求めるもの
アイラがトレスウェイトに来てから数日後の日曜日、彼女の姿は教会の傍にあった。リウとミウについて村に来たのだが、レヴィ・トーマの信者でないことを理由にして、アイラは中には入らず、外のベンチに腰掛けて、礼拝が終わるのを待っていた。
空気は冷たいが、しっかりと防寒着を着ているので寒くはない。
見える範囲に人はおらず、故にアイラが見咎められることもない。
市場に行っても良かったのだが、今は特に入用なものはない。のんびりと村の様子を眺める。礼拝に行っているのか、それとも寒いからか、外を歩いている村人は見当たらない。その代わりにか、青い首輪を付けた茶トラの猫がすり寄ってきた。ちらりと見ただけで放って置くと、猫はひらりとベンチに飛び上がり、そのままアイラの膝の上まで遠慮なく上がってきて丸くなる。
(……まあ、いいか)
膝の上がずしりと重いが、ぬくぬくと暖かいので、悪くはない。
おっかなびっくり手を伸ばすと、猫が手に頭をぶつけてくる。それを避けようと手を動かすと、今度はちょいと前足で引っかかれそうになり、慌てて手を引っ込める。
その内に、礼拝が終わったらしく、中から村人達が出て来る。その中に双子の姿を見つけ、アイラは軽く手を挙げた。
先にミウが、続いてリウが駆け寄ってくる。
「牧師さんが、あなたに話があるんですって。行ってくれない?」
「私に?」
リウの言葉に思わず問い返す。頷いたリウを見て、アイラは少し悩んでいた。
「……分かった、けど」
「どうかして? ……あら」
アイラは困り顔で膝の上の猫を指差した。二人もアイラの膝の上で寝ている猫に気付き、くすりと笑う。
「眠ってて、どこうとしないんだ」
笑いながら、ミウが手を出し、あっさりと猫を抱き上げる。
「ルイン小母さんの猫ね。なんて言ってたっけ、キャシー?」
ミウに答えるように、みゃう、と猫が一声鳴いた。
ようやく立ち上がったアイラは、人の流れに逆らいながら、教会の中へと入って行った。
人が引いた後の教会で、エヴァンズ牧師は一番前のベンチに腰をかけていた。
近付くアイラの足音に振り返り、牧師が薄く微笑む。
その顔は、どこか陰っていて、それに気付いたアイラは怪訝そうに牧師を見返した。勧められて、牧師の隣に腰掛ける。
「何か、あったのか」
「あなたに、お詫びをしなくてはなりません。道を外れた人たちがいたことも、彼らがあなたがたにしたことも――」
「見たのか」
低い、冷たいアイラの声が、牧師の言葉を途中で遮る。アイラの顔は、言葉と同じように冷え冷えとして、他人を寄せ付けない雰囲気があった。
「ええ、全てを見ました」
浅く息を吐き、エヴァンズ牧師がアイラの問いを肯定する。アイラは牧師を見ず、祭壇に顔を向けて口を開く。
「あんたたちに、できることはない。起きたことは、何があっても取り消せないんだ」
アイラの、拒絶を含んだ言葉に、牧師の顔が強張った。
「ですが……それでも何か、できることはありませんか」
「…………知ってくれただけでいいよ。それだけで、あの聖印をあんたに渡した甲斐があった」
少し、アイラの表情が緩む。灰色の瞳からも、先のような冷たさは薄れていた。
「“狂信者”に襲われたのは、ハン族だけじゃない。けれど、誰もそんな奴らがいることなど、信じようとはしない。聖職者達は巡礼、流行病、そんなものに紛れさせて誤魔化し、聞くものは話に誤魔化される。……だから、知ってくれただけで良い」
ぐっと胸に込み上げて来た思いを殺し、そう言葉にする。ぎりりとスカーフの下で歯を噛んで、アイラは胸の内で荒れる感情を押し込めた。
それでも牧師は、話している間、アイラの目に浮かんでいた激しい感情を見逃してはいなかった。
憎悪、悲哀、そして痛み。今にも爆発しそうなそれらを、アイラは無理に抑えているようだった。
「アイラさん。もし何か、話したいことができたら、何時でも教会までいらしてください」
そう、言葉をかける。アイラが牧師に視線を向け、眼を瞬いた。
「……気が向いたら。…………ありがとう」
一呼吸置いて、感謝の言葉を付け加える。
「よろしければ、また家にもお出でください。あなたの話を、ゆっくりお伺いしたいので」
「……考えておく」
アイラの言葉はどこか素っ気なく響いたが、牧師は気を悪くした様子もなく微笑んだ。
教会を出ると、外ではリウとミウがさっきの猫を抱いた女と話していた。白髪の混ざり始めた茶髪をきっちりとまとめ、鼻眼鏡をかけた年配の女だ。十二、三くらいの子供を傍に連れている。どちらも分厚いコートを着込み、子供の方はマフラーも巻いていた。
「それじゃ、私達はこれで失礼します」
アイラを見つけ、リウが会話を切り上げる。
「ええ。それじゃ、近いうちに伺わせてもらいますからね。おいで、ノル」
子供を連れて女が立ち去る。その後、少し買い物をしてから、三人も家に戻った。
中に入ると、リウが買い物籠をテーブルに置き、近くの椅子に座り込む。リウの顔色は普段よりも青白く、額には薄く汗が浮いている。
「リウ? 大丈夫か?」
「……ちょっと疲れたみたい。上で休んでくるわ」
立ち上がるリウに、アイラが手を貸す。
「ありがとう」
そのまま肩を貸し、二階まで上がる。横目でアイラの顔を見て、リウは薄く微笑んだ。
「そんな深刻な顔しないで。休めば治るから、大丈夫よ」
一階に降りると、買ってきたものを片付けていたミウからも同じようなことを言われ、アイラは微苦笑を浮かべた。そんなに沈んだ顔をしているのだろうか。
「うん、そんなに暗い顔しなくてもいいよ。姉さんが疲れやすいのはいつものことだし。ゆっくり休めば治るしね」
ミウがアイラの呟きに言葉を返す。
その言葉に少し安心しつつ、もしかしたら、アンジェもこんな気持ちだったのだろうか、とふと思う。
大丈夫、と言う度に、そう、とは言いつつも不安げにしていた彼女を思い出す。自分では、大丈夫だと思うからこそ、その通りに口にしてはいたのだが、いざ言われる側に回ると、ここまで不安を誘う言葉だったのか。
はい、とアイラの目の前に、湯気の立つホットミルクの注がれたマグカップが差し出される。
「これでも飲んで、落ち着いて」
「……ありがとう」
温かい液体が、腹へと落ちていく。
「そういえば、何か話してたのか? 教会の前で」
「ああ、あの人、冬に入る前かな、村に来た人でね。ジョセフィン小母さんの妹なんだって。ルイン小母さんって呼んでるんだけど、近々家に挨拶に来たいって言ってたの。ほら、この家、村から離れてるでしょ? それに何かと用事もあって、中々来られなかったんですって。それが最近は余裕もできるようになったから、家に来たいんだそうよ」
ふうん、と頷く。別段誰が来ようと、アイラの知ったことではない。そう思いはしたが、ミウが来客に対してさほど嬉しそうでもないことに気付き、珍しく自分から、何か問題でもあるのかと水を向ける。
「うん、あのさ、あんまりこういうこと言うのは良くないんだけど、あの人、あんまり評判よくないみたいなの。ノル、って男の子、いたでしょ? あの子を随分かわいがってるみたいでね。それだけならいいんだけど、その子をダシにして、何かと文句を言うんだって。ジョセフィン小母さんも諭してはいるらしいんだけど、やっぱり変わらないらしくてね。あんまり関わりたくないんだ」
「面倒そうな人なんだな」
アイラの感想に、ミウがふふ、と笑みを見せた。
→ 頼るものはなく