謝罪と償い
ヨハン老人の家を出たノルは、辺りを見回し、誰にも見られていないことを確かめてから、急ぎ足でその場を離れた。
教会の傍をほとんど走るようにして通り抜け、村の外に出る。道の雪は思っていたよりも積もっておらず、あの家まで行くのはそれほど骨が折れることではなかった。
一度大きく息をして、ドアをノックする。ややあって、中からドアが開かれた。
「何か用でも?」
戸口に立った、不機嫌な顔をしたアイラが、ぶっきらぼうに、ノルに声をかけてきた。とはいえアイラは、実のところ、ノルが感じたほど不機嫌という訳ではなかった。単にいつもの無愛想な様子が、ノルにそう見えただけである。
「鳥を駄目にしちゃって、本当にごめんなさい」
「……謝る相手が違うだろう」
相変わらずぶっきらぼうなアイラではあったが、その声からは、ノルが以前感じた冷たさは薄れていた。
「あれは私が作って二人にあげたんだから、謝るんならあの二人に謝ることだ。あと半時間もすれば帰ってくるだろう。……中にお入り。寒いところで待ってることはない」
中に招じ入れられ、暖炉の傍の椅子を示される。勧められるままに椅子に座り、恐る恐るアイラの様子を窺う。
アイラの方も、露骨に目を向けはしなかったものの、それとなくこの少年を観察していた。暖まって血の気を帯びた頬、不安げにこちらを窺う目、緊張しているのか、その身体はアイラがちらりと見ただけでも分かるほど、がちがちに強張っていた。
立ち上がったアイラに、ノルがびくりと身体を震わせた。その顔からは、一つの言葉が読み取れた。即ち、何をするのだろう、と。
アイラはそんな少年には一向に構わず、台所に行って温かい紅茶を淹れ始めた。双子がどんな顔をするか、と思わなくもなかったが、紅茶の一杯くらいは構わないだろう、と内心で打ち消す。
湯気の立つ紅茶を入れたマグカップを持って行ってやると、少年はまたびくっと身体を震わせ、おどおどとカップとアイラを見比べてから、ようやく手を伸ばしてカップを取った。
アイラは少年がカップを受け取ったのを見ると、もう自分の役目は済んだとでも言わぬばかりに椅子に戻り、何か考え事でもしているような姿勢を取った。
やがて、双子が帰ってくる。中にいたノルを見て、リウは非難の色を込めてアイラを見た。その視線に気付いて縮み上がるノルとは逆に、アイラはどこ吹く風といった様子だ。
「話があるんだと。聞いてやってくれないか」
リウは冷ややかにアイラを見て、何も言わずにぐるりと部屋を回って自分の椅子に腰かけた。口を開こうとしないリウやアイラの代わりに、ミウが口を開く。
「今日はどうしたの?」
「あの、鳥を駄目にしちゃってごめんなさい。どうしたら、償いになりますか」
ぐっと唾を飲み、ノルは謝罪の言葉を口にする。
気色ばんで何か言いかけたリウの腕を、ミウが軽く引いた。目を見合わせて、姉妹が何か話し合う。
「まだ私もミウも、あなたにされたことを許すとは言えないの。それに、あなたのお母さんのこともね。償いは……ねえ、アイラ」
呼びかけられて、アイラはリウに目を移した。
「何?」
「あなたなら、何を償いにする?」
「そうだな」
ちょっと考えて、アイラはリウからノルへと、緩やかに視線を動かした。
「自分で木を彫ってみるといい。鳥でもなんでも構わないけれど、何か作ってみるといい。そうすれば、自分が何をやらかしたのか、ちゃんと分かるだろう」
アイラの答えに、ノルは頷くことを躊躇した。木を彫ったことはないし、そもそも、そんなことが母に知られたら、何を言われるか想像はつく。
――そんなことをするんじゃないよ、ノル。それで怪我でもしたら、そこからばい菌が入って、病気になってしまうよ。
「……あの、他に、できることはありませんか」
「ないよ。そっちの二人はどうか知らないけれど」
「私達も、アイラと同じよ」
「やりたくないならやらないでいいけれどね」
冷ややかに、リウがミウの後から言葉を付け加える。
ノルが帰った後で、リウはアイラに非難の視線を向けた。
「どうしてあの子を家に入れたのよ」
「寒いところで待たせておくこともないだろう? 明日風邪でも引いてみろ、きっとまた怒鳴り込まれるぞ。私の刺青にだって、文句をつけるような女だったしな」
アイラの言葉に、苦いものを吐き出すような調子が混ざる。
「でも、また何か盗られたらどうするの」
「ずっと見ていたが、動きはしなかったよ。……信用ならないか?」
アイラの灰色の目が、石のように冷たくなった。
リウの黒い目と、アイラの灰色の目がかっきり合った。ふいとリウが視線を逸らす。
「別に、あなたを疑ってるわけじゃないのよ」
「分かってるさ」
アイラは気にした様子もなく、肩を竦める。リウがそんなアイラに、ためらいがちに言葉を続けた。
「それと……もしかしたら、気を付けたほうがいいかもしれないわよ」
「何に?」
「ルイン小母さん、あなたのことをずいぶん悪く言ってたから。……アイラ、こんな村じゃね、噂のほうが真実よりも強いことがあるの。今はまだ、去年のグリーズのこともあるし、皆聞き流してるみたいだけど、もし、ルイン小母さんが言ったことを誰かが信じたら……」
信じたら、の先は容易に想像できた。白い目で見られるか、ここにいられなくなるか、だろう。とはいえ仮にそうなっても、アイラは一向に構わない。
「そうなったら、他所へ行くだけさ」
アイラは軽い調子で言い切った。嘘ではない。もしここにいられなくなったら、アイラはどこか別のところへ行くだけだ。行くだけなら、どこにだって行けるのだから。
→ 来客一人