十三年前
翌週の日曜日、アンジェは一人で、再び教会の礼典に参加していた。今朝方、ちょうど戻っていたアイラにも一声かけてみたのだが、彼女は教会と聞いた瞬間、即座に首を横に振った。
そのときに、調子はどうかと聞いてみたが、アイラはそれにも何とも言わずに肩をすくめた。
どうやら、うまくいっていないらしい。
(無理してないといいけど)
頭の片隅でそう思いつつ、アンジェは説教に耳を傾けた。
説教壇に立つイヴァク司教が、穏やかに話を進めている。
「さて、今日は、我らが隣人を失った、悲しき日でございます。皆様、かつての隣人に、一時の祈りを捧げましょう」
祈りの言葉が唱えられる。アンジェも周りに合わせて祈りを唱えていた。
やがて、礼典が終わると、アンジェは今日も真っ直ぐに、あの石碑のところに向かった。
ここに彫られた『彼ら』、そして礼典で語られた『隣人』が、イオリ族のことならば。そして、彼らが命を落とした原因が、言われている通りの流感ではなく、村にやって来たという巡礼にあるのだとしたら。
「そちらで、何をしておいでかな」
背後から聞こえてきた声に、アンジェはぱっと振り返った。数歩離れたところに、イヴァク司教が立っている。
アンジェを見る司教の目には、不振の色があった。
「あ、ただ偶然に、見つけたのです。司教閣下、この石碑は、あなたが建てられたのですか?」
「そうです。無論、私一人の力ではありませんが」
「この石碑には、何か曰くがあるのでしょうか」
「ふむ。あると言えば、ありますね」
「それを、教えていただくわけには、いかないでしょうか」
イヴァク司教は、暫くの間、何か考えるように目を閉じていた。
「ときに、貴女は、どこかの神殿においでですか?」
「いいえ、在家の聖職者です」
「それは、いつからですか?」
「この春からです」
「そうですか。しかし、お聞きになっても、気分を害されるだけになりましょう。あるいは、あなたにとっては、到底信じられぬ話でもあるでしょう。それでもお聞きになりますか?」
「はい。伺います」
アンジェは迷わなかった。それがどんな話になるのか、予想はしていたが、それでも自分はその話を聞くべきだと思っていた。
かつての彼女なら、そもそも答えを予想できなかっただろう。仮に答えが予想できていたとしても、それを聞こうとは思わなかっただろう。
アンジェの答えを聞いて、イヴァク司教が小さく頷く。
「では、私の家までお出でなさい」
司教に案内され、アンジェは司教邸に足を向けた。
司教邸は教会から少し離れた場所にある、小さな建物だった。町や教会の規模から考えて、かなり大きな邸であっても良さそうなのに。
不思議そうな顔のアンジェに気付いたのだろう、イヴァク司教が口元に微笑みを浮かべた。
「老人一人と使用人一人では、あの邸はいささか広すぎましてね。こちらの家を借りたのですよ」
屋敷に着くと、年配の男が丁寧に礼をする。
「少し、こちらの方と話をしますので、下にいてくださいね、レフト」
「はい、閣下」
二階の一室に通され、アンジェは司教と向かい合って座った。
「十三年前、リントウの近くには、イオリ族という少数民族が定住しておりました。彼らは、レヴィ・トーマではない、独自の神を信じて、日々を送っておりました。私は別段彼らの信仰を、問題のあるものと捉えてはおりませんでした。隣人の信仰が違うからと言って、それを理由に壁を作り、排斥するのは、『円環』の神の徒として、褒められたことではありませんからね。しかし、当時の同朋達の中には、そう考えない者もおりました」
十三年前のあるとき、司教邸に、巡礼だという一団が姿を現した。
彼らは一様に白い服を着て、どこかきつい表情をしていた。
彼らはイオリ族の村に向かい、やがて一人が、こんな口上を持ち帰ってきた。
「村では病が流行り、生きている者はいない。病が広がるのを防ぐべく、しかるべき処置を取る」と。
そして、彼らは戻ってこなかった。
胸騒ぎを感じたイヴァクは、イオリ族の村に向かい、惨状を見た。
イオリ族の人間は、集会所か何かとして使われていた建物に押し込められ、焼かれていたのである。
その様子は、惨いとしか言いようがなかった。
誰もが叫ぶように口を開き、手足を縮こまらせている。人の焼けた、胸の悪くなるような臭いが、辺りに立ち込めていた。
ことに惨かったのは、とある二人の亡骸だった。
床だった場所に覆いかぶさるように倒れていた亡骸は、辛うじて焼け残った装身具などから、女かと思われた。
他の死体が手足を縮こまらせ、倒れていた中で、この死体は何かを抱え込むようにして倒れていた。
答えが分かったのは、リントウの人間に声をかけて、彼らを埋葬するべく、その骸を引っ繰り返したときだった。
その女は、赤子を胸に抱いていたのだ。炎から、庇うようにして。
それを見たとき、イヴァクの胸に、強い怒りがこみ上げた。
おそらく、病気というのは方便だろう。ではなぜ、こんなことをする理由があったのだろうか。何の罪もない子供まで、集めて焼き殺す理由は何だったというのか。
理由を知りたくとも、その答えを知っているであろう巡礼達は既におらず、イヴァクはリントウの人々と共に、黒く焼けた骸を埋葬し、病気が流行ったことにして、その場を糊塗した。
そして、自分なりに、彼らについて密かに調べを進めた。その結果、彼らが“狂信者”と呼ばれる、過激派の聖職者であることを突き止めた。
レヴィ・トーマを第一とし、他の宗教を害であると断じ、異端審問と称して殺すことすら躊躇わない。それが彼ら“狂信者”だった。
「彼らの所業は、イオリ族だけにとどまらず、ユレリウスの各地で、異端審問をしていたようでした。しかし、神殿は彼らの存在を認めようとはしませんでした。認める訳にはいかなかったのでしょう。『円環』の神の徒が、神に背くような真似をしているなどと」
言葉も出ないアンジェに、イヴァク司教は悲しげに微笑んだ。
「私には、古い友人がおりましてな。カナンと言ったが、彼もまた、道を過ってしまいました。いつしかレヴィ・トーマを絶対と信じるようになり、それ以外の神を異端と言うようになりました。……彼はもうこの世にはおりませんが、彼の教えを受けた者はいる。彼らがもしや、道を誤ってはいないかと、不安になります」
カナンという名に、アンジェは覚えがあった。兄メオンが師として仰いでいた聖職者も、同じ名前だったはずだ。
メオンは神学校を卒業した直後、在家の聖職者として各地を回る前に一年近く、彼の元にいた、そしてカナンは、メオンが旅立ってすぐに世を去った。
病気で、とは聞いていたが、実のところ、それは不自然な理由であった。カナンには、アンジェも幾度か会っていたが、いつ見ても元気そうで、病気という話も聞いたことがなかった。
数ヶ月ぶりに、メオンが実家に姿を見せたとき、彼の死を伝えたのはアンジェだった。それを聞いたメオンはただ一言、そうですか、とだけ言った。
そのときに、彼の顔に浮かんでいた表情は、悲しみもあったが、今思えば、それ以上に、悔しさや怒りらしいものも浮かんでいたように思う。
話を聞きつつ、当時のことを思い返していたアンジェの頭に、ふと疑念が浮かぶ。
カナンが正道を外れた“狂信者”であることを、イヴァク司教は知っている。なら、他にも知っている者はいるかもしれない。
もしや、カナンの死は、“狂信者”であることが知れた結果の、罰としての死であったのではないか。
そして、メオンは、己の師が“狂信者”だと、知っていたのではないか。彼の元にいたときに、――あるいはその前から――“狂信者”の思想に染まっていたのではないか。
故に、自分達の思想が理解されないことで、怒りを見せていたのではないか。
「司教様、私は、神殿で教えを受けてきました。『我らが神の御名を、汝等の行為の免罪符としてはならない』と。そのときの私は、道を外れた人達がいるなど、思いもしませんでした。しかし、今は違います。今は……今は、そういった人達がいることを知っています。例えどれほど隠されているとしても。……司教様、私の話も、聞いていただけますか」
アンジェは、真っ直ぐな眼差しで司教を見る、
「話してごらんなさい」
イヴァク司教が、穏やかに話を促した。
→ 一時の休日