個々の胸中

 アビゲイルがアイラに視線を向ける。

「これは家の問題で、あなたには関わりのないことです。口を出さないでいただけますか」

「……別に出しゃばる気はない。ただ……このままじゃ、たぶん良い結果にはなりそうにないと思っただけ。ええと……そっちの人」

「私はアビゲイルと申します」

 アビゲイルの鋭い視線がアイラに向けられる。失礼なことを言う娘だ、とその顔に書かれている。

 しかしアイラは、そんなことには一切構わずに言葉を続けた。

「二人に、考える時間くらいあげてもいいんじゃないか。急なことだし……落ち着いて考える時間も必要だと思う」

「……それもそうですね。それでは、明日また来ることにいたします。それまでに、考えておきなさい」

 ドアの閉まる音。リウがそっと息を吐いた。

「ミウったら、失礼よ。あんなこと言って」

「でも、ほんとのことじゃない。大体、こっちのことを何にも聞かないで、勝手なことばっかり言って。そうよ、勝手すぎるわ」

 ミウはまだ怒りが収まらないらしい。普段の彼女なら見せない苛立ちが、その声には現れている。

「そりゃ急な話だけど、でもアビゲイル伯母様だって、私達のことを考えて――」

「ほんとに考えてるんなら、あんな言い方しないわ! 第一、私達がいなくなったら畑はどうなるの? ローヴァーやレッサは? そんなこと何にも気にしないで、勝手に自分の言いたいこと言ってただけじゃないの!」

 リウが言葉に詰まる。そんな姉を見つめるミウの瞳は、激しい感情できらきらと光っている。

「でも、ちょっと考えるくらいは――」

「なら、姉さんだけ行けばいいじゃない! 私は絶対行かないから!」

 そう叫んで、二階へと駆け上がるミウ。バタン、とドアを乱暴に閉める音が、一階にいる二人の耳に届いた。

 リウが肩を落とす。アイラは黙ったまま、手だけを動かしていた。

「どうしたらいいと思う?」

「…………私が口を出すことじゃないと思うが……リウはどうしたいんだ」

「私は……、私も、ここに残りたいの。私達、家って言えるの、ここしかないから。伯母様の言ってたことは、もっともだと思うけど、ミウも言ってたみたいに、畑の世話も、ローヴァーや、レッサの世話もしなきゃいけないし、簡単には離れられないの。それに、アビゲイル伯母様って悪い人じゃないし、実際家なんだけど、どうも私、あの伯母様とは合わなくて」

「なら、それを言えばいいんじゃないのか」

「それはそうなんだけどね……。アビゲイル伯母様、言ったことは実行する人だから、嫌でも離れなきゃならないでしょうね……」

 アイラが顔をしかめる。その表情は、リウには見えていない。

「……私は、好きに生きれば良いと思う。自分の家にいたいからいる。それがどうして咎められる? 自分の家が……自分が落ち着けるところがあるのは、良いことじゃないか。リウが家にいたいって言うんなら、それを止めさせる権利は誰にもない。私には、あの人は、自分の考えを押し付けているように見えた」

 アイラには、背を向けているリウの表情は分からない。彫り上がったウサギの木彫りをポケットに突っ込み、木屑を片付ける。

 その内に日は暮れ、夕食の時間になったが、ミウは降りて来ない。リウが呼びに行き、しばらく経ってからようやく二人揃って降りて来る。ミウの目は泣き腫らしたように真っ赤になっている。

 夕食は、パンと野菜のスープ、豚肉のソテー。食卓に会話はない。時折、リウが何か言いたげな様子を見せるものの、結局口を閉じてしまう。

 夕食を終えると、ミウはさっさと二階に戻ってしまった。その様子を見て溜息を吐くリウ。そして片付けを終えると、彼女は静かに階段を上って寝室へと向かった。

 ベッドの上には布団の山ができている。リウはそっとベッドの端に腰掛けた。

「アビゲイル伯母様のお話は、お断りするわ」

 もそりと布団の山が動く。ゆっくりとミウが頭を出した。戸惑ったような、ばつの悪そうな表情をリウに向けて。

「姉さんは、行きたいのだと思ってたわ」

「あら、私行きたいだなんて一言も言ってないわよ。そりゃ、向こうへ行けば、ここより良い暮らしはできるでしょうけど、私、自分の家を離れたくないの。伯母様は怒るでしょうけど、明日、ちゃんと説明するつもりよ」

「うん。その……ごめんね。私、つい、かっとなっちゃって」

「いいわよ。でも、気を付けなさいよ。ミウったら昔から、かっとなったら周りが見えなくなるんだから」

 少し笑みを含んだ声で言い、リウもベッドに潜り込んだ。

 そして夜遅く、寝ようとベッドに入ったアイラは、しかし中々寝られないまま、今日のことをあれこれと思い返していた。そんな彼女の脳裏に、かつて養父・タキとかわした会話が、鮮やかに蘇る。もう四年も前のことにも関わらず。

『もう断刀を使うなよ。何かあったらどうするつもりだ』

『……そのときは、自分でどうにかする』

『自分で? 無理だろう。断刀を使えば自分を失くすくせに』

『私だって、自分のしたことの始末くらい、自分でつけられる。親でもないのに、私のことに口を出さないで!』

『そこまで言うんなら、もう勝手にしろ!』

 これが二人の最後の会話だった。この会話をした夜に、アイラは養父の元から飛び出したのだ。

 今なら、タキの言葉は正論だと素直に思える。不完全な“門”であるアイラには、断刀は制御しきれない。敵対したものを全て排除するまで、止めることはできないのだ。巡礼地でメオンら“狂信者”を返り討ちにしたときのように。

 自分の浅はかさを思い知る。

 タキがいなければ、自分は十四年前に死んでいただろう。それでも四年前のあのとき、タキの言葉に反発したのは、アイラが断刀を使ったから、「はぐれ」の魔物を倒すことができたという事実があったからだ。

 しかしそれが何になるだろう。いくら魔物を倒しても、断刀を使った結果自分を失うことに変わりはない。巡礼地で“狂信者”を相手に使ったときも、こうして助けられていなければ、失血か寒さで死んでいた。

 アイラがここまでタキとのことを考えたのは、一人で流れ歩くようになって初めてだった。これまではできるだけ考えないようにしていたのだ。自分が間違っていたことを認めたくないばかりに。

 なぜこんなことを今になって考えたのだろう。アイラがその理由に気付くのには、さほど時間はかからなかった。

(アビゲイル、だったか。あの人が来たからだろうな。あの人とミウのやり取りが、何となく似てたんだ)

 考えるのをやめて目を閉じる。あっという間に、アイラから、規則正しい寝息が聞こえ始めた。

 翌日、アビゲイル夫人は昨日と同じ時間に、姉妹の家を訪れた。

 テーブルを挟んで、伯母と姪達が向かい合う。

「さて、考えてくれたかい?」

「はい。伯母様のお話は、申し訳ありませんけど、お断りさせていただきます」

 伯母が呆気にとられた顔をリウに向ける。

「そんなことを言ったって、昨日も言ったけれど、お前達は結婚もしなけりゃならないし、こんなところじゃ危ないことだってあるだろう? 暮らしも楽じゃないだろうし」

「私達は十分暮らしていけるだけのものは持っています。それに牛や馬の世話をしなければなりませんし、畑のこともしなくてはならないんです。ここはトマス叔父さんの家ですけれど、私達の家でもあるんです。私達、自分の家を離れたくないんです」

 アビゲイルが眉根を寄せる。今度はミウも激昂することはなく、伯母の顔を真剣な顔で見ている。妹にちょっと視線を向けてから、リウが言葉を継ぐ。

「伯母様が私達のことを心配してくださっているのはよく分かっていますし、それはほんとにありがたいと思っています。でも、叔父さんが死んでから、ずっと二人で静かに暮らしてきたから、今更、伯母様の家のような豪華な生活に、慣れることができるとは思えないんです」

 沈黙。

「……そうかい。そこまで言うなら、仕方ないねえ。でも何かあったら、すぐに知らせてくるんですよ。お前達から見たら、あたしは気に入らない人間かもしれないけれど、あたしはお前達を大事に思っているんだから」

「アビゲイル伯母様。昨日は失礼なことを言ってすみませんでした」

 ミウが立ち上がり、伯母に頭を下げる。伯母の視線は一瞬鋭くなったが、やがてその目元は和らいだ。

「ほらほら、顔を上げなさいな。あたしも確認すれば良かったね。まさか手紙が一ヶ月も遅れるなんて思わなかったものだからね」

 その言葉に付け加えて、もう一度、何かあったら連絡するようにと念を押して、アビゲイルは家を去った。姉妹は、これまでなかったことだが、途中までこの伯母を見送った。それは、姉妹の伯母に対する考えが変化したことの、確かな印でもあった。