再びウーロで
アイラとアンジェの二人は、石畳の敷かれた街道を歩いていた。特にどこに行くという目的はないが、とりあえず来た道を戻りながら、中部の方角に向かって歩いている。
コクレアを発ってから、既に七日。二人の進む速さは、かなりゆっくりとしたものだ。特に急ぐ必要もないという理由もあるが、何より、まだ旅に慣れていないアンジェに、アイラが合わせている、というのが大きい。
最も、アイラは一言もそんなことは言わない。しかし朝、日がある程度昇ってから出発し、夕方頃にはもう、宿を取るか野宿の準備をする、ということを繰り返していれば、気遣われていることくらいはアンジェにも分かる。ひどく不器用な気遣い方ではあるが。
ランズ・ハンに向かうときには、その気遣いを無視していたアンジェだったが、今では素直に受けることができる。
「もうすぐ、ウーロだ。……疲れた?」
前を歩くアイラが、不意に振り向いて尋ねる。
「ううん。大丈夫」
アイラの言葉通り、五分と歩かない内に、ウーロの門が見えてくる。太陽はだいぶ傾いているが、夕方と呼ぶにはまだ早い。
町の中に入ると、すぐに市場が見えてくる。行き交う人々の姿が、ここからでも見えた。
傍の屋台でアイラはリムの実のジュースを、アンジェはいちご水を買い、近くのベンチで一息入れる。
「お、アイラじゃないか」
二人を見て、通りかかった。初老の男が声をかけてくる。手に袋を提げているところからすると、どうやら買い物の途中のようだ。
男の赤みがかった茶の髪には、白いものが混ざっている。
男は一見すると温厚そうだが、その目に宿る光は鋭い。
「タキ」
怖じる様子もなく、ぼそりとアイラが呟く。男――タキはにっと笑みを浮かべた。それからアンジェに気付くと、その顔が少し驚いたような表情に変わる。
「おや、そっちは連れか?」
ん、と頷くアイラ。ほう、とタキが驚きと歓心が混ざったような声を漏らす。
「さっき来たばかりか? なら宿も決めてないだろう。何なら家に泊まるか?」
「いいの?」
「構わんさ」
「じゃ、そうする」
あっさりと話が決まる。追加で食品を買い込み、三人はタキの家へと向かった。
家につき、買って来たものを整理するタキと、屋根裏で寝床を作るアイラ。アンジェはアイラの傍で休んでいる。
「あの人、知り合い?」
「……養い親」
一言で答える。アンジェの目が丸くなったような気がした。
その夜の食事は、パンと煮た鶏肉、市場で買ったソルド(練った米粉を薄く伸ばしたもので、数種類の野菜を包んだもの)。
食事の間、タキはランズ・ハンでのことを尋ね、アイラはぽつぽつとそれに答えていた。しかし全てを話すことはせず、所々ぼかしているのが、横で聞いているアンジェには分かった。
タキも薄々それに気付いたらしく、軽く眉をひそめる。
「お前……何か隠し事があるんじゃないのか?」
「別に」
タキの褐色の目と、アイラの灰色の目が宙でぶつかる。アイラが小さく肩を竦めた。
「隠し事が、あるわけじゃない。ただ……何て言えば、ちゃんと伝えられるのか、分からない。多分、直に見た人でもないと……伝わらないと思う」
アイラの答えに、意外にもタキは「そうか」とあっさり頷いた。
「そうだな。言葉ってのは、必ずしも万能じゃないからな」
「うん。もしいつか……話せそうだと思ったら、話すかも、しれない」
「そうか。まあ、無理はするな」
タキの言葉に一つ頷き、アイラはソルドを口に放り込んだ。
「二人とも、これから、どこに行くんだ?」
食後、タキが何気なくアイラに問う。
「……中部の方」
温かいコーヒーを啜りつつ、アイラが答える。その後、半分ほど残ったコーヒーを一気に飲み干した彼女は、「寝る」と一言言い置いて屋根裏へと上がっていった。
「すみません、私までお世話になって」
「いや、構わないよ。どうせ普段は一人暮らしだ。たまには増えるのも悪くない」
くく、とタキが笑う。その直後、彼はふと表情を真顔に変えた。
「しかし、あいつと旅するのは大変だろう。変わり者だからな」
「そう、ですね。戸惑うことも、あります」
「だろうな。だが、あいつは根っこのところは良い奴だよ。周りに無関心なのは否定しないが。だが……無理もないことだろうな」
「それは……彼女が親しい人を、亡くしているから、ですか?」
アンジェの呟きに、タキが目を見開いた。
「驚いたな。あいつ、話したのか?」
「あ、その、まあ、ええ……」
アンジェのひどく曖昧な答えに、タキは首を傾げたものの、深く追求することはなかった。
「あなたは……アイラの過去のことを、知っているんですか?」
「大体は、な。だが、正確には知らない。俺が知ってるのはあくまで、ランズ・ハンにいたアイラ以外の全員が、何かに襲われたらしいと、それだけだ。それが何か、推測はできるがな。それに、どうしても俺がアイラの過去を知る必要があるなら、あいつは自分から話すだろうさ。無理に聞く必要は無い」
「そう、ですね。それじゃ、私も失礼します」
「ああ、お休み」
お休みなさい、と返し、屋根裏への梯子を上る。アイラは既に、布団にくるまって眠っていた。
アンジェも屋根裏の低いベッドに、疲れた身体を横たえた。
平然と、眉一つ動かさず、対峙した相手を倒すアイラ。倒れた相手の顔は分からないが、それでも、もう死体になっていることは分かった。
――よくあんな酷いことができるわね。
――必要なら、殺される前に殺すだけだ。
そう言い放ったアイラの手が、真っ直ぐに、アンジェの首へと伸びてきた。
「……っ!?」
暗い部屋の中で、アンジェは、ぱっと目を開いた。荒く息を弾ませながら起き上がる。
身体は細かく震えている。どうにか声を出さずに済んだことにほっとしつつ、アンジェは再びベッドに横になった。
ヘイズでアイラを殺そうとしたときのことを思い出した。あのとき、アイラはアンジェの首に手をかけた。絞めこそしなかったが、殺そうと思えば殺すことはできたはずだ。アンジェ自身は、抵抗できる状態ではなかったのだから。
「どうして、私を殺さなかったの?」
ぽつりと呟く。隣のアイラは背を向けていて、寝ているのか起きているのか分からない。
「…………騒ぎになるし、そうなったら面倒だったから」
まさか答えが返ってくるとは思わず、アンジェは心底驚いた。アイラがごそごそとアンジェの方に向き直る。
「確かにあんたを殺すことはできたけど、そんなことをすれば大変な騒ぎになることくらい、私にも分かる。それに……聖職者殺しは重罪だ。理由があっても、罰は免れない。第一、宿にも迷惑がかかる」
更に口の中で何か言って、アイラは再び目を閉じた。静かな寝息が聞こえてくる。アンジェもまた目を閉じ、眠ろうとしたが、中々眠りは訪れてくれなかった。
→ 予想外の再会