“門”の代償

 次の朝、アイラ達はクラウスを宿に残し、ノルトリアを発った。アンジェを先頭に、リイシア、アイラと並んで歩く。

 旅慣れていないアンジェと、旅には慣れているとは言え、まだ子供のリイシアの二人がいるため、三人の歩みはゆっくりとしたものだ。

 今三人が歩いているのは街道であり、人の目もある。相当見境のない馬鹿でもない限り、昼日中に、こんなところで襲ってはこないだろうとアイラは考えていた。

 むしろ警戒の必要があるのは夜だろう。この辺りは町と町が離れており、今の進み具合では必然的にどこかで野宿する必要がある。

 夜ともなれば人目も少なくなり、辺りも暗くなるため、襲ってくるには絶好の環境となる。

 もう一つアイラが気にかけていたのが、以前街道で小屋に閉じ込めた男が持っていた短剣のことだ。

 普通の短剣にしては、やけに嫌な感じに光っていた。刀身に何かが塗られていたかのように。

 あのときはちらりと見ただけで、さほど調べもせずに放っておいたのだが、今思うとやはり調べておいた方が良かったような気がする。

(何かしら、塗ってあったのは確かだろうけど……。でもクラウスの傷には、特におかしなところはなかったし……)

 その日の昼、簡単に昼食を済ませた後で、アイラはアンジェに、クラウスの傷について聞いてみた。

「え、毒が盛られてたような様子? そんなのなかったけど。何か気になることでもあるの?」

「……いや。アンジェが、気にすることはない」

「そう? ならいいけど、あんまり一人で抱えないでよ」

 アンジェの言葉に頷きを返す。その表情がわずかに曇っていることに、果たしてアンジェは気付いただろうか。

 再び先へ進み出しても、三人の間にはほとんど会話がない。アンジェがリイシアに声をかけてはいるものの、リイシアの答えとしては、首を縦に振るか横に振るかのみ。

 それでも度々声をかけているアンジェに、アイラは半ば感心しながら歩いていた。

 アイラと二人だけなら、多分必要最低限の会話しか交わされないだろう。

 ハン族の出身故に民族語が話せるとは言え、アイラはお世辞にも口数が多いとは言えない。一人旅のときには、一日中言葉を発さないこともあるほどだ。

 アイラからは見えなかったが、アンジェに話しかけられている間、リイシアは申し訳なさそうな色を顔に浮かべていた。

『あの……』

『ん?』

『ごめんなさいって、伝えてくれませんか? ちゃんと、答えられないから』

 リイシアはしょんぼりとした様子で、アイラに顔を向ける。

「何の話?」

「……ごめんなさいってさ。ちゃんと答えられないからって」

 それを聞いたアンジェは足を止め、リイシアに笑顔を見せた。

「子供がそんなこと気にしなくていいの。私が好きでやってることだから。それに、アイラなんかもっとひどいんだからね。話しても聞いてるかどうか分からないんだもの」

 引き合いに出されたアイラは、そっぽを向いて知らないふりを決め込む。

 二人を見比べて、リイシアがくすくすと笑いだした。アンジェが手を差し出し、リイシアがその手を握る。

 どこか親子のようにも見える二人を、アイラは後ろから眺めていた。

 

 

 

「ねえ、アイラ。ちょっと聞いていい?」

 その夜。街道沿いの開けた場所に、野宿のための天幕を張り終え、夕食を済ませた後、アンジェが思い出したようにアイラに声をかけてきた。

「……何?」

「あなた達の宗教には、生まれ変わりの考えはないの?」

「生まれ変わり? あるけど……なぜ?」

「別に理由はないけど、何となく気になって」

「ふうん。……ハン族では、こう言われていた」

 アイラは言葉を切り、目を閉じて記憶を辿った。

「『死者の魂は門を越え、白き川の畔に至る。白きリーティの流れ、死者を留め、魂を癒すなり。リーティの流れに浸からぬ者、父なる神と会うこと能わず。父なる神との対面叶うは、リーティにさらされし者のみなり。父なる神は彼を祝福し給う。再び世に生まれ出づるその日まで、魂は父なる神の元で憩うなり。』」

 ゆっくりと聖典に書かれていたことをそらんじる。アンジェとリイシアは息を詰めて、その語りを聞いていた。

「確か、こう書かれていた。……最も、私には関わりのない内容だけれど」

 最後に、独り言のように付け足された言葉。恐らくアイラも、独り言のつもりだったのだろう。

 というより、声に出していたという意識すらなかったのだろう。ぽろりと零した本人の顔に、一瞬苦々しげな表情が浮かぶ。

 それを聞いて、アンジェは、アイラがレヴィトでメオンに言った言葉を思い出していた。

――私は、既に“門”としてアルハリクに“捧げられて”いる。

「それは、あなたが、“捧げられて”いるから?」

 恐る恐る尋ねると、アイラの顔には一瞬だけ驚きが浮かんだ。

「なぜ知って……ああ、『読取』か」

「あなたが“捧げられて”いるって、どういうこと?」

「どうもこうも……そのままの意味。……“アルハリクの門”は、決して転生することはない。その魂は死後、神のものとなるのだから」

「どうして?」

 アイラはスカーフを外し、首元を押し下げ“門の証”を見せた。

「“門の証”は契約の証。“神の武器”の対価は“門”の転生権。“アルハリクの門”は儀式のときに、アルハリクと契約を結ぶ。“神の武器”を得る代償として、死後に自身の魂を捧げる、と。それができないならば、その者は”アルハリクの門”にはなれない。“神の武器”は本来、人が持つべきものではないのだから」

 言い切って息を吐く。

「あなたは……あなたはそれでいいの?」

「別に構わない。それが”アルハリクの門”がすべきことだから」

 言いつつアンジェの顔を見て、アイラはぎょっとした。彼女の茶色の瞳には、今にも零れそうなほど、涙が溜まっている。

「……なぜ、泣く? 別にアンジェが転生できなくなるわけではないし……父なるアルハリクに仕えることができるのだから、悪いことでもないのに」

 首を傾げるアイラを見て、アンジェはこれ以上何を言っても無駄だと悟った。アイラはきっと、幼い頃からこれらのことを言われ続けてきたのだろう。

 “門”となることを恐れぬように。“門”となることに疑問を持たぬように。

 そしてアイラ自身も、その狙い通り、何の疑問も抱くことなく育ったのだろう。

 リイシアが、怪訝そうに見上げてくる。

 神殿で、転生することは自身の魂を磨くために必要なことであり、万が一転生できないようなことになれば、その魂は魔物の餌となるか、魔に堕ちるしかないと言われ続けてきたアンジェにとって、自身は転生できないというアイラの言葉は、自分は死後、地獄に落ちると言ったようなものだった。

「……あんたの常識では……私の方がおかしいかもしれない。……でも、実際にどうなるかなんて……私にだって分からない。私はただ……言われたことを……信じているだけ。それに……どちらが正しいということもない」

 アイラが考えながら、ぽつぽつと呟くように言葉を綴る。アンジェは目元を拭い、そうね、と一言返した。