ミウの後悔

 アイラがグリーズを殺してから一週間が過ぎ、トレスウェイトの村はようやく落ち着きを取り戻していた。

 この一週間、双子の家には度々村人が訪れた。そのほとんどが、アイラに感謝を述べるために来るのだった。

 そして買い物と暇つぶしついでに市場に顔を出すと、アイラにはあちこちから感謝の言葉がかけられる。

 アイラには、それが何とも面映ゆい。早々に人の少ない場所へ逃げ、姉妹の買い物が終わるのを待つ。

(感謝など、必要ないのだけど)

 一つ、溜息。

 感謝されるようなことではないと、アイラは本気で思っていた。

「おや、こんにちは」

 低いベンチに腰掛けていたアイラは目を上げ、目の前に立っている牧師の姿を認めた。

「あなたの勇気に感謝いたします」

「……あんたもか」

 アイラの声には、うんざりしたような調子が、はっきりと現れていた。

「あなたの行為は、誉められるものだと思いますよ」

「……まさか。私があれを殺したのは、目の前でミウが襲われかけていたからだ。……あれが誰も襲っていなかったら、私は放っておいたろうよ。だから……感謝されることじゃない」

 エヴァンズ牧師は黙ったまま、優しげな目でアイラを眺めていた。

 アイラの方は遠くを見るような目つきで、少しも身動きせずに座っていた。一見、何か考えているようだったが、その実彼女は何も考えてはいないのだった。

「お待たせー」

 ミウがぱたぱたと小走りでやって来た。その後ろから、リウもついて来る。

 牧師と二言三言言葉を交わし、三人は帰宅のためにその場を離れた。

 この日の帰り道は、普段の道順と少し違っていた。普段より遠回りになっていたのである。

 道沿いには、いくつも屋台が並んでいる。その中に一つ、変わった店が出ていた。

 木製の畳み机の上に、黒ずんだ一組の燭台が乗っている。そこには目のようなものが描かれた、太い蝋燭が立てられている。

 机の向こうには、そろそろ老年に差し掛かったくらいの男が、所々に飾りのついた分厚いローブを着て座っていた。

「お嬢さん方、占いはいかがかね?」

 前を三人が通るのを見て、男が声をかけてくる。

「見てもらいましょうよ、姉さん。面白そうだもの。いくら?」

「一人一インだよ」

 ミウが銀貨を一枚男に手渡す。

「そこに座って、手を見せなさい。お前さんの利き手はどちらだね」

「右よ」

 占い師の男は、ミウの手を取り、鋭い目で眺めた。

「なるほど……。お前さんは、中々激しい性格のようだね。だがそれは、決して欠点しかないというわけではない。それと、お前さん。自分を責めてはいけないよ。お前さんの責任ではないのだから」

「はい。分かっては、いるんですけど」

 ミウが少し困ったような顔で呟く。

「そっちのお嬢さん方もどうだね?」

「うーん。そうね、見てもらおうかな」

 少し悩んだ後で、リウも銀貨を一枚占い師に手渡す。占い師はリウの右手を取ってじっと眺め、次に左手を取って同じように眺めた。

「ふむ……。お前さんはもう少し回りに目を向けてもいいだろう。お前さんのことを思っている人は、一人二人ではないぞ。家族のことを思うのもいいが、もう少し自分のことも主張してもいいのではないかね」

「あら、そうですか?」

 リウが口元に笑みを浮かべる。彼女はあまり、占いを真に受けてはいないようだ。

「そっちのお嬢さんもどうかね?」

 占い師がアイラに視線を向ける。

「見てもらったら?」

 少し考え、アイラはごそごそと財布を探って銀貨を一枚取り出した。

「お前さん、利き手はどちらだね」

「さあ。……どちらでもない」

 唸りながらアイラの手を取った占い師が、小さく息を呑む。何か分かったのだろうか。

「お前さん……よく生きていなさる。人を殺したことがあるだろう。それも、幾人も。お前さんに殺された人の恨みが、お前さんに纏わりついている。気を付けなければ、いずれそれに呑まれるよ」

「それくらい、知っている。……それに、呑まれるつもりもない」

 アイラは涼しい顔で言い切った。今まで一体何人を殺したのか、アイラは覚えていない。しかし今のように、用心棒とまではいかずとも、護衛の仕事をするならば、人を殺すことは避けられない。

『戦う方法を学ぶということは、人を殺す方法を学ぶということだ。戦う人間は、いつか人を殺すことになる』

『忘れるな。人を殺した人間は、一生恨みを背負って生きることになる。殺された人間や、時にはその家族の、な』

 タキの言葉を思い出す。武術を教わる前に言われた言葉。

「それと、お前さんの来た道を辿る影がいずれ現れる。そのとき、お前さんは決断を迫られる」

「……決断、ね」

 何のことだかさっぱり分からないが、そのときになれば分かるだろう。そう胸の内で呟いて、アイラは椅子から立ち上がった。

 

 

 

「ミウ、まだ叔父さんのこと気にしてたの?」

 その夜、夕食のときにリウが不意にミウに尋ねた。ミウが困ったように笑いながら頷く。

「うん。やっぱり、もっと気を付けてたら良かったんじゃないかなって、どうしても思ってさ。せめてハインズ先生のところに行くの、もっと早くから勧めておけば良かったなって」

「言っても行かなかったと思うわよ。叔父さん、医者嫌いだったじゃない」

「そりゃそうだけどさ」

 アイラはシチューを口に運びつつ、二人の会話を聞いていた。

 そして夜も更けた頃になって、アイラはようやくタキからの手紙を開いた。グリーズのことで手紙の存在をすっかり忘れていたのだ。

 今起きているのはアイラ一人。姉妹はとっくに部屋に戻っている。

 少しの間目を逸らして、一つ息を吐いて手紙に目を落とす。

『アイラ

 こっちも元気でやっている。四年ぶりだが、お前も元気そうで何よりだ。

 いつでも、お前の好きな時に顔を出すといい。待っている。

 帰ってきたら、ゆっくりと積もる話でもしようか。

                       タキ』

 手紙を三度読み返し、アイラはきつく食い縛っていた歯を緩めて息を吐いた。顎が鈍く痛んだが、そんなことは気にもならない。

 重石が一つ、取れたような気がした。

 後ろでドアが開く音。頭をめぐらすと、ミウが驚いた顔で立っているのが見えた。

「まだ起きてたんだ」

「うん」

「あのさ、ちょっと話、聞いてもらってもいいかな?」

「……別に、構わない」

 ミウがほっとしたように笑う。少し何か考えてから、彼女はゆっくりと話し始めた。

「この家って、元々私達の叔父さんの家なんだよね。その叔父さんも、何年か前……五年くらい前だったかな、病気で死んじゃったんだけど。でもそのとき、今思うと、叔父さん、やっぱり様子が変だったんだよね。だけど叔父さんは大丈夫だって言ってたから、つい信じちゃって……。それに叔父さん、医者にかかるのは嫌いだって言って、何回言ってもハインズ先生のところに行こうとしなくて。でも……もっと勧めてたら、もしかしたら叔父さん、死ななかったんじゃないかなって……」

 話すうちに、ミウの目からは涙が流れ出す。

 アイラにも、彼女の気持ちは察せられた。親しい人間を失った痛みと後悔。それはアイラの胸にも巣食っている。十四年前から、ずっと。

「……終わったことを悔いたところで仕方がない。次がないよう、生きるしかない」

「強いんだね、アイラは」

 アイラは黙って首を横に振った。ミウは、その否定に納得いかない様子で首を傾げる。

「どうして? そうして割り切ってるのは、強いからじゃないの?」

「……割り切ってはいない。どうしようもないから、諦めただけ。……できることなら、やり直したいと思うさ」

 アイラの声は低かった。ミウの口が小さく動いたが、声は出なかった。

「……ごめんね、こんな話して。それじゃ、お休み」

「いや、構わない。お休み」

 ミウが部屋を出、階段を上がっていく。アイラも暖炉の火を消し、手紙を畳んで、寝るために部屋に戻った。