護衛終了

 翌日の朝。二つの隊商が雪の積もる中を行く。バルダもヴァルも、雪への備えはしっかりとしていたため、その速度は遅くはない。

 しかし雪に慣れていないアイラは、防寒着とマントを羽織っていても染み入る寒さと雪の冷たさに閉口していた。爪先は染み込む雪で冷え、一歩進むたびに鋭く痛む。

 遠くに見える山に雪が積もっているのは綺麗だが、目の前の道に積もる雪は冷たい厄介者でしかない。

(雪と冷たい石の床じゃ、どっちがましだろうか)

 比較して思わず溜息。少し前から、止んでいた雪がまた降り始めている。この上更に寒くなるのか。既に寒いのに、と、うんざりした目を空に向ける。

 オルラントまでは後三日。長かったようでもあり、短かったようでもある。名残惜しい、とまではいかないが、何となく寂しいような気持ちはある。

「アイラさん、オルラントに着いた後、何か用がありますか?」

「……別に、無いけど」

「なら、少し付き合っていただけませんか? ちょっと用があるのですが、私一人だと厳しいもので」

「…………分かった」

「ありがとうございます」

 メオンが笑顔で頭を下げる。

 空から降って来る小花の花弁ほどの白片はだんだん大きくなり、今では綿雪と呼べるくらいにはなっていた。

「アイラ、何か被れよ。雪人形になっちまうぞ?」

 クラウスの言葉は正しかった。むき出しになっている彼女の頭や、羽織っているマントには既に薄く雪が積もっている。このままにしておくなら、クラウスの言葉通り雪人形になりかねない。

 アイラは、ああ、とうん、が途中で混ざったような声で答えた。それから手を上げ、おざなりに雪を払う。その後へまた雪は積もっていく。

 雪にげんなりした目を向けるアイラ。歩きながら頭に細く巻いていたバンダナを取って広げ、頭に被せて端を結ぶ。ちょうど帽子を被ったような格好だ。

 最も、そうしていても雪が積もっていくのは変わらないのだが。

(まあ、頭に直接積もるよりはましか。キャラバンサライで笠も買っておくんだった)

 その夜、宿に着いた後でリュナにせがまれたアイラは、また昔話を聞かせていた。王子と氷の魔女の話。父を探す人形の話。花売りの娘の話。どれも有名な昔話で、アイラもいつともなく聞いて知っていた。

「こうして、二人は幸せに暮らしました」

 決まり文句で締める。どの話も、幸せの内に終わるものばかりだ。

 王子は氷の魔女を倒し、魔女の城に囚われていた姫を救い出して結ばれる。自分を作った男を父と慕う人形は命を得、さらわれた父を助け出す。貧しい花売りの娘は次々に出される難題を解き、ついには王と結ばれる。

(大抵はそうだけれど)

 むしろ主人公が不幸な目にあって終わる物語は珍しいだろう。ほとんどの物語はハッピーエンドで締められる。

「現実もそうであればいいのだけれどね」

 部屋に戻り、一人ごちる。

 部屋には小さな暖炉がある。詰まっていないことを確認してから、用意してある焚き付けに火を付ける。

 火が入ったことを確認してから少しずつ薪をくべる。パチパチと音を立てて木が燃えていく。

 アイラの顔を炎が照らす。しばらく手を温めてから、アイラはナイフと彫りかけの木彫りを取り出した。

 時々手を火にかざして温めながら木を削る。小鳥の羽とくちばしを整え、満足気に眺める。木彫りの小鳥を袋にしまったアイラは、ぐ、と一つ伸びをして固いベッドに横になった。

 

 

 

 それから三日経ち、隊商は夕方にオルラントに着いた。北部の中でも大きな町であるオルラントには、バルダやヴァルのような行商人らしい者たちも多く見られる。

 バルダから報酬の五ジンを受け取る。

「世話になったね。ありがとう」

「いえ、こちらこそ」

 一礼して別れる。命の保証のない生き方をしている以上、再会を約すようなことは言わない。

 バルダ達と別れ、何か食べる物はないかと市場を歩き回る。

 すぐ近くの屋台でフィーロ(薄いパイ生地で肉と刻んだ野菜を包んで焼いたもの)を二つと熱い茶を買う。近くの天幕の片隅で、早めの夕食をとる。

 湯気の立つフィーロを冷ましながら食べる。うっかりすると、とろりとしたソースが零れそうになる。ソースが甘いせいか、食事というより菓子を食べているような気がする。

 一息ついたところで、天幕にメオンが入って来た。彼も手にフィーロを持っている。アイラを見つけたメオンは、あからさまにほっとした顔になった。

「ここにいたんですね」

「ん。今から?」

「そうですね。ああ、急ぐ必要はありませんよ。私も今から夕食にしますので、どうぞごゆっくり」

 そう言われて、腰を浮かせていたアイラは再び元の椅子に座った。半分ほど残った茶を一気に飲み干す。

 フィーロの包み紙を捨て、カップを返す。

 やがてメオンの食事が終わると、二人は天幕を出た。空からはまたちらちらと雪が降り始める。

「アイラさん、オルラントに来たことは?」

「いや。……あまり、北部には来ないから」

 市場を離れ、住宅街を通る。子供が作ったものらしい、独創的な雪像が所々に見られる。炭の欠片や石でできた目が、住宅街を行く二人を見守る。

「どこまで行くの?」

「え、ああ、場所ですか? この先の巡礼地です。少し遠いのですが、大丈夫ですか?」

「……大丈夫だけど、なぜ私を? 私はレヴィ・トーマの信者ではないし……他にもっと良い人選が出来たろうに」

「クラウスさんもライさんもそれぞれに忙しいそうですし、一人では少しばかり不安ですし、新しく人を探していては、冬季節の祈りができなくなりますから。それに行っても祈れとは言いませんよ」

「……そうか」

 ええ、と隣でメオンが頷く。

 冬季節、とはユレリウスで季節の節目の一つを指す言葉である。冬季節を過ぎるとだんだん寒さが厳しくなり、冬に入るのだ。またこの時期になると、レヴィ・トーマの信者たちは教会や礼拝堂、あるいは巡礼地で祈りを捧げる。季節ごとの恵みを得るためらしい。

 雪は激しさを増してくる。冷たい風が雪片を容赦なく二人に吹き付ける。

 一体どれだけ歩いたのか。アイラの足が冷たく痺れたようになる頃になってようやく、メオンが「もうすぐですよ」と手で前方を示した。

 見れば確かに、前の方から明かりが見える。どうやら火を焚いているらしい。

 更に近付いて行くと、そこがどんな場所なのかがはっきりと見えてきた。石造りの墓標か石碑のように見えるものが一つと地に突き立てられた五本の長い松明。松明には雪の中でも消えぬよう、油が染み込ませてあるようで、油煙の臭いが鼻をついた。

「あそこ?」

「ええ」

 二人の他に六人、神官服を着た人間が雪の中で祈っている。アイラは足を止め、少し後ろにいたメオンに先に行くよう促そうとした。

 どん、と、その背をメオンが強く突く。よろめいて雪の中に倒れかけるアイラ。

「……メオン?」

 嫌な予感が全身を襲う。気付けばいつの間にか、祈っていたはずの六人も立ち上がり、アイラを取り囲んでいた。

 背に突き刺さる憎悪の視線。メオンを見ると、彼は口元にだけ見慣れた微笑みを浮かべていた。しかし彼の目は、憎悪を乗せてアイラを射抜く。

 異端者、とその目は語っていた。

『狂信者』。この言葉が、電光の様にアイラの脳裏に浮かんだ。