新たな情報
一階の食堂まで降りていくと、まだ時間が早いせいか、部屋はさほど混んではいなかった。
二人は空いている席を見つけて座り、それぞれに料理を頼んだ。
アイラが頼んだのは、冷たいじゃがいものスープとロールパン。アンジェは丸パンとオムレツを頼み、運ばれてくるのを待つ。
やがて運ばれてきた料理に手を付けつつ、二人はぽつぽつと世間話を交わす。主に話しているのはアンジェだったが、普段は一言二言しか言葉を返さないアイラが、今日は二言三言、ときにはもっと多く、言葉を返していた。
アンジェも、すぐにそのことに気付いたものの、特に指摘するでもなく、話を続けていた。
部屋に戻ると、アイラは少しの間、何か考え込んでいた。
やがて何事が口の中で呟いたアイラは、一つ頷いて立ち上がった。
「ちょっと出かけるよ」
アンジェを手招く。アンジェもその意味を察し、アイラに続いて部屋を出た。
外は日が暮れかかり、市場も人通りは減っている。
「どこに行くの?」
「知り合いのところ」
市場を抜け、寂れた一角へ向かう。
キキミミの住処の近くまで来ると、彼の住家の方から、背の高い人影が立ち去るのがちらりと見えた。
「あら、あの人……?」
後ろでアンジェが小首を傾げる。構わずアイラは立て付けの悪い戸を引き開けた。
中の様子を一目見て、思わず絶句する。
家の中は、強盗でも入ったのかと思われるほど荒れていた。
香の匂いに混じって、血の臭いがかすかに鼻をつく。
「キキミミ!」
奥の方から、弱い声が聞こえてきた。
急いで駆け込むと、腹の辺りを血に染めたキキミミが、死人のような顔色で横たわっていた。
それでも、彼は駆け込んできたアイラを見て、薄く笑みを浮かべた。
「何だ……遅かった、な」
「喋るな」
首元に巻いていたスカーフを外し、腹に当てる。
スカーフが赤く染まっていく。
「はは、悪いが……もう遅い……。流石にこの傷じゃ……助からん」
「だから、喋るなと……!」
手に力を込める。それでもじわじわと、スカーフの赤は広がっていく。
「ねえ、一体何がどうしたの?」
アンジェが、後ろから覗き込み、息を呑む。
「アイラ、ちょっと退いて」
アンジェが片手で聖印を握り、もう片方の手で傷に触れる。
「我が主よ、我に御力を分け与え給え。彼が身の傷を癒し給え」
アンジェが手を退けると、キキミミは信じられないという顔で起き上がった。
「あんた、聖職者様か。いや、助かったよ」
「何があった?」
「ちょっとへまをやったのさ。だが、来てくれたのは良かったよ。どうやって呼ぼうかと考えていたところだ」
「私を?」
「ああ。あんたに、俺が持っている、フォスベルイ家に関わる情報を、全て伝えようと思ってな」
「はぁ!?」
珍しく、アイラが頓狂な声を上げた。
く、とキキミミが笑いを噛み殺す。
「……なぜ?」
「意趣返しってのもあるが、あいつを野放しにしておくのは危険だ。裏の秩序を無視して、やりたいようにやる奴だからな」
「……なるほど。表向きにはできない世界であるがゆえに秩序は必要、しかしそれを無視するような輩は、裏の人間からすれば目障り、という訳か。で、フォスベルイ家の情報を渡す、という話からして、『あいつ』は、フォスベルイ家の人間か?」
「ご名答。宿屋を襲わせたのも、俺に手を下したのも、ルドルフ・フォスベルイだ。目的は二つ。一つは、フォスベルイ家の財産を手に入れること。もう一つは復讐だ。アイラ、お前さんへのな」
「……私は、フォスベルイ家と関わった覚えはないが」
アイラが首を傾げる。
「七年くらい前だったか、『舞闘士』とここに来たときに、やくざ者を何人か殺っただろう」
「ああ」
「そいつら、ルドルフが手下として使ってた奴らでな、女子供を誘拐して、売り飛ばすようなことをやってたのさ。それをお前さんに潰されたんで、かなり恨んでるようだぞ。一番大きな収入源が潰されたってな」
「……馬鹿らしい。逆恨みでしかないだろう、そんなの」
「そうだな。そしてもう一つ、財産に関してだが、ルドルフは自分が後を継ぐと思っていたらしい。だが、実際にはセルマが婿を取った。その内に子供も生まれて、ルドルフが後を継げる可能性は低くなった。だからルドルフは、後継ぎとなる子供を消そうと考えた。エリーザの失踪は、十中八九、ルドルフが裏で糸を引いている。そして次にあいつが狙っているのは、ダニエル・フォスベルイだ。彼がいなくなれば、もうセルマも次の子供を作るには厳しい年齢だし、そうなれば自分が後を継げるだろうからな」
ふうん、とアイラが頷く。
「なら、あの事故も、ルドルフさんが仕組んでいたのですか?」
「いや。あの事故は、偶然起きたものだ。あれには、ルドルフは関わっていない。むしろ気を付けるべきは、アイラ、お前さんの方だぞ」
「……ま、そうだろうね」
「それともう一つ、情報だ。裏でのルドルフは『ジョン・ドリス』と名乗っている。あるいはこっちの名前なら、聞いたことがあるんじゃないか?」
一拍置いて、アイラの顔に憤怒の相がよぎる。それは一瞬で消えたが、アイラが『ジョン・ドリス』に良い感情を持っていないのはすぐに知れた。
「知ってるらしいな」
「ああ。散々卑劣な策を使ってきた奴だ。あの男の仕業なら、容赦などしない。それじゃ、これで失礼する」
外に出ると、アイラは一瞬、刺すような視線を感じた。とっさに気配を探るが、辺りに誰かがいる様子はない。
すっかり暗くなった道を、宿まで急ぐ。
宿に着くと、食堂で、シュリとマティが夕食を取っているのがちらりと見えた。
カウンターで鍵を借り、部屋に戻る。
「アンジェ」
「どうしたの?」
「……ありがとう」
一瞬、アンジェは目を瞬いて、それから柔らかく微笑んだ。
「どういたしまして」
→ 証明書