猟師二人
朝の光が窓から差し込む。アイラはベッドに横になったまま、顔だけを横に向けた。
カーテンが開けられたままの窓から差し込む明るい日差しが、まともにアイラの顔を照らす。
目を細めたものの、アイラは起き上がってカーテンを閉めようとはしなかった。
視線を天井に戻す。眠る訳でもなく、ただ寝転んで上を見る。
抜け殻になった気分だ。傍から見れば、完全に抜け殻だろう。
昔も、こうなったことがあった。
ランズ・ハンが、“狂信者”の襲撃にあった後のことだ。
自身は大した怪我もせず、生き延びることができた。しかし、自分以外の全員が死んだという現実と、誰一人守れなかったという事実は、十歳の子供には重すぎた。
現実を受け止めることができなくて、しばらくの間は呆けたように過ごしていた、らしい。未だにアイラは、この時期の記憶が曖昧だ。
何の感情も沸いてこない。どういう形であれ、発散できれば、少しは楽になれるだろうに。
どこかで、何かを叩く音がひっきりなしに聞こえている。
ややあって、それがノックの音だと気付き、返事をする。
ドアが開いて、シュリが顔を覗かせた。そのまま部屋に入り、空いている方のベッドに腰掛ける。
「どこか、悪いの?」
「……別に」
心配そうなシュリとは対照的に、アイラの声は平坦だった。
「でも、顔色悪いよ」
「……いつものことだ」
アイラの声にはやはり、何の感情も籠もっていない。
昨日はそんな素振りも見せなかったが、実際にはひどく落ち込んでいるのが、彼女をよく知らないシュリにもはっきりと分かった。
「シュリ、ここにいたのか」
ノックの音と共に、今度はマティが姿を見せた。
「今日は出ないのか?」
「ううん。もう少ししたら出るつもり」
「何だ。今日は休むかと思ったのに」
不満げなマティを見て、シュリも唇を尖らせる。
「仕方ないでしょ。お金を送らなきゃいけないんだもの」
「あんな奴らに、送金する必要があるものか」
「そんな言い方しないでよ。私の親よ」
「親? あのこそ泥紛いの男と、酒浸りの女が?」
「マティ!」
「…………喧嘩なら余所でやってくれないか」
二人の口論が激しくなり始める前に、呆れた口調でアイラが割って入った。
二人が揃って口を閉じ、ばつが悪そうな顔になる。
二人が出て行ってからも、アイラは身動きもせず、じっと天井を見つめていた。
そして、夕方。
部屋の置き時計で時間を確認し、アイラはのろのろと起き上がった。ぐ、と一つ伸びをして、身体をほぐす。
(さて、そろそろ動くか)
それまで浮かんでいた呆けたような表情が一転、きりりと引き締まる。
適当に身支度を整え、外に出る。
ちょうど目に付いた屋台で、串焼きを一本買い、近くの噴水の縁に腰掛ける。
ぶつ切りにした鶏肉に塩だれを付けて焼いた串を食べながら、行き交う人々を眺める。
その中に、宿の女中の一人、ルシアの姿を見つけ、アイラは肉を食べながら首を傾げた。買い物籠を抱えた彼女が向かっていたのが、宿とは全く違う方向であり、加えて市場からも遠ざかる方向だったからだ。
噴水の縁から飛び降り、ルシアの後を付ける。
ルシアは尾行に気付いた様子もなく、人波に逆らうようにして、早足で歩いている。
段々と周囲から人が少なくなる。ルシアが向かおうとしている方向が、キキミミの元へ向かう道と同じだと気付き、アイラは後を付けながら首を傾げた。
アイラのような人間ならばいざ知らず、宿の女中が情報屋と関わる必要があるとは思えない。
そもそも、本来ならこんな場所に来る必要もないはずだ。
後を付けられていることに気付いた様子もなく、ルシアはすたすたと歩いていく。
キキミミの店を素通りし、更に奥まった場所へ。
(情報屋が目的ではない、とすると?)
考えながら、アイラもルシアを追う。
暗い裏路地へ、ためらいもなく入るルシア。気配を殺し、アイラもぎりぎりまで近付く。
「やっと来たな」
「ごめんなさい。遅くなってしまって。でも貴方に、いいお知らせがあるの」
やや不機嫌そうな男の声と、宿で仕事をしているときとは違う、ルシアの甘い声が聞こえてくる。
(……逢引きか)
そう思い、立ち去ろうとしたアイラは、ルシアの次の言葉に、はっと顔を強張らせた。
「貴方が言っていた灰髪の子、明日には始末できそうよ」
「ほう?」
「昨日から、すっかり落ち込んで、部屋で放心してるみたいだから」
聞いていたアイラの眼が、獲物を見つけた猟師のようにきらりと輝いた。
気配を殺したままその場を立ち去り、一散に宿へ戻る。
部屋に入ると、まずは服を着替え、荷物から適当にスカーフや着替えを出して、着ていた服に詰める。
枕や毛布、タオルを使い、ベッドの上で、自分が布団に潜っている風を装う。
(後は……)
首を傾げると、その動きに合わせて髪が揺れた。片手で髪をいじりながら、ベッドの上の身代わりを見下ろす。
(……髪が見えた方が、それらしいか?)
窓の外は既に闇。時計を見ると、八の刻を回っている。
まだ、“狩り手”が来るには時間があるはずだ。
アイラ自身は、髪を切ることに、抵抗がある訳ではない。が、仮に自分が狩る立場だとすれば、少しでも髪が見えていた方が、中にいると思うだろうか。それとも、警戒するだろうか。
しばらく、目を閉じて考え込む。向こうが取るであろう行動や、向こうの考えを推測しながら。
ようやく目を開けたアイラは、荷物から紐とナイフ、砥石を取り出し、鏡を見ながら、髪を後頭部でまとめ始めた。
髪をまとめる習慣のないアイラの髪型は、ひどく乱れていたが、どのみち誰かに見せるわけではない。
まとめ終わると、今度はナイフを丁寧に研ぐ。
刃先を指に当て、切れ味を確かめたアイラは、まとめた髪を左手で持ち、その根元に、右手に持ったナイフの刃を当てた。
そのまま、さっと刃を動かす。
切り取られた灰色の髪が一束、アイラの手に残った。
切った髪束をわずかに布団から出し、あたかも中にいるように見せかける。
(さて、後は待つだけ、だ)
荷物から保存食を取り出し、入口のすぐ横にあるバスルームに身を潜める。
干し果物を静かに噛みながら、時間を潰す。朝、昼と食事を抜き、夜も食事と言えるほどの量は食べていないアイラだが、少しも空腹ではなかった。
どれほど時間が経っただろうか。
カチリ、鍵の開く、小さな音がした。
ドアの隙間から、そっと伺うと、目と鼻の先を、ルシアが通って行った。
少しして、かすかに、鈍い音が聞こえてきた。
そろりとドアを開け、隠れ場所から姿を現す。
「な……何よ、これ!」
アイラに気付いた様子のないルシアだが、アイラの策には気付いたらしい。
ちらりと見れば、布団がめくられていた。
「おや、てっきり刺しておいて逃げると思ったが。生死を確認するだけの頭はあったのか」
皮肉交じりのアイラの言葉に、ルシアがぱっと振り返る。
「しかし、頭まで布団を被る人間を不審に思わなかったとしても、寝息の確認くらいはしたらどうだ? おかげでこっちは助かったが」
言い終わる前に、ルシアが意外に鋭い踏み込みで、アイラに向かって来た。口を動かしながら、アイラはルシアの短刀を持つ腕を強く打つ。
ルシアの顔が歪む。短刀が床に落ちた。
すかさず短刀を蹴り飛ばし、ベッドの下へ滑り込ませる。
「あんたが会っていた男の名を吐け。言わないなら、その顔、二目と見れないものにしてやる」
ふん、とルシアが鼻で笑う。
「口が裂けても、言うもんですか」
くるりと身を翻し、ルシアはベッドに飛び乗った。
「良いこと教えてあげる。あんたの連れ、もう戻って来やしないわ」
ぴくりとアイラの眉が動いた。
「……貴様の主に伝えておけ。アンジェに手を出したら、必ず後悔させてやる、と。例えそいつが、地の果てまで逃げようとも、な」
ルシアが動くより早く、さっと左袖をまくって腕を突き出す。
ここで殺して面倒事になるのは嫌だが、さりとて無傷で行かせる気もない。
「玉破!」
腕に入れられた刺青が淡く輝く。白く輝く神の矢が、何を始めるのかと訝しげに見ていたルシアにぶち当たる。
その勢いのまま、ルシアが窓に叩き付けられた。
勢いよく叩き付けられた人間の身体を、窓ガラスが受け止められるはずもなく、ルシアの身体は、ガラスの破片ごと、外に投げ出される。
幸い、窓の外に付けられていたバルコニーのお陰で、落下するようなことはなかったが。
「覚えてなさいよ!」
悔し紛れにそう吐き捨てて、ルシアは身軽に手すりを飛び越え、そのまま、夜の闇へと消えていった。
→ 選ぶべき姿