエの町は東部と南部の様式が入り混じり、この世ならざる異界のようにも思われた。
一階建ての、白い滑らかな石造りの壁をした家は、屋根の端が大きく反り返っている。石造りの壁は南部でよく見るが、屋根の端を反り返らせるのは東部――特に大陸側――で見る造りである。
この辺りにも流れの商人や旅芸人などは多いが、土地の者は一目で見分けがつく。肌の色は浅黒く、髪や目の色も濃い。風体も、前で合わせて帯で留める、シュリも着ていた着物を着てはいるが、シュリのと違ってその袖は、洋服のように細いもので、下に垂れた袖が翻ることはない。
下衣も、腰の部分に縫い付けられた紐で縛って留める、袴様のものではあるが、シュリが履いていたゆったりとしたものではなく、むしろアイラが履いているのと同じような、ズボンに似た型のものである。
通りを行く若い娘の中には、襟元を緩め、首飾りを付けている者もいる。もう少し北の方に住む人間が見れば、眉を潜めそうな姿である。
そもそも東部で一般的に着られている服は、大陸であれ島の小国家群であれ、普段着でも襟や袖には刺繍が入っており、晴れ着ともなれば更に艶やかなものになる。
故に東部の人間、特に女は、化粧はしても装身具はさほどつけないのが常だった。付けても髪飾り程度、襟袖は飾り付けるよりも、すっきりと見せる方が美しいという意識があるらしい。
逆に南部は、気候のためか服も基本的に薄地で、半袖や長くても七分袖、それゆえ手首に色鮮やかな装身具を付けることも多い。
そんな両方の風習が混ざり合い、今のマンユエを作っているのだろう。
アイラは時折辺りを見回しながら、町中を歩いている。
道行く人に時々聞きながら、二人は一旦宿屋に落ち着いた。
慣れない馬車の道行で疲れたアンジェを残し、アイラは宿を出た。
ふらふらと、あちこちを見て回る。といっても彼女は観光している訳ではない。目的はちゃんとあった。
商店街の一角にある一軒の居酒屋。昼間ゆえに戸口は閉まっており、営業していないように見える。
その前まで来たアイラはぐるりと裏口に回り、一見壁にしか見えない引き戸をノックするように四回叩いた。
重い音がして、扉の、アイラより頭一つ分高い場所に作られた小窓が開いた。
「何だね、悪戯かい? 用が無いんならとっとと去んな。こっちは仕込みで忙しいんだ」
下働きの格好をした女が顔を出し、アイラを見つけたかと思うと、険のある声で言い放った。しっしっと、犬でも追うかのように手を振る女。
ぴしゃりと窓は閉まる。スカーフの下でアイラは口を尖らせ、肩を竦めた。
くるりと踵を返し、立ち去りかけたとき、建物の中から、怒声が聞こえて来た。
「ちょいと、待っとくれな」
続いて聞こえた呼び止める声に、アイラは足を止めて後ろを振り向いた。
さっき去ったばかりの戸口から、別の、年配の女がアイラを呼び止めていた。白髪交じりの、ふくよかな女である。
口元は緩く上がっているが、その目にはどこか油断のならない光があった。
「さっきは悪かったね。さ、入っておくれ」
アイラは、彼女がこの店の女将、ジュファであることを知っていた。軽く眉を上げつつも、ジュファについて店に入る。
無論、ただの居酒屋の女将をアイラが訪ねるはずはない。
居酒屋の女将は表向きの姿。実際は、マンユエの『裏』の世界を取り仕切る女傑であった。アイラがジュファを訪ねたのは、情報屋に行くよりも直接聞いた方が早いと考えたからだ。マンユエでは、全ての情報は彼女の元に集まる。それならば、わざわざ情報屋を探すよりも、彼女の元を訪ねた方が早いだろう。
二階の座敷で、二人は向かい合って座った。
「悪かったね。あの娘、この前、半年の期限で預かった娘でね。まあどんな暮らしをしてきたんだか、芋の煮えたも御存じないのさ」
「……間違われるのも、無理はない見た目なのは分かっているので、あまり責めないでやってください」
「なら、あんたに免じてやるとしようかね。それで、今日は何の話があって来たんだい?」
「……ジョン・ドリスの行方を追っている。居場所をご存知ではないですか?」
ジュファの目が細められる。何事か口の中で呟いてから、ジュファは口を開いた。
「わざわざここまで来たあんたには悪いけど、あのお坊ちゃんはここにはいないよ。いるとしたら、リントウじゃないかね。最も、そこからまたどこかに逃げた可能性もあるけどね」
「……そうですか。ありがとうございます」
丁寧に頭を下げ、アイラは今度こそ店を後にした。
夕方、ずっと固い寝台で微睡んでいたアンジェは、ガラガラと扉を開ける音を聞いて身体を起こした。
入って来たアイラの顔は、どこか不機嫌そうだ。
「明日の朝早く、リントウに行く」
アイラが発した言葉はそれだけだった。ごそごそと荷物をあさり、沐浴の準備をして湯殿へ向かう。
露店にしつらえられた風呂は、湯船に浸かって上を見ると、点々と星が見えた。アンジェの方は息を呑んでいたが、アイラにとってはさほど珍しいものでもない。
さっさと湯浴みをすませ、その後で夕食も済ませると、アイラは早々に寝台へ潜り込んだ。
リントウのとある屋敷では、三人の男が座して何やら話していた。
「では元締。例の男には一服遣わす、と?」
問うのは狐のような顔立ちの男。その口調は、どちらかと言えば確認に近い。
「ああ。一刻前にジュファから早便が来よった。あの薬、早晩リントウに入るみたいや。せやな……腕の強い者、五、六人よって、それから、グルディニヤの準備もしとけ。傷はつけなよ」
狐面の男に、訛りの強い口調で答えたのは、五十がらみの年配の男。その目には厳しい色が見え隠れする。言い終わって、その男は隣にいた別の男に視線を向けた。
「かしこまりました」
その言いつけを聞き、視線を受取って、そこに控えていた隻眼の、筋骨たくましい男が深く頭を下げた。
→ リントウに着いて