双子の子ら
「姉さん! 姉さん、ちょっと来て!」
バン、とドアが壊れないか心配になるほどの勢いで開かれる。
トレスウェイトの村で、朝早くに立つ市に行くと言って出たはずの双子の妹、ミウが血相を変えて飛び込んで来た。それを見て、雌牛の乳搾りを終えて家に入って来たばかりのリウは軽く眉を寄せる。
ミウがこんな風に勢いよく飛び込んで来るのは、巣から落ちた小鳥のひなだとか、怪我をしたウサギだとか、親とはぐれた狐の子だとかを見つけたときと相場が決まっている。
「どうしたって言うのよ。今度は鹿の子でも見つけたの?」
ぶんぶんと頭を横に振るミウは、ひどく焦っている。口を開いて懸命に何か言おうとしているのだが、言葉が出て来ないらしい。いつもならミウは開口一番、何をどこで見つけてどんな風なのか言い立てるはずなのに。
そもそもミウは何か動物を見つけたら、必ず家に連れて入る。しかし今回に限って、動物のどの字も見当たらない。これはただ事ではない。そう悟ってリウもミウに続いて外に出た。
昨晩、かなり激しく雪が降ったため、外には膝くらいまで柔らかな雪が積もっている。雪の上には、見慣れた古いそりとそれに繋がれた馬。
そりの上に目をやったリウは、そこに灰色の髪をした、黒っぽい服の人間が乗っているのを見て、思わずはっと息を呑んだ。初め、少年が乗っているのかと思ったリウだが、よく見ると、乗っているのは、やつれてはいるがまだ若い女だ。女の顔にも身体にも、血がべっとりと付いている。
「一体……一体どうしたの? どこで見つけたの?」
「そこに倒れてたのよ。まだ生きてると思うんだけど……」
そこ、とミウが指す場所を見れば、確かに雪が人型にくぼみ、薄赤く染まっている場所がある。よく見ればそこまで、足跡が雪の上に伸びている。足跡の傍には、ぽつん、ぽつん、と赤い雫も落ちていた。それを見れば、女がどれほど必死になってここまで来たか、二人にも察せられた。
女の身体は氷のように冷え切っている。その顔は青く、血の気はない。彼女の呼吸は弱く、今にも止まってしまいそうに思われた。
「家まで運んで、温めてやりましょ。ローヴァー!」
リウが声をかけ、軽く叩いてやると、馬はそりを引いて歩き出した。
二人の家は、ユレリウス北部のトレスウェイト村からやや離れた場所にある。家の裏手には小さな畑があり、雌牛と馬もいて、生活するには困らないが、少しばかり不便な場所だ。
この家には、元々二人の母方の叔父、トマスが暮らしていた。内気で人付き合いが好きではなかった彼は、必要以上に他人と交流しなくて済むように、こんな場所に家を建てたのだ。彼にとって村とは、買い物のための市場であり、日曜毎に祈りに行く教会であった。
その内気さゆえにトマスは結婚もせず、共に暮らしていたのは馬のローヴァーと、雌牛のエスタのみ。
そんな叔父がなぜリウとミウを引き取ったのかと言えば、十四年前にユレリウス東部で猛威を振るった流行り病のせいだった。
リウとミウは元々ユレリウス東部地域に住んでいたのだが、十歳のときに両親がこの流行り病で命を落としたために、トマスに引き取られることになった。父方の親戚とは疎遠であったのと、この叔父だけが二人を一緒に引き取ることができたためだ。
他人と話すときには常に真っ赤になるほど内気な叔父ではあったが、二人のことは彼なりに自分の子供のように可愛がった。しかしそんなトマス叔父も先年亡くなり、それからリウとミウは二人で暮らしている。
叔父がいなくなったとは言え、二人の生活は基本的に変わらない。朝起きて雌牛の乳を搾り、牛と馬に餌をやり、昼になると畑の手入れをし、夜になるとそれぞれに刺繍や編み物をして眠る。週末には教会へ行って、他の村人に混じって牧師の説教に耳を傾ける。変わったことといえば、エスタが死んでしまい、代わりにレッサという茶色の雌牛を飼いだしたことくらいだ。
家に着いた二人は、ぐったりと動かない女を中に運び込み、叔父が使っていた部屋のベッドに寝かせた。煙突が詰まっていないことを確認してから、造り付けの小さなストーブに火を入れる。
女が着ている血の染みた服を脱がせると、あちこちに怪我をしているのが分かった。左腕と右足には一際深い傷がある。傷の他に、女の左腕と首元、そして鎖骨の辺りには黒い刺青があった。
場所によって刺青の模様は違う。左腕のものは文字が絡み合い、帯のようになっている模様。首元から鎖骨にかけては、アーチ状の門と、それに絡みつき、広がる蔓のような図が描かれている。しかしまだ完成ではないのか、首元の刺青は、ぷっつりと途中で途切れていた。
傷に乾いた布を巻き、濡らした別の布で、女の顔や手に付いている血を拭う。ミウが持って来たゆったりした服を着せ、上掛けを包むようにしっかりとかけると、リウはミウに向き直った。
「ミウ、急いでハインズ先生を呼んで来て」
ミウは一瞬、目を丸くしてリウを見た。田舎の村では、医者を呼ぶということは重大事であり、またそれゆえに金もかかる。
不安げにリウを見るミウ。早く、と告げるとミウは踵を返して家から出て行った。ミウが飛び出して間もなく、ローヴァーに着けている鈴の音が遠ざかっていくのが聞こえた。
やがて、またしてもドアが壊れそうな勢いで開き、息を切らせたミウがハインズ医師を連れて入って来た。来る前にあらかた説明されていたのか、初老の医師は何も言わずに女の脈を取り、難しい顔で眉をひそめる。
「ハインズ先生……?」
震えを帯びたリウの声に、ミウが顔を強張らせ、胸の前で組んだ両手をきつく握り締めた。
「できるだけのことはするが、厳しいかもしれない。だいぶ出血していただろうし、何せ随分弱っているようだから」
医師は黒い手提げ鞄から、細い糸と針を取り出し、怪我の縫合の準備に入った。針と糸を消毒し、女の腕と足の傷を縫う。傷の手当ての間、女は時折掠れた呻き声を上げていた。
「後はこうして安静にしたまま寝かせなさい。但し火を焚いてはいけないよ。また出血するかもしれないから。何かあったら、また私を呼びに来なさい。いいね」
「はい」
ミウが医師を送るために出て行く。一人残ったリウは、じっと女を見守っていた。
女の呼吸はひどく弱い。このまま止まってしまわないだろうか。
ドアが開き、息を弾ませてミウが入って来た。開口一番、女の具合はどうかと尋ねる。変わらない、と答えると、ミウは不安げに女の顔を覗き込んだ。
「大丈夫……だと思う?」
「分からない。でもできることはしたわ。そうでしょ?」
うん、と頷いたミウだが、その顔は暗い。リウはそっと部屋を出ると、台所に向かった。手鍋に水を入れて沸かし、沸騰してから茶葉を入れて火を止める。蓋をして少し待ってから、牛乳を加えて再び火にかける。慣れた手つきで軽く混ぜ、こしながらカップに注ぐ。
淹れたばかりのミルクティーを持ってミウの元に戻る。片方のカップを渡すと、ミウは驚いたように姉を振り仰いだ。
「飲みなさいよ。温まるから」
「うん。ありがと」
ミルクティーを飲みながら、女の様子を見る。心なしか、女のやつれた顔にはさっきよりも血が通ってきているように見えた。
→ 目覚め