寝物語
明日はノドの森に入るという夜、三人は森の手前で野宿をしていた。アイラが警戒したような襲撃も、今のところは起きていない。
アンジェが夕食を作る傍らで、野宿のための天幕を張っていたアイラは、アンジェを手伝っているリイシアをちらりと見た。
疲れた様子こそ見せていないものの、少女の顔に浮かぶ表情は晴れない。
アンジェが何か話しかけると、少しの間は明るい顔になるが、それも長くは続かない。
理由も分からないまま殺されそうになり、助けられたとは言え周りにいるのは会話を禁じられた『共通語を話す人間』ばかり。
(よく耐えているものだ)
アイラが天幕を張り終えた頃、夕食もできたらしい。ノルトリアで買ったらしい数種の野菜と、アイラが道々採った野草がくつくつ煮られている。
「どう?」
「ん、美味しい」
アイラの言葉に、リイシアも頷く。アンジェがほっとしたように笑みを浮かべた。
「良かった。外で料理ってしたことなかったから」
『美味しい、です』
「美味しいってさ」
「そう? たくさん食べなさいね」
美味しいとは言うものの、リイシアの椀は中々減らない。
「どうしたの?」
アンジェの問いかけに、首を横に振るリイシア。無理に詰め込むようにして、夕食を口に運んでいる。
「……無理はするなよ」
見かねたアイラが声をかけると、頷きが返ってきた。
それからかなり時間をかけて、ようやくリイシアは夕食を食べ終えた。
夜遅く、アイラは一人、天幕の前に座っていた。アンジェとリイシアは中で眠っている。
人気のない場所。そして夜。いつ襲われるか分かったものではない。
目を閉じて、ゆっくりと息をする。しかしいつものように感覚を閉じることはせず、逆に感覚を研ぎ澄ませていく。いつ、何が起きても対応できるように。
背後から布の擦れる音。
振り返ると、リイシアと目が合った。
『どうかした?』
『その……眠れなくて』
『とりあえず横になって目を閉じておくといい。身体を休めないと――』
『わ、分かってる!』
声を上げた後で、慌てて口を押さえるリイシア。アイラはスカーフの下で口元を緩め、隣に座るようにと促した。
『眠れるかどうかは知らないが、寝物語でもしてやろうか』
『いいの?』
『いいから言うんだよ』
子供が遠慮をするな、と付け加えると、リイシアはゆっくりと地面に腰を下ろした。
アイラは軽く喉の調子を整え、どの話にしようかと思いながら、舌で軽く唇を湿して口を開いた。
昔々、あるところに、一つの国がありました。その国は、一人の王様が治めていました。王様には、優しいお妃様がいて、二人には勇敢な王子様と、美しいお姫様がいました。
国民は皆、王様達を慕っていました。王様も、国民のためを思い。とても良い政治をしましたので、国は平和でした。
しかしある日、恐ろしい人喰い鬼が、お姫様をさらってしまったのです。
王様やお妃様はもちろんのこと、王子様や国民も深く悲しみました。人喰い鬼を倒すべく、大勢の者が彼の城に向かいましたが、誰一人生きて帰ってはきませんでした。
そんなある日、ついに王子様は、自分が人喰い鬼を退治し、お姫様を助けようと決心しました。
王様やお妃様は、必死になって止めましたが、王子様の決心は変わりませんでした。
人喰い鬼の城へと向かう途中には、小高い丘がありました。その丘の上では、オオカミと、タカと、アリが、ウマの死骸を前にして、何やら争っていました。
三匹は、王子様を見つけると、このウマを、自分達が満足するように、公平に分けてはもらえないかと頼みました。
王子様は少し考えてから、ウマの死骸を公平に分けてやりました。オオカミには胴体を、タカには内臓を、そしてアリには脳みそを与えました。
三匹はこの分け方にとても喜び、王子様にお礼として、不思議な力をくれました。それは、思うだけで、オオカミや、タカや、アリになれる力でした。
王子様はとても喜んで、三匹にお礼を言うと、人喰い鬼の城へと向かいました。
人喰い鬼の城は、沼地の真ん中にありました。王子様はさっそくタカに姿を変えると、まっすぐに城を目指して飛んでいきました。
城に入ると、王子様は、お姫様を探し回りました。広い城の中を探して探して、王子様はようやくお姫様を見つけることができました。
しかし、お姫様を連れて帰るには、人喰い鬼を退治しなくてはなりません。今まで誰一人、かなわなかった人喰い鬼を、どうやって退治すればいいのでしょう。
その夜のことです。
「あなたはどうしてそんなにお強いのですか?」と、お姫様は人喰い鬼に尋ねました。
人喰い鬼は、自慢げにこう言いました。
「それは、わしの命が、わしの身体にないからさ。わしの命は針の先にくっついている。その針は卵の中で、卵はウサギの腹の中。ウサギは箱の中にいて、箱は城の裏に生えている、十三番目の杜松の木の下にある。箱を開ける鍵はこの塔のてっぺんにひっかけてあるから、誰もとれやしないのさ」
お姫様の髪の毛に紛れて、アリの姿でこの話を聞いていた王子様は、人喰い鬼に気付かれないように部屋を抜け出し、タカの姿になって飛び立ちました。
しかし、城の塔はとても高く、てっぺんに行き付く前に、王子様は疲れてしまいました。それでも必死で飛び続け、ついに王子様は箱の鍵を手に入れました。
鍵を嘴にくわえたまま、王子様は十三番目の杜松の木を探し出し、その下を掘り返しました。すると、そこには金色の箱が埋まっていて、鍵は箱にぴったりと合いました。
箱を開けると、中からは黒いウサギが飛び出してきました。王子様はすかさずオオカミの姿になってウサギを追いかけ、捕まえてその腹を引き裂きました。
ウサギの腹の中からは、ころりと卵が転がり出て来ました。王子様は卵を割ると、中に入っていた針を取り出し、先を折ってしまいました。
人喰い鬼はもがいて大暴れしましたが、とうとう死んでしまいました。
こうして王子様は、お姫様を無事に連れ戻しました。王様やお妃様、それに国民はたいそう喜び、七日と七晩の間、お祝いをしました。
語り終えて隣を見ると、リイシアは既にぐっすりと眠り込んでいた。その身体を毛布でくるんでやり、そっと地面に横たえる。
話をしている間に、何者かが近寄って来てはいないだろうかと気配を探る。
周囲は静かで、何の気配も感じない。
話すのを止めた途端に、静けさが戻ってくる。普段よりも低い、小さな声で話していたはずなのに、声を出すのと出さないのとで、こうも違うのか。
リイシアに語り聞かせた物語は、アイラが幼い頃に好きだった物語だ。機会があればいつも、この話をせがんでいた記憶がある。
(……寝物語にするには、少し長かったか)
眠るリイシアを見ながら考える。だが結果的に、休ませられるのだからいいだろう。
森へと続く道をじっと見つめる。なぜだろうか、ひどく嫌な予感がした。
似たようなことは、以前にもあった。確か、バルダらの隊商の護衛をしていたとき、切り通しを抜ける前だろうか。
そのまま、少し微睡んだアイラは夢を見た。
辺りに漂う花の香。確かに知っている香りなのだが、何の花のものかは思い出せない。
目の前に立つ兄と、かつての友人達。子供の姿ではなく、今のアイラとさほど年の変わらぬ姿で、彼らは夢に現れた。
互いに言葉を交わすでもなく、ただじっと顔を見合わせる。
花の香りが薄れていくと同時に、兄や友人の姿も消えていく。アイラは最後まで、じっとそれを見ていた。
ぱっと目を開ける。心臓が、早鐘のように鳴っていた。
(まさか……?)
自分を迎えに来たのだろうか。きつく歯を噛み締め、拳を握る。
死ぬわけにはいかない……今は、まだ。
(それでも死ぬというのなら、最後の最後まで抗ってやる)
確かな決意を胸に、アイラは灰色の瞳に鋭い光を浮かべた。
→ 森の中の死闘