来客一人

 朝から風が強くなってきていた。前夜は買い物に行こうかと話していた双子は、吹雪を警戒して家におり、アイラも木切れとナイフを持ち出して、無心に木を削っていた。

 ノルの謝罪から三日が過ぎ、その間、三人の日常が何か変わったかと言えば、そんなことはなかった。こと、木彫りの鳥の件についてはずいぶんピリピリしていたらしいリウも、日が経つにつれて以前の落ち着きを取り戻していた。

 リウがなぜあんなに苛立っていたのか――性格を考えれば、かっとなるのはミウのように思われるのに――は、アイラは昔に何かあったのだろうと考えたくらいで、深く訊ねようとはしなかった。

 くるくると手の中で木切れを回して、ナイフで角を削っていく。しばらくそうしてから、アイラは不意にナイフを鞘に納めた。

「この村、鍛冶屋はあったっけ?」

「鍛冶屋はないわね。どうかしたの?」

「ナイフがだいぶ切れなくなってるんだ。自分で研げないわけじゃないけど、たまには本職に頼んだ方がいいからね」

 リウに答えるアイラは、いつもより口がほぐれている。かすかに笑いのようなものを浮かべる余裕さえあった。

 やはりここでの暮らしは、アイラには良い影響を与えるものらしい。

「ああ、それならユールさんに頼むといいわ。今度案内してあげる」

「ん、ありがとう、リウ」

 木くずの始末をしつつ、アイラはリウに答えた。そこへ寒いからと台所で温かい飲み物を作っていたミウが分厚いマグカップに並々と注いだココアを持って戻ってきた。

 リウとアイラにマグカップを渡し、ミウも両手で包み込むようにカップを持って中身を啜った。

 ココアを飲み干し、アイラはぐっと一つ伸びをして椅子から立ち上がった。少し背を丸めて木を削っていたせいか、肩のあたりが強張っている。

 ぐるりと腕を回し、肩の筋肉をほぐす。タキから教わったやり方で肩から背中にかけて動かしていると、少しずつ筋肉がほぐれてくるのが分かった。

 一通り身体をほぐして、アイラは元のように椅子に腰かけた。

「誰に習ったの、それ?」

 ミウが興味津々に問いかける。アイラは短く、養い親に、と答えた。その顔は今でも年に似合わず痩せており、どこかきつく、険しく見える印象を拭い切ってはいない。それでも温かいココアと運動と暖炉の火は、アイラの頬に血の気を上らせていた。

 その血の気と、ミウに答えるアイラの柔らかな表情は、珍しく、アイラを女性らしく見せていた。そんなことには気付きもしないアイラだったが、双子はアイラの印象が大分変わったことに気付いていた。

 この上で少し身形を着飾れば、少なくとも女性には十分見えるだろうに、アイラは髪こそ多少くしけずるものの、着るものは飾りけのない無地の丈夫な服、東方の軽衫袴に似た、紐で止めるズボンばかり。外に出るときには首元に口まで隠れるほどスカーフを巻き、頭には細く巻いたバンダナを締め、腰に袋様の帯を巻く。年頃の、お洒落を弁えた娘ならまずしないような格好だ。実際、アイラの格好は旅に向いたものであり、もとよりそこに洒落っ気など欠片もない。娘らのつける装身具や派手な着物は、時に用心棒も引き受けるアイラにとっては邪魔なばかりで益にはならない。彼女が持っている装身具らしいものといえば、昨年キャラバンサライのバザールで買った金属のリングくらいだったし、それも一度着けただけで荷物の底にしまっていた。

 椅子に腰かけたアイラは、いつしかこくりこくりと舟を漕いでいる。起こさないようにそっと、ミウはカップを集めて台所に持って行った。

 窓を鳴らすほどの風が吹き始め、リウはハンカチに刺繍をしていた手を止めて風の音に耳を澄ませた。窓は既に雨戸が閉められており、外の様子は分からない。風の音から外の様子を推し量るほかなかった。

 どうやら風は少しずつ強くなっているらしい。外に出ないで良かったとリウは内心で呟いた。

 そこへ、洗い物を終えたミウが戻って来る。冷えた手を暖炉にかざすミウのために、アイラは暖炉から椅子ごと遠ざかった。

「別にいいのに」

「暑くなったんだ」

 そう? と答えつつ、ミウは火にかざした手をもんでいる。

「風、強くなってきたよ。夜までには吹雪になりそう」

「あら、早くおさまって欲しいわね」

 ハンカチを置いたリウが、アイラを真似るようにくるりと腕を回す。目の端でそれを捉えたアイラが少し口元を緩めた。

 

 

 

 その朝、村の牧師館にも珍しい客があった。トゥオミというその男は、エヴァンズ牧師の遠縁にあたり、普段は中部のルーズブリッジにある大学で文化史の教鞭を執っている。しかしちょうど自分の専門分野のことで北部に用があったらしく、そのついでに縁者の顔を見に来たとのことだった。

 トゥオミは色の浅黒い、中背の男である。エヴァンズ牧師よりも少し年上で、あと四年で不惑の歳を迎えるが、日頃は本を相手に過ごしているせいか、実年齢よりも老けて見える。

 久々の再会に、エヴァンズ牧師も相好を崩してトゥオミを迎えた。ひとしきり歓迎の挨拶や朝の食事が終わったところで、思い出したようにトゥオミが牧師に訊ねた。

「お前が世話んなったって、ランベルトって人だったか、あの人は元気かい」

 ここで聞くと思わなかった名を聞いて、エヴァンズ牧師は驚きの目でトゥオミを見た。

「あの人は亡くなりました」

 その言葉に、心底がっかりしたようにトゥオミは肩を落とした。エヴァンズ牧師はそれに驚かされた。彼とランベルトが知己だったとは知らなかった。素直にそう言うと、トゥオミは違うと手を振った。

「その人が書いた本を最近手に入れてな、読んでみたんだがこれがむつかしい。所々、民族語で書いてあるもんで俺にゃ意味が取れん。西方の民族語だろうってことは検討がついたが、今大学にそっちに詳しい奴ぁいないし、書いた本人に聞きゃ分かろうかと思ったんだが、そうか、のうなって(亡くなって)たとは知らなかった」

 トゥオミの言葉にはやや訛りがあり、また少し早口だったが、牧師はそれには慣れていた。

「あなたの専門は、東方の文化史では?」

「ああ、だが他所の同時代の文化も、一応調べておかにゃ」

 そういうものなのかとエヴァンズ牧師は内心で呟いた。神学校時代は、他の宗教のことなど触れられもしなかったためである。

 ふと考えこんだ牧師の脳裏に、ある一人の面影が浮かんだ。西方の民族語なら、彼女なら知っているのではないだろうか。

「一人、民族語を知っていそうな方に心当たりがあります」

「本当かい、そりゃあ助かる」

「ただ、気難しいところのある方ですし、出身が西部の少数民族なのは知っていますが、実際に民族語を使っているところは見たことがないので、民族語を確かに知っているかどうかは分かりません。それでも構いませんか」

「いいさ、いやあ助かった。信心はしておくもんだ」

 笑うトゥオミにつりこまれて、エヴァンズ牧師も声を立てて笑った。少しばかり、笑みには皮肉が混じっていたかもしれない。というのも、トゥオミは牧師と同じく神学校まで出ていながら、何がきっかけとなったものか途中で学校をやめ、東方文化史の研究職に就いたからである。そのときは彼の家は大騒ぎとなったものだ、と、風の噂に牧師も聞いていた。

 結局、神学校を辞め、研究の道に進むにあたり、トゥオミは実家との縁を切られることになったが、彼はそれについて、何の後悔もしていなかった。

「実際ねえ、俺ぁあの神学校って奴にゃ、飽き飽きしてたところだ。別に俺はレヴィ・トーマへの信仰があついって訳じゃねえんだ。かえってせいせいしたね」

 後年、このときのことを聞かれたトゥオミは、そうエヴァンズ牧師にうそぶいて笑ったものである。牧師は目を白黒させるしかなかったが、今目の前で生き生きしている彼を見ると、やはり彼の選択は間違っていなかったものらしいと思わされた。

「後で一筆書いておきます。今日は吹雪そうですし、天気が良くなるまでは家に泊まりませんか」

 トゥオミにも否やはなかった。そうして彼は、吹雪がやむまで牧師館の客として留まることになった。