待ち伏せ

 次の朝、ガリアラを発った五人は、予定通り街道を逸れ、横の道とも言えないような道を歩いていた。

 足元は草が生い茂っているが、上を向けば真っ直ぐに、木々が透けて見えている。

 五人のうち二人――アイラとクラウスは、自分たちの後を付けている気配を、敏感に感じ取っていた。

 その距離は縮まることなく、同じだけの間隔を保っている。

 今のところ、向こうは何も仕掛けては来ない。生い茂る木々が程よく目隠しになっているようだ。

 この先に、かつては誰かが住んでいたと思われる小屋があることを、アイラは知っていた。小屋の周辺は、開けた場所になっていることも。

 このことは、既に四人に伝えてある。

 周囲を見ながら、アイラは鳥の鳴き声にも似た口笛を吹いた。小屋が近付いてきたときに知らせるために、あらかじめ決めておいた合図である。

 それほど歩かないうちに、合図の通り、五人の目の前に、半ば崩れかかった小屋が現れた。その周囲には、木や石でできた彫刻が無造作に置かれている。

 昔、誰かがアトリエとして使っていたのだろうか。

 風雨にさらされた作品は、元の形を推測するのも難しいほど風化しているものもあれば、まだ形が分かるものもある。

 小屋の、やや傾いた戸を開け、中に誰もいないことを確認してから、アンジェとリイシア、ネズを中に入れる。

 残ったクラウスとアイラは、邪魔になる荷物を小屋に置き、それぞれ小屋の影と近くの木陰に身を隠した。

 それほど時間も経たないうちに、アイラ達五人がやってきたのと同じ方向から、三人の男女が姿を見せた。

 三人とも、額に入れたサウル族の紋様を、赤で消している。

 男二人は見覚えのない顔だったが、残る女は、しばらく前に終の岩屋にやって来た女だと、アイラはすぐに気が付いた。よく出て来られたものだ、と胸の内で呟く。

 静かに魚の木彫りを取り出し、いつでも投げられるように備える。別に投げ打つなら、玉破でもいいのだが、これは静かに投げられる。不意を打つなら、発声が必要な神の矢よりも、こちらの方がいい。

「おい、いないぞ!」

「馬鹿な。どこかに隠れているはずだ! 人間が消えるはずはない!」

 そんな声を聞きながら、アイラは呼吸を整える。

 気配を殺し、ゆっくりと場所を移動する。

 そして、続けざまに三つの木彫りを、こちらに気付きもしない女に向かって投げ付けた。

 たっぷりと時間をかけて、口先を鋭く尖らせた魚は、吸い込まれるように三つが三つとも、女の右の上腕に突き立った。

 声を上げて、女が自分の腕を見る。訳が分からないと言いたげな顔で。

 それと同時にアイラは木陰から飛び出し、クラウスも小屋の陰から姿を見せた。

 嵌められたと気付いた三人が、殺気を放つ。

 瞬間、アイラの身体からも殺気が立ち昇った。

「おいでなすったな。いい加減終わらせようや」

 クラウスが、至って軽い調子で声をかける。

 三人が、ぎらりと光る短剣を抜く。その刃はやはり嫌な具合に光っていて、毒が塗ってあるのだろうということは容易に想像できた。

 アイラの方も肩幅に足を開き、スカーフを外している。

 その顔は無表情で、放つ殺気はその場の全員をたじろがせるに十分なものだった。

 だっと地面を蹴って、アイラが女との距離を詰める。

 空を薙ぐように振られた短剣を、猿のように飛び上がって避け、そのまま空中から女の肩口めがけて蹴りを入れる。

 怪我をしている方の肩を嫌というほど蹴られ、女は呻いて腕を押さえた。そこに、一切容赦のない、アイラの追撃が入る。

 顎を蹴り上げられた女がのけぞった瞬間、その喉に、アイラの拳が叩き込まれる。手甲越しに、骨が砕ける感覚が拳に伝わる。

 ふっと、女の目から生気が消える。

 声を上げる間もなく絶命した女には目もくれず、アイラはクラウスのいる方へと顔を向けた。

 一度に二人を相手取っているクラウスの顔は、少し強張っている。無理もない。少しでも傷を付けられれば、そこから毒が回るのだ。

 アイラはさっと左袖をまくり、“門の証”を露わにした。

 手前の一人に狙いを定める。

「玉破!」

 白く輝く神の矢が、真っ直ぐに男に向かって放たれる。

 男がそれに気付いたときには、玉破は彼の眼前に迫っていた。それに気付いたクラウスが、短剣を弾いて飛び退く。

 その直後、男の胸元に神の矢がぶつかる。よろめく男。

 しかしどうにか立ち直った男は、殺気を隠すこともせずアイラに向かってくる。

 二人の放つ殺気がぶつかり合う。

 顔面に怒りを湛える男と、どこまでも酷薄な表情で、場を眺めるアイラの視線が、一瞬交錯した。

 どちらからともなく地を蹴り、相手との間合いを詰める。しかしこの状況では、アイラの方がやや不利だ。

 短剣とは言え武器がある以上、アイラが攻撃するには相手の懐に入る必要がある。

 アイラが自身の間合いに入った瞬間、鋭い音を立てて短剣が突き込まれる。

 ぎりぎりでかわし、体勢を立て直すアイラ。その間にも、男の攻撃の手は止まない。

 その全てをひたすら避け続ける。

「はあっ!」

 苛立ちの籠もる気合声と共に突き出された短剣を、半身になって避ける。一瞬、刃が胸元をかすめた。

「鋭!」

 気合と共に、男の腕に向けて手刀を振り下ろす。

 手から離れ、足元に落ちた短剣を、アイラは思い切り蹴飛ばした。

 光を反射し、くるくると回転しながら、短剣が飛んでいく。

 無意識にか、それを追おうとした男の横腹に、アイラの拳がめり込んだ。

 息を詰まらせながらも、アイラの方を向く男。その顔は、怒りで朱に染まっている。

 アイラの方は、少し息を乱してはいたが、いっそ憎らしいほど平然と立っていた。

「この――!」

 男が何か言うより早く、その懐に飛び込んだアイラが拳を振るう。

 鼻に一撃。赤い滴が空に散る。

 顎、首、胸、鳩尾と殴打を続け、一呼吸おいて股を蹴り上げる。

 悲鳴を上げて悶絶する男。

 アイラは無表情のまま、蹴り飛ばした短剣を拾うと、倒れている男の肩口に深々と突き立てた。

 強引に覚醒させられた男の絶叫が響く。

 見ているうちに、男の顔色は紫がかったような色へと変わり始める。トルグの回りは相当早いらしい。それとも、多量に身体に入ったからなのか。

「あ、テメー、待ちやがれ!!」

 クラウスの声にその方を見ると、彼と刃を交えていた男が、身軽に身を翻して走り去るのが見えた。

 追おうとしたクラウスを引き留める。深追いするのは危険だ。

 クラウスも、アイラの意図を察したらしく、肩を竦めて剣を収めた。

 適当に穴を掘って死体を埋める。

 小屋の中に入ると、窓の傍で外を伺っていたらしいネズと、リイシアを抱いて隅にうずくまっていたアンジェが、ほとんど同時に顔を上げた。

「悪い、一人逃がした」

「逃げたのは、ヤツトですね。でも、彼も当分は何もできないはずです」

「……そうとは限らない。一人でも、できることはある」

「とにかく、今は先に進もうぜ。アンジェの姉さんに嬢さん、大丈夫か?」

「大丈夫。そっちは、怪我はない?」

「おう。それじゃ――」

 言いかけたクラウスの言葉を遮って、ばらばらと、何かが降ってくる音がする。

 何かと見れば、大粒の雨が小屋を叩いていた。

「あー、降ってきたな」

 外を眺め、む、と厳しい表情を作るクラウス。

「ちょっと早いけど、ここで泊まるか? びしょ濡れで野宿するよりはマシだろ」

「……そうだな。明日の昼過ぎか……夕方にはカチェンカ・ヴィラに着けるだろうし」

「そうですね」

 ぽたりと、ネズの頭に滴が落ちる。

 天井を見上げると、あちこちにある隙間から、ぽたぽたと雨の滴が落ちてきていた。

 一番雨漏りが少ない隅に、簡単に寝床を作り、それぞれに身を横たえる。

 しかしアイラは眠らずに、少し離れたところに座っていた。

 雨は未だ降り続いている。しかし勢いは一時より弱まっているようだ。

 汚れた窓ガラス越しに、外を見ていたアイラの目つきが、不意に鋭くなる。

 静かに外へ滑り出たアイラの前に発つのは、昼に逃げたはずのヤツト。

「どけ」

 アイラは腕を組んでヤツトを見上げる。

 苛立った調子で、ヤツトが同じ言葉を繰り返す。

「……私がどけば、あんたはリイシアを殺すだろう」

 ヤツトが短剣を取り出し、切っ先をアイラに向ける。アイラは動じる景色も見せず、彫像のようにその場に立っている。

「やめておけ。あんたが私を刺すよりも、私があんたを殺す方が早い」

 左手をヤツトに向けて突き出す。

「あの妙なものを飛ばすつもりか? あんなもの、避けるのは容易いぞ」

 ヤツトがせせら笑う。アイラが小さく鼻を鳴らした。

「“門”が扱うのが、神の矢だけだと思わないことだ。……断刀」

 言い終わるか終わらないうちに、広刃の長剣の形を作った光が、アイラの両腕から伸びる。

 ヤツトの首すれすれを、光がかすめた。

「……選べ。ここで死ぬか、ここから去って、二度とリイシアの前に姿を現さないか」

 冷たく迫るアイラの声。ぎり、と歯を鳴らしたヤツトは、くるりと踵を返してその場を立ち去った。