異端審問(後編)

 アイラはとうとう息を切らし、雪の上に膝を付いた。狂信者達が彼女を取り囲む。

「最期に何か、言い残すことがあるなら聞いてあげますよ」

 メオンの顔に浮かぶのは、慈父の如き微笑み。

「……それは……ありがたい、ね……」

 足に力を入れ、ゆっくりと、殊更ゆっくりと立ち上がり、スカーフを外す。首元にあるアーチ状の門と、それに絡みつき、広がる蔓を描いた黒い文様が見えるように。

 メオンが首を傾げる。アイラはだらりと両腕を下げ、心の中で短く祈った。

(父なるアルハリク、どうか門の娘をお助けください)

「断刀」

 アイラの口が小さく動き、言葉が零れ落ちる。アイラの瞳から光が消えるのと、首元の刺青が淡く光るのと、彼女が右腕をさっと振り上げるのが同時だった。

 メオンを含め、狂信者達は全員、何が起きるのかと身構えた。しかし何も起きた様子はない。

「やれやれ。きっとこけおどしか何かですね」

 メオンが、手にした剣をアイラの首筋に向かって振り下ろそうとした瞬間。アイラの右側、ちょうど振り上げられた右腕の延長線上にいた狂信者の男が、声もあげずに倒れた。つっと男の頭の天辺から股まで、赤い筋が走る。

「おい、どうした――!」

 隣にいた男が、彼を引き起こそうとしゃがみ込んだ。その直後、悲鳴が雪原に響きわたる。男はその身体を幹竹に割られ、既に絶命していた。男の顔は不思議そうな表情を浮かべている。彼は最期まで、自分の身に起こったことに気付かなかったのだろう。

「なっ……そんな、そんな馬鹿な……!」

 狂信者達の騒ぎを余所に、アイラは不気味なほど静かに佇んでいる。正面からその顔を見たメオンは、鳥肌が立つのを抑えることができなかった。

 彼女の口元は三日月型に歪み、その目は石のように冷たい視線をメオンに向けている。表情はと言えば、狂気と言うより他にない。

 六人が呆然としている間に、今度は左腕が振られる。左側に立っていた男が、上半身と下半身を綺麗に真っ二つにされて倒れた。白い雪が流れ出す鮮血で赤く染まる。

 よく見れば、アイラの両腕からは、淡い光が伸びている。広刃の長剣の形を作って。

「離れろ! 離れるんだ!」

 叫ぶメオンの目の前で、剣を構え、アイラに向かって振り下ろした男の腕が切り飛ばされる。剣を握る腕は地面に落ち、更に赤の範囲を広げる。

 訳が分からない、と言いたげに、ぽかんと手元を見ていた男の胸を、アイラの腕から伸びる剣が貫いた。

『断刀は神の太刀。その刃、理の内にあらざれば、理によりて受けること能わず。』

 宿場で聞いたアイラの言葉がメオンの脳裏に蘇る。

 あのときは、ただの異端者の戯言だと思っていた。しかし実際に目にしてみるとどうだ。アイラの腕から伸びる長剣は、淡く光っているとは言え、目視するのは難しい。じっと目を凝らして、ようやくかろうじて輪郭が分かるかどうか、という朧げなものだ。これでは確かに避けることは難しい。

 しかもあの剣は、既に三人を斬っているというのに、血に濡れていない。通常の剣ではないのだと、嫌でも思い知らされた。

「この……異端者!」

 女が叫びと共に突き出した剣を、アイラはまるで紙の棒でも切るかのように、左腕であっさりと二つに切った。細い切っ先が、松明の光を反射して光りながら地面に落ちる。

 アイラは即座に空いている右腕を一閃させた。一拍置いて、胴を斜めに切られた女が、死体となってその場に倒れる。

「な……あ、ああ……」

 あまりの酷薄さに、見ていた青年が、雪の上にへたり込んだ。どうやら腰を抜かしたらしい。カチカチと青年の歯が鳴る。

 アイラは、獲物を狙う猫のような目で青年をじっと見つめた。それに気付いた青年が、いざりながら距離を取ろうとする。

 その距離をただの二歩で詰め、アイラが腕を振るう。死刑執行人の如き冷酷さで。

 斬首された身体が、雪の上に倒れた。

 次いで泣き叫びながら逃げようとした女の身体が三つに切り分けられる。そして気付けば、生きているのはメオンとアイラだけになっていた。

 アイラが感情の無い目でメオンを見やる。

「あなたは、何者ですか」

 後退りしながら、掠れる声で問いかける。顔と言わず身体と言わず血塗れのアイラは、一言も答えず、ただ心胆寒からしめる表情を浮かべるのみ。

 すっとアイラが一歩近付く。悪魔ですら、これほど恐ろしくはないだろう。一歩下がり、同じ距離を保つ。メオンの膝は、立っているのもやっとなほど震えていた。

 手にした剣を構え、振るう。せめてもの抵抗。だがその刃はあっけなく根元から叩き折られ、手には役に立たない柄だけが残る。

 アイラがまた一歩、距離を縮める。メオンは一歩、アイラから離れる。

「なぜ、動けるのですか」

 この疑問にも、アイラは答えない。全身の怪我も血も眼中にない様子で、唇を歪めたまま歩みを進める。

「あなたは……あなたは一体、何者ですか」

 震え、掠れる声を振り絞って、もう一度同じ問いをかける。するとアイラはぎこちなく目線をメオンに合わせ、口を開いた。その口から、二つの異なる言葉が発せられる。

「我はアルハリク。ハン族の護り手」

「私はアイラ。門の娘」

 暗い灰色をしていたアイラの瞳に、かすかな光が揺れたように見えた。思わずメオンは後退るのをやめ、必死で叫ぼうとした。

「た、助け――」

 言い終わる前に、メオンは左肩に熱を覚えた。左腕が服ごと、付け根からすっぱりと切り落とされる。一瞬の後、右腕も同じように切り落とされた。

 メオンは最早言葉もなく、アイラの腕が振り上げられるのをただ見ているしかなかった。最期に彼が見たのは、振り下ろされる淡い光と、アイラの三日月型の口元。

 その後、両腕を失くし、胸元を袈裟懸けに斬られて横たわるメオンを、アイラはしばらくの間見下ろしていた。

 いつしか風も出始め、雪の勢いも激しくなっている。石碑にも、七つの無残な死体の上にも、アイラの上にも雪は降り積もる。

 アイラは虚ろな目のまま、足を引き摺ってのろのろと歩き出した。どこへ行くというあてもなく、ただこの場から離れるために。