兄の仇
オルラントの牧師館で、二人の男女が向かい合って座っている。一人はオルラントの牧師、ラルフ。もう一人は長い濃茶の髪の、旅装束の女。
「まず、アンジェさん。お兄様のこと、お悔やみ申し上げます」
ラルフ牧師の言葉に、アンジェと呼ばれた女が小さく頷いた。彼女の目は泣き腫らしたように赤い。ややあって、アンジェがぽつりと呟くように尋ねる。
「兄は……メオンは、なぜ死んだのですか?」
「詳しいことは分かりませんが、どうやら、北の巡礼地、レヴィトで冬季節の祈りをしていたところを、何者かに襲われたようです。他に六人の聖職者がいたのですが、彼らもまた無残な姿で見つかりました」
牧師が瞑目する。
「誰が……誰がそんなことを」
アンジェの声は震えている。怒りと悲しみ、その両方で。
アンジェの言葉を聞いて牧師が取り出したのは、レヴィ・トーマの信者が身に付ける聖印。金の輪が二つ繋がった形状のそれには、赤黒い汚れがついている。
「お兄様のものです。ご自分で、『読取』をなさった方がよろしいかと」
渡された聖印を握り、呪文を唱える。目を閉じたアンジェの視界に、メオンが見ていたのであろう光景が映し出される。
雪の上に血塗れで伏す六人。どれも凄惨な殺され方で、服装からどうにか聖職者なのだろうと分かる。
そして目の前には、灰色の髪の、小柄な人間が立っている。その顔に狂気じみた表情を浮かべて。
「あなたは、何者ですか」
メオンの声は震えている。答えはなく、すっと距離が詰められる。それに合わせて、メオンが一歩後ろに下がる。目の前に立つ人間の、石のように冷たい、光のない目を見て、全身が凍り付くような恐怖に襲われる。
メオンが振るった剣が、眼前の人影の、腕から伸びた刃らしきものに、あっさりと切り飛ばされる。
「なぜ、動けるのですか」
血塗れの相手はメオンの問いを意に介した様子もなく、歩みを進める。メオンの感じた恐怖が、アンジェにもはっきりと伝わってきた。
「あなたは……あなたは一体、何者ですか」
穏やかで、静かな兄の声は、アンジェが聞いたこともないほど震え、掠れていた。相手の唇がわずかに動き、二つの声がその口から発せられる。
「我はアルハリク。ハン族の護り手」
「私はアイラ。門の娘」
壮年の男の声と、若い女の声。女の声は、この相手のものだろうか。メオンの助けを求める声を遮り、淡く光る剣が振り下ろされる。
左右の腕を切り落とされる衝撃と激痛。メオンの視界に振り上げられた剣と三日月型に歪んだ口元が入る。剣が高い音を立てて振り下ろされ、視界が闇に閉ざされた。
『読取』を使い、メオンが最期に見たのであろう光景を読み取ったアンジェの額には、冷たい汗が浮いていた。その顔色も、今にも倒れそうに思われるほど悪い。
「少し横になられた方が、よろしいのではないですか?」
「いえ、大丈夫です」
アンジェの瞳には、冷たい炎が燃えている。
「他の方のも、読み取られたのですか?」
「ええ。しかし概ね、あなたがご覧になったのと同じような場面しか見ることができませんでした」
「『アルハリク』、あるいは『門の娘』について、何かご存知ですか?」
「いいえ。……まさかとは思いますが、アンジェさん。あなたは、この相手を探し出そうと思っておいでなのですか?」
牧師が静かに問う。アンジェは兄と同じ、茶色の瞳を吊り上げた。
「当たり前です! 放っておけと言われるのですか? 兄や他の人達を殺した相手を!」
「そこまでは言いませんが……。失礼ながら、あなたでは返り討ちにあいかねないかと。それはお兄様も望まれないでしょう。それに、レヴィ・トーマは円環の神。復讐のためとはいえ、人を殺すことを、神は許されるでしょうか」
「……ならば、私を破門してください。例えそれがレヴィ・トーマの御心に適わぬことであっても、私は兄達を殺したこの人を、許すことはできません」
アンジェの声は低い。膝の上で固く握られた拳が細かく震えている。
「そのことについては、いずれまた話し合うとしましょう。お疲れでしょうから、今日はこちらでお休みください」
「ありがとうございます」
その翌日から、アンジェは牧師の目を盗むようにして、アイラのことを調べて回った。ラルフ牧師に知られれば、止められると分かっていたからだ。
幸いなことに、アイラやメオンと共に仕事をしていたクラウス・エレンゼとライはまだ北部に留まっていた。そのことを知り、早速アンジェは二人の元を尋ねた。
二人とも、レヴィトで聖職者が殺されたことは知っていたが、その中にメオンが含まれていようとは思わなかったらしい。アンジェの口からメオンの死と、殺したのはアイラらしいということを聞いた二人は、当然ながらひどく驚いていた。
「そういやアイラ、メオンの旦那と何か言い争ってなかったけか? ほら、ヤスノ峠越える前に」
「ああ、そう言えば確かに」
メオンとアイラがどんな関係だったか知らないかと尋ねると、二人からはこんな言葉が返ってきた。
「それは、どんな内容だったのですか?」
「オレは知らないなあ。ライの旦那は知ってるか?」
「さあ、何でも宗教関係らしいとは聞いたが」
「そうですか。あの、兄とその人は、普段からそんな風だったのですか?」
「いや。特別仲が悪いとかは……なかったよな、旦那」
「そうだな。メオンもここに来る前に、何か頼んでいたしな」
予想とは違う言葉に戸惑いながらも、アンジェは更に二人に問いをかける。
「兄は、何を頼んでいたのですか?」
「内容までは知らねーけど、オルラントで用があるから付き合ってくれって、メオンの旦那がアイラに言ってたのは聞いたよ、オレは」
「しかし、アイラがメオンを殺したと決めつけるのは早いんじゃないか? アイラの持っていた刃物はナイフくらいだ。だがレヴィトで襲われた聖職者達は、全員が全員身体をばらばらにされてたって話じゃないか。ナイフじゃ無理だろう。ぶん殴って、ってんなら分かるが」
ライの疑問に、アンジェは『読取』で見た光景を簡潔に伝えた。話を聞いた二人が揃って驚きの表情を浮かべる。
「腕から剣が? お前知ってたか?」
「いや、オレも知らねーよ。前んときも、そんなの見せなかったし」
アンジェはアイラの行方を尋ねてみたが、二人とも知らないと答えた。
「アンジェさん、だっけ。アイラを追うのは、止めた方がいいと思うよ、オレは」
立ち去る直前、クラウスがアンジェに声をかける。
「なぜですか?」
「アイラ、容赦ねーもん。昨日まで仲が良くても、今日敵になったらあっさり殺せるような奴だし。分が悪いと思うね」
きっと、真正面からクラウスを睨み据えるアンジェ。
「それでも私は、その人を許してはおけません」
言い捨てて立ち去る。後ろではクラウスが困ったように、金髪を掻き回していた。
「しかし、どうも納得いかない話だな」
アンジェの姿が見えなくなった後で、ライがぼそりと呟く。
「『読取』で見たんなら確かなんだろうが……」
「少なくともアイラがメオンの旦那を殺したのは確かなわけじゃん。そうなるまでに何があったのか、ってのが問題じゃね? そりゃアイラは敵なら殺しもするようなやつだったけどさ、特に敵でもない相手殺すほど、ぶっ飛んだ性格はしてねーはずだよ」
「ならお前はどう思うんだ?」
「まあ、一番しっくりきそうなのは、アイラかメオンの旦那か、どっちかが、操られるなり騙されるなりしてた、ってとこかね」
すっきりしないものを抱えたまま、二人も泊まっている隊商宿の中へと戻って行った。