昔話と物思い

 その夜、街道から少し離れた林の中で、赤々と燃える焚き火を囲んで二つの隊商の人々は夕食を取っていた。もう互いに打ち解けて、それぞれの商品やこれまでに経験したことなどについて、話が弾んでいる。わいわいと騒いでいる人々から距離を置いて、アイラは一人で干し肉と干し果物をかじっていた。

「身体の具合でも悪いのですか?」

「……いや、別に」

「気にすんなよーう。アイラいっつもこんなんだから」

「おーい、何やってんだー? こっち来いよー!」

「ああ、今行くよー! ってかアイラー、お嬢ちゃんが待ってんぞ?」

「ん……分かった」

 アイラは重い腰を上げ、ゆっくりとバルダやシア、リュナ達が集まっている焚き火の方へ向かった。リュナが期待を込めて見つめてくる。

「ねえ、おはなしして! どうぞ、ね?」

 アイラは一つうなずき、焚き火の前に腰を下ろした。パチパチと爆ぜる火を少しの間見つめ、目を閉じる。

「…………さて、始めるとしようか」

 

 

 

 今となってはもう遠い昔のことだが、ここからずっと遠くに砂漠の国があった。その国は、一人の王によって治められていた。

 ある日王は、北の国から一人の女を嫁に迎えた。流れるような金の髪、青空のような目と雪のように白い肌を持つ美しい妃は、王だけでなく国民にも愛された。

 しかし日が過ぎる内に、妃は暗い顔をすることが増えていった。王が心配してあれこれと尋ねても、妃は首を振るばかり。このままでは妃が死んでしまうのではないかと心配した王は、どうにか妃を元気づけようと、あらゆることをした。

 金銀、宝石をちりばめた冠を贈り、国では見られない美しい花を贈り、きらびやかな着物を贈り……。しかし何を贈っても、妃の顔が晴れることはない。

 困り果てた王は、再び妃に尋ねた。

「そなたの心を曇らせているものは何なのだ? どうか教えておくれ」

「私は、雪が見とうございます」

 この答えを聞いて、王は困り果てた。何せここは見渡す限り砂ばかりの土地。雪というものは話にしか聞かない。

 困った王は家来を集めて相談した。するとその内の一人、国中で最も賢いと評判の大臣が、王にある提案をした。その提案に従い、王は砂漠に花の種を植えさせた。

 ある日のこと。王は妃にこう言った。

「今日は共に、宮殿の尖塔に上ってみよう。きっと素晴らしいものが見られるから」

 妃を連れて塔に上り、王は窓の外を見るように示した。言われた通り、妃は窓から外を見て、そして喜びの声を上げた。

 砂漠には、見渡す限り小さな白い花が咲いていた。王が植えさせた花が。砂漠が白い花で埋まる様子はまさに、雪景色と言えた。

 そのおかげで妃の顔にあった暗い影はすっかり消えてなくなり、二人はいつまでも幸せに暮らしたということだ。

 

 

 

 穏やかな声で語られる昔話は、大声で語っていたわけではないにも関わらず、その場を静かにさせていた。語り手は目を開け、身動きせずに火に視線を注いでいる。

「おもしろかった! ねえ、ほかにはないの?」

「……今日はおしまい」

「なんで?」

「リュナ、そんなにせがんだら次に聞く分が無くなってしまうぞ」

 父親の言葉にリュナは一応納得したようにうなずいた。それでもまだ、ぷうっと頬を膨らませている。

 アイラはそんなリュナなど気にする様子はなく、相変わらず火を見つめている。身動きせずに座っている姿は、彫像か何かのようだ。

 その内に、一人眠り二人眠り、ほとんどが眠りについた。起きているのは護衛の四人。

「いっそ、語り部にでもなったらどうだい、あんたは」

「疲れるから、嫌」

「前んときも思ったことあったけどよ、変なとこでずれてるよなー、アイラって」

 感心しているのか、呆れているのか分からないクラウスの呟き。それに対しアイラは小さく首を傾げる。

「そうか?」

「そうだよ。ってか自覚ねーのかよ!?」

 囁き声とほとんど変わらない声量でクラウスが器用に叫ぶ。その横でメオンが声を立てずに笑い出した。

 それから少しの間会話が交わされる。話題は主に切り通しをどう切り抜けるかということだ。

「んー、それなら……って、メオンの旦那、寝ちまってるよ。続きは明日だな」

「ああ、お前も寝るか?」

「いや、オレはもうしばらく起きて番してるよ。アイラはどーする?」

「私も起きている」

「そうか。ならしばらく休ませてもらってもいいか? 適当なときに起こしてくれればいいから」

「ああ、いいよ」

 焚き火から少し離れて、ライがごろりと横になる。それを待っていたように、クラウスが恐る恐る口を開きかけ、すぐに口を閉じた。

 それに気付き、アイラが片眉をつり上げる。クラウスは誤魔化すように笑い、何でもないと手を振った。

 眉間に皺を寄せ、クラウスに冷ややかな視線を注ぐアイラ。クラウスは肩を竦め、焚き火に薪を投げ込む。

 パチパチと音を立てて薪が燃えていく。その音に目を覚まされたらしいメオンが、慌てたように顔を上げた。

「……すみません。寝てしまっていたようですね」

「大丈夫大丈夫。何ならもうしばらく寝てるかい、旦那?」

「いえ、もう眠気も取れましたので」

 メオンがにこりと笑う。それから不意に真面目な顔になり、アイラに問いかける。

「アイラさん、あなたはレヴィ・トーマの信者ですか?」

「どーしたよ、旦那。藪から棒に」

「いえ、少し気になることがあるものですから」

 アイラはメオンに向けて、首を横に振ってみせた。そうですか、とメオンが呟く。その言葉には、何の感情も現れていない。

 アイラは静かにその場を立つと焚き火から離れた。木の枝を透かして夜空を見る。子供がかんしゃくを起こして、銀の砂子を手当たり次第まき散らしたような星空が見えた。

(明日は天気になりそうだ)

 ぼんやりと考える。既に大分夜も深まり、空気もひんやりとして、焚き火で火照った顔を冷やすのにはちょうど良い。

 自分がレヴィ・トーマの信者ではないと、聖職者であるメオンに伝えたのはまずかっただろうか。しかし他のことでならともかく、このことで嘘を吐くのは、アイラには到底できないことだった。

 左手でスカーフの上から首元に触れる。当然ながら左手で感じるのは柔らかな布の感触のみ。しかしアイラの脳裏には、首元にある紋様がはっきりと思い浮かんでいた。アーチ状の門と、それに絡みつき、広がる蔓を擬した黒い文様。

「――さん、アイラさん」

 名前を呼ばれ、はっと我に返る。

「……何か」

「そろそろ休まれては如何ですか? 後は私とライさんで番をしますから」

 見れば寝ていたライが起き上がっている。アイラは一つ頷いて、近くの木に寄りかかるように座って目を閉じた。

 

 

 

 焚き火に背を向け、メオンは木にもたれて眠っているアイラをじっと見ていた。普段から落ち着いた笑顔を浮かべている顔は今、ほんの少しだけしかめられている。

「どうした? 小難しい面して」

「あ、いえ。何でもありませんよ」

 そういう顔は既にいつものにこにこ顔。ライはそれ以上追求せず、不寝番に徹している。それを良いことに、メオンは再びアイラに目をやった。

 視線の先でアイラが身じろぐ。その拍子に彼女が巻いているスカーフがずれ、少しばかり唇が覗く。

「何だ、惚れたか?」

「え!? 冗談言わないでくださいよ」

 ライが声を殺して笑う。その内に夜は過ぎていった。