切り通しでの会談

 現れた人影は、どう見てもこんな場所にはそぐわない、ワンピースにブーツ姿で、濃茶の髪をショートカットにした女。そしてがっちりした体格の荒事慣れしたような男三人だった。女を見たクラウスが、「うげ」と心底嫌そうな声を漏らす。

「何でしょうか?」

「その男をこちらに引き渡してもらいたいのです」

 女がびしりと指さすのは、アイラの後ろにいるクラウス。バルダが穏やかに問う。

「なぜです?」

「こちらの事情で、そちらには関わりのないことです」

「しかし、こちらは彼に仕事を頼んでいますし、事情も分からない状態で引き渡せというのは、あまりにも乱暴なやり方ではありませんか?」

「それなら違約金を払います。いくらでも、そちらの好きなだけお金は払いますし、代わりの人間もつけますわ」

「悪いんだけどさ、マドレナさん。オレ、戻るつもりねーから、帰ってくんね? それに今、こいつと組んで仕事してる真っ最中な訳だし、オレ」

 こいつ、とアイラを指し示すクラウス。マドレナと呼ばれた女の視線がアイラを射抜く。

「あのー、旦那さん。悪いんですけど、宿場まで先に行っててもらえませんか? 日暮れまでには話つけて追いつきますから」

「分かったが、大丈夫かい?」

「ま、何とかしますよ」

 不安そうにしながら隊商が先を行く。アイラも続こうとした、そのとき。

「待ちなさい、そこの女! あなたには話があります!」

「おい!」

 クラウスが慌てた声を上げる。アイラは出しかけた足を止め、マドレナの方に顔を向けた。

「……何?」

 マドレナの茶色の瞳が、値踏みするようにじろじろとアイラを見る。アイラはそんなマドレナに対して不機嫌な様子を隠そうともしない。むしろ不快感と苛立ちをはっきりとその顔に、瞳に表して、マドレナを見返す。

「おい、マドレナさん。アイラは――」

「黙っていなさい! それであなた、名は何というの?」

「……アイラ」

「それだけ? 年は?」

「……二十四」

「出身はどこ?」

「…………西」

「ご両親は何をしているの?」

「…………」

 ふん、とマドレナが鼻を鳴らす。その態度に、アイラの眉間に深くしわが寄る。

「クラウス、こんなどこの馬の骨とも知れないような女とは別れなさい。害しかありません。そして早く帰っていらっしゃい」

「帰んねーって言ってんだろ。大体、失礼だぜその言い方。後何か変な勘違いしてるだろ、絶対」

「何が失礼なのです。真実を言ったまでではありませんか」

 アイラが一歩進み出る。小柄で細身の彼女の身体からは、手で触れられそうなほどの怒りが発せられている。

「……勝手な推測で人を巻き込んで、好き勝手に人を貶めることを言うのは、十分失礼だろう。言うに事欠いて、人の親まで馬鹿にして……!」

 アイラはきつく拳を握り、きっとマドレナを睨み付けた。灰色の双眸の奥で、怒りの炎が揺れている。

「これ以上、一言でも侮辱してみろ。貴様の鼻っ柱、へし折ってやる!」

 アイラの本気の脅しに、マドレナの顔からさっと血の気が引く。

 クラウスがアイラとマドレナの間に割り込んだ。そのままマドレナにきっぱりと言い切る。

「マドレナ・エレンゼさん、今になって何を言われても、オレは戻らない。必ずしもオレが継がなきゃいけない訳じゃねーもん。マドレナさんが継いだら良いだろ?」

 ここに至ってとうとうマドレナの堪忍袋の尾が切れたらしい。口調がそれまでの高慢で他人を見下すようなものから、ヒステリックなものへと変わる。

「妾の息子の癖に生意気な!」

「それだから嫌だっつってんだろうがよ!」

 マドレナの言葉に被せるように、額に青筋を浮かべたクラウスが凄まじい剣幕で怒鳴る。その剣幕に、マドレナや彼女に付き添っていた三人の男だけでなく、後ろで怒りを燃やしていたアイラですら思わず呆気にとられた。

「何なんだよほんとによ! いたらいたで妾の息子だって軽んじる癖に、出たら出たで喜ぶでもなく、挙句の果てには親父の跡継ぎがいねーから戻って来いだあ!? 自分勝手にも程があんだろ!」

 ぜいぜいと肩で息をするクラウス。それを見ながら、唇を引き結んだマドレナが手で何か合図をする。合図を受け、クラウスを力ずくで取り押さえようとした男達の真正面に、放たれた矢の如くアイラが飛び込んだ。

 男たちは皆、同じ意匠の革鎧を身に着けている。真ん中の男の鳩尾を狙って正拳を突き出す。

 ガン、と、金属鎧を殴ったときと同じ衝撃と痛みが拳に伝わる。それでもアイラは鎧崩しを使って殴ったため、男は息を詰まらせて悶絶する。

「アイラ、そいつらの鎧、下に金属が仕込まれてっから、気を付けろよ! それと、後々面倒になるから殺すな!」

「分かった」

 鞘に入れたままの剣で相手を殴り倒すクラウスと、一撃で相手を昏倒させるアイラ。瞬く間に男たちは三人が三人とも、地面に倒れ伏す。

 それを見たマドレナは腰を抜かしてへなへなと座り込み、目を白黒させている。

「アイラ、何か書くもの持ってるか?」

 アイラは荷物を探り、携帯用の小さなペンを取り出してクラウスに投げ渡した。

「ありがとな。えーっと紙は……これでいいか」

 近くに倒れている男の袖を千切り、クラウスはさらさらと何かを書き付ける。意外にも達筆だ。

「これ、親父に渡しといてよ。マドレナさん」

「なっ、何を勝手な……!」

「勝手はそっちだろうが」

 クラウスの声に再び怒りが現れる。

「訳の分かんねーことばっかり考えて、人を侮辱するしか能のない奴らばっかりの家になんか、いくら頼まれても戻らねーよ。んじゃ行こうぜ、アイラ。早いとこその腕、手当しなきゃなんねーだろ」

「……ああ」

 去って行く二人の背を、マドレナが恨みのこもった目で睨み続けていた。まるで二人を睨み殺そうとするかのように。

 夕暮れどき、宿場の大門のところで待っていたバルダが、二人を見つけて笑みを浮かべる。

「やあ、大丈夫だったかい?」

「はい。迷惑かけてすみません、旦那さん」

「気にすることはないよ。そうそう、ヴァルさんとも相談して、明日は一日ここで休むことにしたから、明後日からまた頼むよ」

「はい」

 それから二言三言話してから二人と別れ、アイラは宿の自分に割り当てられた部屋に向かった。低いベッドと小さなテーブルがあるだけの狭い部屋だ。

 アイラはベッドに腰掛けて、右腕に巻いていたスカーフを解いた。荷物から薬壷と包帯を取り出して服を脱ぐ。

 腕の傷は深い傷ではないのだが、まだじわりと血が滲み出ている。マドレナに付いていた男達とやりあったせいもあるのだろう。

 薬壷を開けると、つんと薬草の匂いが鼻をついた。血を拭い、緑がかった練り薬を傷に塗る。薬がしみて、思わず顔をしかめる。

 そうしていると、ノックもなくドアが開いた。視線を向けると、戸口でメオンが唖然とした顔で立っている。

 肌着一枚にズボンをはいただけのアイラと、その場にぽかんと突っ立ったメオンとが少しの間見つめ合う。やがてメオンは、ぱっと顔を朱に染め、「失礼しましたっ!」と裏返った声で叫んで出て行った。

 残されたアイラは気を取り直して包帯を巻き、服を着る。五分と経たない内に普段通りの格好に戻ったアイラは、ごそごそと荷物を探ってナイフと木切れを取り出した。

 荒く削られた木切れは、何となく何か生き物がうずくまっているように見えなくもない。アイラは木切れを削っては眺め、眺めては削る。しかしそれが完成する前に、アイラは木切れを荷物の中にしまってしまった。