模擬戦と実戦

 翌日はアイラの思った通り、朝からからりと晴れた。二つの隊商は陽気に道を進んで行く。

 今日もヴァルの隊商にいる若い男が歌を歌っている。どうやら恋歌らしいが、アイラには耳慣れぬ発音の歌だ。ヴァルの隊商にいる何人かはその歌を知っているのか、一緒に歌っている。聞きながらアイラは無意識の内に指で拍子を取っていた。

「どうした? 腹でも壊したか?」

「オレがぁ!? なんでまた。何ともねーっての」

 後ろでライの問いに答えるクラウスの声は、少し尖っている。いつもの彼らしくない口調。

「アイラー、ちょっと場所変わってくれね?」

 一つ頷いて場所を入れ替わる。すれ違う時に見えた彼の顔は、なぜだか険しかった。

(何があった?)

 一瞬浮かんだ疑問はすぐに消える。そのままアイラはその疑問を忘れてしまった。

 代わりに切り通しのことを考える。このままの速度で進むならば二日、遅くとも三日後にはそこを通る。

(無事に済むといいのだけれど)

 アイラの胸中には何となく嫌な予感めいたものがあった。それは何かと詳しく聞かれたとしても、彼女自身にもよく分からないものではあったのだが。

 夜になっても、クラウスは不機嫌な顔を晒していた。時折何か考えるように眉根を寄せている。何かあったのかと尋ねられても、はっきりした答えを返さない。

「アイラ、ちょっと付き合ってくんね?」

「何に?」

 クラウスは自分の持っている剣を示す。アイラは頷いて立ち上がり、クラウスと向かい合って距離を取った。

 周囲がざわついて見守る中、クラウスは鞘から剣を抜いて構える。対するアイラは特に構えも取らず、足を肩幅に開いて立っている。

「はっ!」

 隙だらけにしか見えないアイラに、クラウスが一息に距離を詰めて剣を降り下ろす。それをぎりぎりまで引き付け、アイラはひらりと横へ跳ぶ。

 一息吐く間もなく、剣が横に振られる。アイラが跳び退り、二人は少しの間睨み合う。

「やあっ!」

 突き出されたクラウスの剣を避けるアイラ。そのまま近付いて蹴りを放つが、ぎりぎりでクラウスがこれをかわす。

 クラウスが剣を振るう暇を与えず、アイラが続けざまに拳打を入れる。拳打するアイラよりも、されるクラウスの方が、顔が歪んでいる。

 一瞬の隙をついてクラウスが大きく後ろへ跳ぶ。アイラはそれを追わず、その場に留まってクラウスの動きを見ている。

 誰一人声を上げる者はない。こういったことには慣れているはずのメオンやライですら、押し黙って二人を見ている。

 今度はアイラの方が先に動いた。クラウスの横から回り込むように距離を縮めていく。クラウスも剣を下段に構え、アイラの動きに合わせて向きを変える。

 アイラが間合いに入った瞬間、クラウスが剣を振るった。鋭く空を切って振り上げられた刃が、ふわりと跳び退いたアイラの胸をかすめる。そして大きく隙ができたクラウスの懐にすかさずアイラが飛び込む。

 はっとクラウスの顔が凍り付く。それとほぼ同時に、アイラが彼の腹を殴打した。

「がっ……」

 音を立ててクラウスが仰向けに倒れる。アイラは何か不審でもあるのか、少し眉をひそめてクラウスを見下ろしている。

「……痛って。…………ありがとな、アイラ。お陰で頭も冷えた」

 少し咳き込みながらもクラウスが起き上がった。応える代わりに、アイラは小さく鼻を鳴らした。冷たい目でクラウスを見下ろしたまま。

 そして深夜。護衛四人は小さな焚き火を囲んでいる。

「アイラさん、手は大丈夫ですか?」

「……手?」

 少し考え、ああ、と頷く。手甲を着けているとはいえ、金属鎧を殴りつけていたのだから、心配されるのも無理はない。

「エレンゼさんは?」

「平気平気。悪いけどメオンの旦那、その呼び方やめてくんねーかな。苗字で呼ばれんの、好きじゃねーから」

「……失礼しました」

 メオンが深く頭を下げる。「いいっていいって」と返すクラウスの顔にあるのは笑み。しかしその目には、愛憎入り混じったような複雑な色が浮かんでいた。

「そういえばエ……クラウスさんは姓持ちということは、良い家の御出身ですか?」

「あー、どうだろう。オレは家出したクチだし」

 クラウスが苦笑交じりに言葉を返す。

 メオンの疑問も分からないではない。ユレリウスでは、姓というものは誰もが持っているものではない。姓を持つのは基本的に王族貴族のみ。時折金持ちや、地方の有力者が(おそらく大金を積んで)姓を持つこともあるが、一般人が姓を持つことはない。

「しっかしお前、どう見ても大の男一人、吹っ飛ばすような柄にゃあ見えないんだが。細いしちっこいし。何をやったんだ?」

 会話の間、首を傾げてアイラを見ていたライが疑問を呈する。

「アイラは鎧崩し使うから。衝撃がまともにくるよ。オレ一瞬意識飛んだし」

 クラウスがライに即答する。呆気にとられた顔でアイラを見るライ。

「今回は運が良かっただけ」

 アイラがぼそりと言葉を落とす。クラウスがそれを聞いて一瞬渋面になるものの、口を開こうとはしなかった。

 

 

 

 翌日は何事もなく過ぎた。そして二日目、二つの隊商は切り通しに差し掛かる。

 崖に挟まれた道を歩きながら、アイラはひどく緊張していた。

 何度目かに崖上を見上げたとき、そこにちらりと複数の人影が見えた。

「走れっ!」

 珍しくアイラが大声を上げる。それを聞いてバルダとヴァルが荷車の速度を上げるのと同時に、上からふわりと目の荒い網と小石が降ってくる。

 耳元を石がかすめ、思わず舌打ちを漏らす。アイラの瞳には冷たい光が宿り、顔には酷薄の相が浮かぶ。

 崖の両側にはそれぞれ二人ずつ人影が見える。アイラは袖をまくって左腕を突き出すと、その内の一人に狙いを定めた。

「玉破!」

 左腕に入る刺青が蛍火ほどの光を放ち、手から放たれた握り拳大の白球が、狙った一人に当たる。間髪入れずにもう一度玉破を打ち、その横にいたもう一人も倒す。

 その後ろでライとクラウスが網から抜けだす。それと前後するように彼らの目の前に武装した六人の男が立ち塞がる。

「おーおー、おいでなすった」

「そうですね。早く終わらせて、先を急ぐとしましょう」

 余裕綽々、という言葉がぴったりの彼らに、男達が険しい表情を向け、怒声を上げる。それに応えるように、ブン、と音が鳴りそうな勢いで、ライが背負っていたメイスを振る。その顔に浮かぶのは、獣を思わせる笑み。

 真っ先に動いたのはアイラ。近くにいた男に駆け寄り、その懐に飛び込む。男は手にしていた半月刀を振るう暇もあらばこそ、アイラの手刀で剣を叩き落とされ、喉に拳を叩き込まれる。

 骨が砕ける感覚が手に伝わる。倒れかかる男からアイラは素早く身を離した。

 背後から突き出された短槍が、アイラの背を抉る代わりに男の腹を抉る。アイラが左足を軸にした回し蹴りを男に放つと同時に、男の背をクラウスがざっくりと斬る。

「敵に背を向けんなーってのは、常識なんだぜー? 盗賊の旦那……っと!」

 後ろから振るわれた棍棒を、クラウスはぎりぎりでかわす。そのまま剣と棍棒で鍔迫り合いに入る二人。

 飛んできた石がアイラの肩を打つ。

(馬鹿だな。仲間にも当たるのに)

 しかし飛び道具は厄介だ。片付けてしまわねばならない。

 戦いの間を縫うように通り抜ける。そのアイラめがけて剣を振り下ろした男の腕が、メオンの剣に切り落とされる。

 アイラはくるりとその場で回転し、玉破を続けて二度放った。二度目の玉破を放った直後、右側から殺気を感じ取り、アイラは反射的に左へ跳んだ。それでも反応は遅かったようで、右腕に痛みが走る。

 ぱっと右側に向き直る。そこにはぎらりと瞳を光らせた、他よりもしっかりした武装をした男が立っていた。盗賊の頭目、といったところか。

 さっとアイラは周囲を見回した。ライとクラウスはそれぞれ別の男と斬りあい、唯一駆け寄ろうとしたメオンの前にも、ふらつきながら一人が立ち塞がる。ここは一人でどうにかするしかない。

 男が剣を横に薙ぐ。軽く後ろに跳んだアイラは、次の瞬間、地面を蹴って男に肉薄した。出血など気にもせず、男の剣を持つ腕を殴打する。鎧越しでも衝撃を伝えるアイラの拳によって、男は剣を取り落す。

 アイラの殴打は止まらない。鼻に一発、顎に一発、喉に一発、肩口に一発、そして鳩尾に一発。仰向けに倒れた男は、既に事切れていた。そしてその頃には、他の盗賊達も片付けられていた。

「急ぎましょう。ここを越えれば、宿場があります」

 メオンの言葉に血の気の引いた顔でバルダが頷く。

 やがて怪我人の応急処置を終えた彼らが切り通しを越え、夕方には宿場に着くと思われた頃だった。

「そこの隊商、止まりなさい!」

 そんな声が響いたかと思うと、横合いから四人の人影が現れた。