傷付く者は

 食堂に入ったアイラは、とりあえずアンジェやリイシアが座っている席の、一つ隣に腰掛けた。

 カルウと、疲れに良いらしいハーブティーを頼む。

 特に何もつけずに、カルウを千切って口に放り込む。

「何か付けたら?」

「……別にいい」

 ハーブティーを口に含むと、ふわりとした甘みが舌に触れた。砂糖の甘みとはまた違う。

 アイラが朝食を終えた頃に、クラウスが食堂に姿を見せた。

 彼もまた簡単に朝食を終え、五人は宿を発った。

 どういう訳か、ネーデルの町は街道を遮るような位置にある。そのため、先へ進むなら街道沿いに進むよりも、街を突っ切った方が早い。

 それを見越したのか、五人が歩く通りの両側には、旅に必要な保存食や衣服などを商う店が軒を連ね、ちょっとした商店街ができていた。

 売り子がそれぞれに声を張り上げる。

 それぞれが、適宜必要なものを買い足しながら通りを抜けた五人は、ネーデルを出て街道を進んでいく。クラウスが先頭に立ち、ネズ、リイシア、アンジェ、殿にアイラと並んで歩く。

 周囲に人目は多い。まさかこんなところで襲ってくるとは思いにくいが、警戒をするに越したことはない。

 アイラは時折、腰に巻いた帯に手を当て、そこにあの魚の木彫りがあることを確かめていた。いざとなれば、打矢の代わりに使うつもりで。

 しばらく歩いていると、不意にアイラがちらりと後ろを振り返った。きゅっと眉をひそめてから前を向き、何事もなかったかのように歩き出す。

「誰かいますか」

「多分」

 ネズと低く言葉を交わす。それに気付いたクラウスが、アイラに視線を向ける。

「一人は、確実に付けてきている」

「こっちから仕掛けるか?」

「……いや。進んだ方がいいと思う。ここは人目が多い。向こうも仕掛けてはこないだろう」

 クラウスは小さく頷き、それまでと歩調を変えることなく先へ進む。

 次の町、ガリアラに五人が入ったとき、付いて来ていたはずの気配はふっと消えた。

 いつものように宿を取り、部屋に荷物を置いたアイラは、クラウスとネズの部屋に顔を出した。

 ネズは早めの夕食を取りに、食堂へと向かっていたが、クラウスは部屋に残っていた。

「……この先、どうする?」

「あー、それな。ネズに聞いたら、毎年と同じなら、後一週間もすれば、サウル族はカチェンカ・ヴィラからビルイーズに行くらしいんだわ。そうなると、追うのがちょっとキツイだろ。何せ、山越えになるしな。特にアンジェの姉さん、そんなの慣れてねーだろ」

「……そうだな。となると、結構ぎりぎりなんじゃないのか、今の道程」

「ああ。このまま進んで、カチェンカ・ヴィラで追いつくかつかないかってところだ」

「……街道沿いに進まなければ、どうだ?」

 一瞬、何を言っているのかという顔になったクラウスに、アイラは地図で道筋を示して見せた。

 それは森を大きく迂回して伸びる街道を通っていくのではなく、街道を外れ、森を突っ切るというもの。

「あー、確かにこれなら早い……でもさ、これ、道あんの?」

「獣道、ってところだけど。一応、通ったことは何度かある」

「なら何とかなる、か? だけどこっちにしたら、まず間違いなく向こうは襲ってくるぞ。人目もねーし、隠れるところも多いし」

「……それはこちらも同じ条件だ。襲ってくるというなら、加減はしない」

 喉元まで出かかった、いつだって加減してねーだろ、という言葉を飲み込み、クラウスはいつかのように、「頼むぜ」と声をかけた。

 アイラは答える代わりに一つ頷き、部屋を出て行った。

 先に湯を使い、さっぱりと埃を洗い流したアイラは、そのまますたすたと食堂へ向かった。

 ちょうど夕食どきということもあって、食堂には既に大勢が入っている。どうにか空いた席を見つけて座り、アイラは一番安いセット料理を頼んだ。

 やがて運ばれてきたセットを食べながら、アイラはそれとなく周囲を警戒していた。

 ほとんどが自分の食事に夢中になっている中で、いくつか、自分に向けられる視線がある。大抵は好奇の視線だったが、中に一つ二つ、好奇とは違う感情の乗った視線がある。

 アイラの勘は、その視線を『敵意』だと判断していた。

 食事を終え、皿を返す場所を確認する風で周りを見回す。しかし、怪しげな影は見当たらない。少し探ってみたが、殺気も感じない。視線も、いつの間にか消えていた。

 既にヤツトか、他の誰かがこの辺りにいることは確かだろう。しかし殺気を向けてこないということは、ここで襲ってくるつもりはないのだろう。

 最も、これほど人目の多いところでそんなことをするようなら、ヤツトという男は誰が傷付こうがどうでもいいと思っているか、そうでなければ稀代の馬鹿者だ。

 トレイの乗った皿を返し、アイラは腹帯に片手を差し込んだまま、部屋へと戻った。

 部屋では、ちょうど湯から戻って来たらしいアンジェとリイシアが、寝る支度を始めていた。

「……明日からは、ちょっと道を外れることになる。多分、ヤツトの方が何か仕掛けてくるだろうが……そのときは、とにかく逃げろ」

 何か言いたげなアンジェを、目線で制する。

『でも……もし、前みたいなことになったら?』

『ならないよ。約束したろ?』

「アイラなら、大丈夫よ」

 アイラの言葉に重ねるように、アンジェがきっぱりと言い切る。そのことに少し驚いてアンジェに視線を向けると、彼女はリイシアから見えない方の眉をきゅっと吊り上げた。

 その夜、リイシアが眠った後で、女二人は静かに言葉を交わしていた。

「あんなこと言ってたけど、絶対に無事だと、言い切ることはできないのでしょう」

「……そりゃね。いつどうなるか、なんて分かったものじゃない」

「あの子だって分かってるわよ。あなただって、約束はしたけど死ぬかもしれないってこと。……いい加減、気付いたら? あなたが傷付くことで、リイシアも傷付いてるのよ」

 ふ、とアイラが一つ、かすかに息を零す。

「知ってるよ。『“アルハリクの門”ならば、自分自身も守れなくてはいけない』と、何度も言われて育ったもの」

「だったらどうして自分を傷付けるようなことをするのよ」

「してないよ。……言ったろう、自己犠牲は嫌いだって。それに……」

 すうっとアイラの目が細められる。

「私に戦うなと言うなら、あんたが代わりに戦うか? 動きを見ていれば、あんたが知ってるのは付け焼刃の技術でしかないことくらいは分かるけど、それでも?」

 少し、アイラの言葉に棘がある。怒ってはいないのだろうが、灰色の目に宿る光はきつい。

「別に……そういうことを言ってるわけじゃ……」

 言い切る前に、言葉がアンジェの口の中で消える。

 俯いてしまったアンジェとは反対に、アイラは空に視線をさまよわせる。

「……まあ、言いたいことは分かる。悪かったよ」

 感情のない声で、ぼそっと呟くアイラ。おそらくはこれが精一杯なのだろうというのは、アンジェにも分かっていた。

 アイラの目から、既に険は取れていた。

 それっきり、どちらも口を開くことはなく、めいめいベッドに潜り込んだ。

 

→ 待ち伏せ