傍にいる理由
ノックの後で姿を見せたのは、シュリとマティだった。
驚くアンジェを尻目に、アイラは二人を手招く。
「で、話って何なんだ?」
どかりと椅子に腰かけながら、マティが尋ねる。
「この前、シュリの親のことでおかしなこと言ってたろ。ちょっと、それについて詳しく聞きたいんだが……。無論、無理にとは言わない」
「何か、心当たりでも?」
シュリがおずおずと問う。
「……はっきりしたものではないが、な」
その答えを聞いて、シュリはしばらく考えていた。
「分かった。でも、長くなるよ。私の生い立ちから、話さなくちゃいけないから」
「構わないさ。時間はある」
アイラの答えを聞いて、俯いて考えていたシュリは、一つ頷いて話を始めた。
シュリは捨て子だった。彼女がそれを両親から聞かされたのは、十二かそこらの頃だった。
しかし、彼女は、自分が両親の本当の子ではないことを、それ以前から薄々気付いていたという。
シュリが、赤みがかった茶色い髪をしているのに対し、養母は金褐色、養父は黒髪。何よりも、シュリの顔は、両親のどちらにも似ていなかった。
あるとき、養母は重い病気にかかり、一時は命まで危うくなった。
いよいよ危ないと思われたとき、養母はシュリを枕頭に呼び、彼女が道端に捨てられていた子であることを伝えたのだ。
「正直に言って、そこまでショックじゃなかったの。だって、それどころじゃなかったから」
シュリは小さく笑いながら、そう付け加えた。
その後、奇跡的に、養母の病気は良くなったものの、医者への礼金や薬代がかさみ、一家はあっという間に貧乏になっていった。
そんな折、シュリが住んでいた村を、黒犬を連れた旅芸人の老爺が訪れた。アサキと名乗ったその老人は、両親に取引を持ち掛けた。
シュリの身柄を、借り受けたいと。
身寄りもなく、道連れといえば、連れている犬のカトウだけというアサキが、シュリを欲しがったのは、一座の一人に加えるためであった。
散々悩み、話し合い、結局、両親は、老人の頼みを聞き入れた。
アサキはシュリを借り、その代わりに、月に一度、八ジン(金貨八枚)を送金することになり、それから彼女はこの老爺と共に、旅芸人としてユレリウスを回っていた。
その内、風の便りに、両親が借金を返し、どうにか普通の生活が送れるようになったと知り、彼女も胸をなで下ろしていた。
シュリ自身にとっても、旅は決して悪いことではなかった。
アサキは座員を酷く扱うような人間ではなく、カトウもすぐにシュリに懐いた。
人前で歌い、踊ることにもすぐに慣れた。元々素質があったのか、シュリはアサキが驚くほど早く、彼が教えることを吸収した。
しかしある冬の夜、アサキは酔っ払いの喧嘩に巻き込まれ、重傷を負ってしまう。
そして今わの際に、彼はシュリに包みを一つ渡した。
――お前の親から預かっていたものだ。お前を拾ったときに、着ていたものだそうだ。お前がこれから、本当の親を探す手掛かりになるだろうよ。
そう言い残して、アサキは息を引き取った。なお悪いことに、この数週間前に、カトウも、老衰で死んでしまっていた。
その後、行き倒れになりかけていたところを、マティに助けられ、実の両親を探すべく、旅を続けていた。
そしてつい数週間前に、シュリは実の両親と名乗る二人を見つけることができた。
その二人が住んでいたのは、ユレリウス中部のフィレインという町で、両親は、そこで商人をしており、主に小間物を商っていた。
とはいえその家は、金持ちとはお世辞にも言えない暮らしで、その日その日がどうにか暮らしていけるかどうか、といったところだった。
そのため、シュリは自分から、これまでと同じように、旅芸人として稼いで、いくらかでも送金すると申し出、マティと一緒に旅暮らしに戻った。
シュリの話を聞きながら、アイラは瞑目して、じっと考え込んでいた。
「……そういえば、その服は今、見られるか?」
「え? うん、取ってくるから、ちょっと待ってて」
シュリが部屋を出て行く。足音が十分に遠ざかったのを確認してから、アイラはマティに顔を向けた。
「で、シュリの親が泥棒と飲んだくれっていうのは、どういうことだ?」
「ああ。シュリには見せないようにしてたみたいだけど、父親の方は、夜中に、仕入れたって言ってた商品の、正札を切り取って別のを着けてたんだ。おかしいだろ? ちゃんと仕入れて売るんなら、そんなことしなくていいはずだ。それに、母親は、昼間っから酒に溺れててさ。娘が戻って来たっていうのに、優しい言葉一つもかけないで、金を稼ぐ道具としか見てない。それで、信じろっていう方が無理な話じゃないか」
「なるほど。フィレイン……“泥棒小路(シーブズコート)”か」
「知ってるの? というか泥棒小路って……」
「ああ。あの辺りは治安が悪いから、そんな風に言われてるよ」
そんな話をしているときに、布包みを持って、シュリが戻って来た。
包みをはらりと開く。
包まれていたのは、白いネルの上着と、柔らかな綿の上下、そして金糸で刺繍が施された、淡い紫のカシミヤの外套に、白い毛糸で編まれた靴下。
外套の、襟の部分には、何かを切り取った跡がうかがえた。
「……高そうだな」
「高そう、っていうか、絶対高いわよ、これ」
じっくりと服を眺めていたアンジェが、アイラの呟きに言葉を返す。
「ありがとう、シュリ。もし何か分かったら、すぐに知らせるよ」
アイラの言葉に、ぱっとシュリの顔が輝いた。
「ありがとう!」
感情が高ぶったのか、シュリが勢いよくアイラに飛びついた。
アイラは面食らったものの、スカーフの下で口の端を緩め、シュリの背を軽く叩いた。
「話はこれだけだ。時間を取らせて悪かったな」
「いや。そうだ、ちょっとそっちの……アンジェだっけ? 借りていいか?」
ちらりとアンジェが視線をアイラに向ける。
「長くなりそう?」
「いや。ちょっと、聞きたいことがあるだけだよ」
「私は良いけど、どう?」
アイラは少し考えた。
(マティアスが、アンジェに用があるのなら、内容は多分あのことだろうな)
「あまり離れないなら、構わないが」
「そっか。じゃ、シュリ、部屋、借りるぞ。隣だろ」
アイラを一人残して、三人は部屋を変わった。
アンジェの正面に座ったマティが、眉を寄せたしかめ面で、射るような視線を向ける。
「あの、さ。アイラが、あんたの兄さんを殺したって、ほんとなのか?」
アンジェの表情が強ばる。一度唾を飲み込んで、アンジェはできる限り平静を装って言葉を発した。
「どうして、それを?」
「あいつが言ってたんだ。町であんたを見かけたとき、追わないのかって聞いたら、アイラはそう言った。あんたの兄を殺したから、自分には、あんたに何かを言う資格はない、って。それ、ほんとなのか?」
「ええ、そうよ」
「だったら、だったらなんであいつと一緒にいるんだよ。怖くないのか?」
「元々、殺されたのは、兄さんが悪かったのよ。彼女は、自分の身を守っただけ。だってそうでもしないと、殺されてたのは、アイラの方だったから。……それに、なーんか、ほっとけないのよね」
くすり、と、小さくアンジェは笑う。
部屋に戻ると、アイラは布団に潜って眠っていた。やつれた寝顔は、無心のはずなのにどこか悲しげに見えた。
マティには、アイラが怖くないのかと聞かれたが、よく振り返ってみれば、アンジェは、アイラを怖いと思ったことはなかった。
初めはただ憎かった。この手で殺したいと思っていた。
けれど今は、そんな気持ちは欠片もない。ただ、危なっかしい、とは思う。
『守ること』。それがアイラの行動原理だ。アンジェにも、それは良く分かっている。けれどそれは、ときにアイラ自身を危険にさらす。
今のような生き方をしていなければ、アイラはきっと平穏に生きていたに違いない。
そんなことを思っていると、アイラが、まだ眠そうに起き上がった。
「……戻ってた、のか」
開いているのかいないのか、はっきりしない目で、アイラがアンジェを見る。
「うん、ついさっき。ねえ、聞いても良い? どうして、町で会ったとき、私だと分かったのに、追って来なかったの?」
「んー……生きていてくれるなら、それで良かった。あんたがどう生きるのか、まで、私は口を出すことはできないし。それに……幸せそうに、見えたから」
ややためらいがちに、アイラは最後の一言を付け加える。
まだ残る眠気を払おうと、ベッドから降りてバスルームへ向かう。
冷たい水で顔を洗う。
ぼうっとしながら、アンジェの問いかけを思い出す。
(……柄にもないことを言ったな)
乱れ髪を手櫛で整えつつ、口元にしわを寄せる。
(まあ、いいか)
面映ゆいような気はするが、言わないままよりは余程良い。手遅れになるよりは。
「ねえ、そろそろ夕食食べに行かない?」
ドア越しに聞こえたアンジェの声に、アイラはああ、と言葉を返した。
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